禁足編
【01-01】ここはディストピア
【01】
『吸血鬼』は創作上の生き物で実在しない、そんなことはある程度の年齢になればわかるものである。でも、わたしは初めて吸血鬼のことを知ったとき、それはこの国のことであり、自分自身を指す分類であると思った。
父が勤める病院の、ある病室の入口に掲げられた『志賀ボタン』の名札。それは、もう何年も前からわたしの居場所であると示している。
【父から聞いた、わたしの出生の話】
母は出産時の帝王切開により多量出血で体力が回復せず亡くなったらしい。当時はまだ日蝕時代で吸血機関や血税法が整備される直前であり、不況で事件事故が相次ぐ中、従来の献血制度だけでは各地の病院で血液が不足していたとのことである。必死に輸血をかき集めても足りなかった。父は医者であり、母の治療にも関わり全てを把握していた。だからわたしに『仕方ないことだから、気に病むな』と付け加えて話してくれた。
さらに問題があったのはわたしの身体だった。様々な血液細胞の元になる造血幹細胞の増殖能力が先天的に低かったのだ。つまり自分で自分の血を造れない。母から離された瞬間、わたしは死を恐れて泣き叫んだ。すぐに異常を発見した父は輸血治療を開始した。
後で知ったのだが、希少な血をわたしと母どちらに与えるべきか、父には苦渋の決断が迫られていたらしい。そして命を選択した。『仕方ないことだから、気に病むな』とは、父が言われたかった言葉だったのだろうか。
とにかく、わたしは生き延びてしまった。以来、ずっと誰かの輸血を頼みにしている。
吸血機関ができて、淡海府ができて、最先端の医療設備のあるこの病院に父は赴任して、わたしも転院してきた。献血制度がなければわたしはすぐに死んでしまう。この国はその仕組みを盤石にした。でも安心はできない。だってわたしは血で納税ができないのだ。社会に貢献できない必要のない存在。それでも生かされている。なぜ?
『そもそも必要かどうかなんて、人間の都合で勝手に決めたことなんだよ。地球も、空気も、水も、人間のために生まれてきたわけじゃない。あるから、あるんだ。僕らはただ、本当のしあわせについて考えるだけなんだ』
父の答えは、まだ小さいわたしにはよくわからなかった。
『どうか、奪う人より与える人になっておくれ』
父との会話は、毎回その言葉で締められる。吸血鬼のわたしに、そんなことは不可能であるのに。
わたしは退院できない子どもだ。学校にはもちろん通えず、身体が弱すぎてベッドから出歩ける範囲も厳しく決まっていた。病院の外なんて、当然ながら知らない。父や病院の医療関係者、入院患者たち、貸し出される本。それがわたしにとって世界の全てだった。窓の外の景色も、すぐ隣に大きなビルが建って空は見えなくなった。外の街は盛り上がる反面、一日中暗いわたしの部屋。仲良くなった患者はすぐにいなくなった。退院するか、死んでいくかだった。わたしだけが、ずっとここに残っている。
輸血した日の夜は、必ず夢を見た。それはかなり現実感のある、知らない誰かの記憶のようだった。ぼんやりと朧気のようで、光も音も匂いも手触りも、そして熱も本物のような追体験。自分ではない誰かの人生に浸る一瞬。そこにいる間は至福であるのに、目覚めて全てが幻と悟ると酷い悪夢に思えた。わたしはずっとひとりぼっち、そんなふうに思い知らされるみたいだ。きっと献血者の嫌がらせだ。それならもう、夢から醒めたくなかった。
輸血が必要である以外は身体に問題は少なかった。日ごとに大きくなる身体。閉じ込められた病院の中で、奪い続けるわたしはどんどん膨れていく。本で読んだ不思議の国のアリスみたいに、いつか部屋の中で身動きできなくなるんじゃないか。自分は将来圧死するんだと絶望した。そもそも何を希望に生きていけばいいのか。食事も欲しくない。血も欲しくない。
――眠るように、このまま死なせて。
わたしにとって、ここはディストピアだった。
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