うろ覚えですが、スターウォーズの監督が、
「宇宙で音は鳴らない」とファンに言われたのに対して、
「俺の宇宙ではなるんだよ」的に返したという話を思い出しました。
フィクションにはフィクションの理屈があるべき、という指摘には
大いに賛同するところですが、私は加えて、「なぜそうなるのか」についての
説明もしくは作意の提示が必要かなと思います。
このエッセイの例でしたら、「慣性制御技術が使われている」ことを作中で触れるとかですね。……いやこれくらいなら察せよって気もしますがw
作者の認識がおかしいのか、考証の末でそうなってるのか、読めないケースとかだと、そう思いますね。
作者からの返信
このような内容にコメントいただけるとは大変感謝です!
仰る通り、作中での描写は必要ですね。
「実はこうでした」は世間で「後付け設定」などと言われることもありますし。
ホラー、SFへの考察について非常に同意できました。
カップルとか太り気味とかマチズム男とか。
イカニモ~なキャラクターが、序盤からグロくやられていくような印象があります。(実際の統計はわかりませんが)
これは誰にでも浮かぶ類型の死を見せることで、より観客へのシンパシーとシンクロを高めるという、なんか自然とできた技法だったりするんじゃないでしょうか。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
考察というほど深いものでもないでの恐縮です。
仰る通り、ホラーやモンスターパニックでの開始数分の犠牲者というのは、世界観への引き込みや理解への手法だと思います。
映画やドラマで感動するのはミラーリングによるものらしいですが、恐怖も同じなんですね。
イカニモ~なキャラクターについては、確かにそんなイメージあります。
とても感銘を受けました。
1つは、性描写は人間臭さを出すツール。
2つ目は、自分が納得する世界観を持っていることが大事です。
私も12月からカクヨムに来て、初めて読者から理屈についてのツッコミがきました。
どう答えて良いものやら、迷っていまして、今回のお話しに答えがあるような気がします。😄
作者からの返信
コメントありがとうございます。
まさかここまで言っていただけるとは、書いていた当初は予想外ですΣ( ̄□ ̄|||)
わたしも代表作SFの理屈解説パートでツッコミ貰ったことあります(-_-;)