中編
ドンッ! とコートを踏む音が響く。迫力のある跳躍。高い位置から銀髪がキラキラと舞っていた。
ズバンッ! 大きい音にはっとすれば、すでにボールは転々とコートを超えて体育館の壁に到達していた。
「いいぞ木之下!」
バレー部の顧問が誇らしげに頷いた。次いで部員たちから瞳子に向かって歓声が上がる。
「木之下さん今のすごかったわ」
「さすがね! 完璧なスパイクだったわよ!」
「木之下さんがいれば、次の大会で全国を目指せるわ!」
褒められる瞳子はぎこちなさがあるものの、照れ臭そうに返答していた。
……なんだ。上手くやっていけてるじゃないか。
瞳子が人との距離感に不安を感じているようだったから、彼女が所属しているバレー部の練習を覗いてみた。
もしかしたら遠慮されているのかもと思ったけれど、そういう雰囲気はなさそうに見える。きゃいきゃいと上がる黄色い声が楽しそうに聞こえた。
小学生の頃は周囲が瞳子の存在に慣れるまで時間がかかった。中学生になって、またリセットされたかのような感じだったが、部活動を見る限りそれも解消されているようだ。
「がんばれよ瞳子」
小さくエールを送る。
ほっと安堵の息を吐いて、俺は体育館から離れた。
※ ※ ※
瞳子がケガをした。
部活中のケガであり、仕方のないことなのに大会前ということもあってか、周囲の失望は大きかった。
「……」
一番悔しいのは瞳子だろう。家まで送り届ける間、彼女は一言も口を開かなかった。
「……俊成」
「ん?」
「部屋まで送って」
瞳子の右足に巻かれた包帯が痛々しい。俺は頷いて彼女の家に上がった。
「きゃっ!?」
両親は外出中のようだった。俺は了解を得るのももどかしく、瞳子をお姫様抱っこした。
「ちょっ、平気だから下ろしてっ」
「部屋まで運ぶだけだから。重くないし気にすんな」
「そういう問題じゃないし気にするわよ!」
あわあわと慌てた顔を見せてくれる。さっきまでの落ち込んだ顔より何百倍も可愛かった。
ちょっと強引だったかもしれないが、そうでもしないと彼女の性格上、素直に甘えてはくれなかっただろう。これくらいのこと、それこそ俺は平気なのにな。
勝手知ったる幼馴染の家。ずかずかと階段を上がり、真っ直ぐ瞳子の部屋に入る。彼女を優しくベッドへと下ろした。
「……ありがとう」
蚊の鳴くような声でお礼を言われた。相当恥ずかしかったらしく、耳まで真っ赤になっている。
「まあ気にすんな。スポーツやってたらケガとは上手く付き合っていくもんだ。俺だって柔道部だからよくわかるしな」
「でも……」
瞳子の顔がくしゃりと歪む。
「せっかく、期待してもらえてたのに……みんなを、がっかりさせてしまったわ……。先生にも、落胆したって……」
……言われたんだな。その涙交じりの声を聞けばわかる。
本当に涙が出てきたようで、すんと鼻をすする音がした。それを聞いて、瞳子が泣くなんていつぶりだろうかと思った。
あまり人前で涙を見せないようにって、がんばっていた女の子だったから。それは俺の前でも同じで、涙が出そうなのを耐えてるのは気づいていた。
……いつもがんばってたのに、わざわざ「がんばれ」だなんて言うもんじゃなかったな。瞳子が努力しないなんて、今までなかったって知ってたのに。
「大丈夫だよ」
「……何がよ?」
「がんばっていた瞳子を、みんなも本当はわかっているから」
いつだって彼女はがんばっていた。負けん気が強いのも理由の一つだろうが、それだけじゃなかったのだろう。
運動も勉強もできる。なんでもそつなくこなす。完璧と呼ばれ、期待されることに嬉しいと思う反面、ものすごいプレッシャーに襲われていたのだろう。
「無理しなくたって、もう瞳子は認められてるんだ。それは俺が保証してやる。ずっと近くで見てきたんだから間違いない」
「……っ」
瞳子の頭を撫でる。これだけは昔から俺だけの特権だった。
「もしケガのせいで大会に間に合わなかったとしても、それで瞳子の全部がダメになるわけじゃないだろ。悔しかったり、悩んだり、いろんな感情がごちゃごちゃになって溢れてくるかもしれない。でも、それでも大丈夫だ」
「どうして、大丈夫……なの?」
「落ち込んだら俺が慰めてやるからな。知ってるか? 俺が慰めて、瞳子が元気にならなかったことはないんだぜ?」
瞳子の目が見開かれる。綺麗な青の瞳は俺の顔を映していた。
「……ふふっ」
堪え切れないといった感じに、瞳子が噴き出した。
「そうなんだ?」
瞳子の目に、涙はもう溜まっていなかった。彼女を元気づけるように胸を張る。
「ああ、そうだよ。なんならたっぷり甘やかしてやるぞ」
一瞬だけ間を空けてから、瞳子は言った。
「じゃあ、慰めてもらってもいいかしら? うんと甘くして、ね……」
そう言って微笑む彼女に、妖艶さのようなものを感じた気がした。
見慣れない微笑みに、言葉にならない驚きがあって、なんとなく目を逸らしてしまう。
「じゃあ、もっと頭を撫でてやろう」
「お願いするわ」
手触りの良い銀髪を優しく撫でる。毛先までサラリとしており、綺麗すぎて今更ながら俺の手で汚してしまっていないかと不安になる。
「もっと、して……」
そんな躊躇に気づいたのか、瞳子がおねだりしてくる。小さい頃に戻った気がして、変な緊張が取れてほっこりした。
「ひあっ……」
そう思っていた矢先、瞳子から発せられた甘い声に心臓が跳ねた。
頭を撫でていた指先が、瞳子の耳に触れたのだ。そういえば耳は弱かったなと思い出す。
「んっ……そこも、もっと触って……」
「……ああ。こ、こうか?」
今まで馴染みのない雰囲気に、なぜだか口の中がカラカラに渇いていた。
あれ、なんだか心臓がうるさいぞ? 俺、緊張しているのか?
「は……んっ……」
瞳子の耳に触れる。撫でると瞳子が俺をドキドキさせる声を漏らす。背中にぞわぞわとした気持ちいい感覚が走った。
その声をもっと聞きたくて、形の良い耳を親指と人差し指で摘まむ。優しく擦り上げると、彼女の体がビクビクと震えた。
「や……ああっ……ひぅんっ……んああっ!」
ビクンッ! と一際大きく彼女の体が跳ねると、くたりと力が抜けるのがわかった。瞳子の息遣いが荒くて、決して小さいとは言えない胸が激しく上下していた。
「……」
「……っ」
少しだけ息が整ったのか、瞳子が気怠げに目を開ける。
綺麗な青い瞳が俺を映す。吸い込まれそうなほど惹きつけてくる。なんという眼の魅力か。
そのまま吸い寄せられるように、俺は瞳子との距離を縮めた……。
「帰ってるのか瞳子ー? パパ帰ったぞー! 足をケガしたんだって? 待ってろ、すぐにパパがなんとかしてあげるからね!!」
「「!?!?!?」」
ドアの外からの大声に、俺と瞳子は飛び上がるほど驚いた。
どうやら瞳子の父親が帰宅したようだ。いつの間にかそれなりの時間が経っていた。
俺は慌てて帰り支度を済ませる。今、この状況を彼女のお父さんに見られるのはまずいのだと、俺の心が警鐘を鳴らしていた。
「じゃ、じゃあ俺は帰るからっ。瞳子はゆっくり休むんだぞ」
「う、うん。……と、俊成っ」
背を向ける俺を、彼女は呼び止めた。
「また……慰めてもらっても、いい?」
おねだりをする瞳子から、甘やかな空気が発せられているように見えた。
……これ以上ここにいると、自分が何をしでかすかわからなかった。
「……もちろん」
必死に自制心を働かせながら、なんとかそれだけを言った。
そして、人生で初めて逃げるように瞳子の家を出たのだった。
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