3. 孤独の笛吹き

登っていく。

ひたすら高いところを目指して、登っていく。

コツ、コツというそっけない足音が、嫌に響いて聞こえる。

今は一人だ。


この場所はお気に入りだった。

学校終わりの下校途中、これから夜に向かっていくという時間。空は厚い雲によって覆われ、街一帯はすっかり影の中に沈んでしまっている。

私は街の中にあるとある廃ビルを目指す。随分前に廃業したホテルの屋上展望台。当時はホテルの利用客以外にも開放されていて、いろんな人が街を一望できるここにやってきた。けれどそれも昔の話。人で賑わっていたであろうここも、ホテルが廃業した今となっては誰もいない。

本当は入っちゃいけないんだろうけど、昔は無料開放だったんだからいいでしょ、と言って私をここへ連れてきたのはとある友達だ。その友達も、1年前のクラス替えでクラスが離れてからは疎遠になってしまった。

エレベーターは動かないため、階段で上まで登っていくのだ。業務用らしき少し見すぼらしい階段を、カンカンと足音を立てながら二人して何度も登った。そうして、屋上で街を彩る夕日をみたっけ。それも昔の話だけど。


ホテルはいつもここにある。廃業になったというのに、テープで囲われたり、鎖でバリケードがはられているわけでもない。それだから壁にいたずら書きされたり、子供が不法侵入したりしちゃうのよ、と、外壁の主張激しい落書きを見ながらどこか他人事に思う。

そして私はホテルの階段を登っていく。

コツコツ、と言う自分の足音だけがなんだか嫌に響いていた。


屋上に出るとじっとりとした空気が私を包んだ。灰色の空。今にも雨が降り出しそうだ。

これではせっかくの街の風景も台無しだ。

屋上にはこれといった見どころはない。私の目線ほどの高さの網フェンスに周囲を囲まれ、ところどころに街の風景について説明するパネルが設置されている。ホテルが営業していた当時は綺麗に手入れされていたであろうそれも、今は雨風にさらされて読むに堪えない様子だ。


私は灰色の街を見つめて、一つ息をはく。

何もかも嫌になっちゃう時がある。

そういう時はここにくる。

特に何があるわけでもないんだけどね。

そういう時に、こうやって上から景色を眺めると、ほんの少しだけ、息がつけるのだ。


フェンスに近づいて、なんとなく下を眺める。狭い道の隙間から、大通りを行き交う人々、車達が見える。

急いで行き交うばかりで、誰も上に目を向ける人などいない。だれもこの廃ホテルの上に人がいるところなんて見ていない。

そう思う時、私はいつだって不思議な気持ちになる。

ここを知っているのは私しかいないのだ、という優越感のような、高揚感のような。

少し心臓がどきどきするような心地がするのだ。

そしてその後すぐに、寂しい、孤独感にも似た気持ちが私を襲う。

同じ気持ちを昔にも感じたことがあった。それは自分がまだ幼い子供の頃の、かくれんぼの時。神社の片隅で、誰も人の来ないようなところに隠れたはいいものの、鬼が全然探しに来ないから、怖くなって自分から出ていっちゃったんだっけ。最初はここなら誰にも見つからないぞ、と得意げだったのに、だんだん陽が落ちてくるにつれて不安になっていって、最後は半泣きだったのを覚えてる。

それを友達にからかわれたりしたんだっけ。そんな苦い思い出ばっかり覚えてる。

昔のことを思い出してもいいことなんて何もなかった。

ずっとそうだ。そんな人生。

今日はひどい曇り空もあいまって、どこか気持ちも沈んでいる。

そんな時、その声は聞こえた。


『消えてしまえばよい』

『その影ごと』

…………え?

その声は、なんだか自分の頭の中に響いてくるような気がした。

『消えてしまえばよい』

その声はまた繰り返す。

聞いていると、なんだかあたりを覆った影に自分も溶け込んでいくような気がして。

『何もかも捨てるのだ』

安心する声だった。心地のいい声だった。

それに体を委ねてしまおうかと思った。

そうすればどれだけ心地いいかと考えた。

私は目を閉じる。その暗闇にだんだん自分が溶けていく感覚がして…………


その時、

「おい、きみ、何してる」

突然後方から声がして、ハッとして振り返る。一人の男性がいた。作業服を着た男性だ。つばのある帽子を目深に被り、手には工具箱を持っている。

「……えっ」

思わず出た声に、

「えっ、じゃない。ここはもう廃業になってるんだ。勝手に入っちゃいけない。……きみ、学生さん?」

少し強く、注意する口調でそう言われる。

訝しげに眉をよせ、帽子のつばの奥から制服をじろじろと見られている。

私は途端に全身に冷や汗をかくのを感じた。

「す、すみません。今出ます」

私は急いで足元に置いていたカバンの取っ手を掴むと、男性の脇を通り抜けて階段を下る。男性はそれ以上何も言わなかった。



女子学生が階段を駆け降りていく音がカンカンと響く。ほどなくして、頭に何者かの声がした。

『……まったく、君たちはどうしてこうも仕事熱心なのかね』

低い男性の声。聞きやすく、誘い込むようなその声は麻薬のようだ。

『とっても久しぶりだったのだよ。

実に1、2……そう、3ヶ月ぶりだ!

だというのに……君たちのせいでまたしても逃してしまった』

「これが仕事なんですよ」

『君たちは皆それを言う』

姿は見えないというのに、すぐそこに“それ”がいるのだとわかる。

すぐそこで俺の顔を覗き込んでいる。

俺は慎重に言葉を発するが、向こうはまるで世間話でもしているかのようだ。

『仕方がない、今日は出直すとしよう。

……夜道に気をつけたまえ。一人にならないように。腹が減っているからな。好みでなくても食らってしまうかもしれん』

しばらくして、頭に何も響かないことを確認すると、俺はようやく長く息を吐いた。

ずっと、息が詰まっていた。息を止めていたんじゃないかと思うほどだ。

コツ、と音がして、下の階から、相棒が呑気な顔をして階段を登ってくるのが見えた。

「おう、大丈夫だったか?」

「……まじで、もうやりたくない」


影食いが近くにいるとの情報が入ったのはつい数時間前だった。

影食いは人の影を食う妖怪だ。人の影とは人そのもの。影食いが現れた後、そこにいた人間はいなくなる。

影食いは人間が一人になった時を狙い、食らう。大昔からずっといる妖怪だが、影食いの姿は人間には見えない。彼らは声のみで、言葉巧みに人間たちを誘い込んでくるのだ。彼らは聞く人によって声を変え、その人にとって“弱い”ものになって誘い込んでくるという。

対処法は簡単で、誰か他の人間と一緒にいること、そして誰かに自分の居場所を把握してもらうことだ。一人でない人間の元に、影食いは現れない。ターゲットになった人間は、だんだんと影が薄くなってくるという。だから俺たちはそういう人間に声をかけるだけでいい。……それが影食いには気に食わないようだが。

影食いに食われた人間はどうなるのか? もしかしたら影食いは影を食べた後に人まで食っているのかもしれないし、そうではなくどこかに連れ去っているのかもしれない。その先を想像してはみるが、実際のところ、見たやつはいないのだから、俺たちには永遠にわからないことだ。


「早く帰ろう。生きた心地がしなかった」

「N、最初からすごくしぶってたもんな」

Nと呼ばれた方……少し背の高い男は屋上をぐるりと慎重に見回した後に、カモフラージュ用の工具箱を持ち直し、屋上への扉を閉める。

「当たり前だろ、ただの悪戯妖怪とは訳が違う」

「そんなに言うなら俺がやったのによ」

「Sは迂闊に口を滑らしそうだからダメだ」

「そんなことねーのに」

Sと呼ばれた背の低めの男は口を尖らせた。


意思疎通可能な影食いは危険であるとして、『センター』も十分動向に注意して見張っているようだ。影食いがいる地域はある程度推測され、被害の出る前に対処を行うよう、バイトたちに指令が出る。

昨日夜勤のバイトを終えたところだというのに、センターから緊急の連絡が入り、次の日の夕方にシフトを入れる羽目になったのだ。

仕事内容が重すぎてNは既に胃もたれしていた。

「おっし、そしたらファミレスでも行くか?」

「そんな気分じゃ……あ、いや、行く」

影食いの言葉が頭を掠める。

夜は当分、一人で行動しない方が良さそうだ。

「おお、珍しく乗り気じゃん。よかったらあれ食べろよ、期間限定のダブルチーズハンバーグスペシャルデミグラスドリア!」

「いや、さらに胃もたれしそうなものはいらん……」

ワンボックスカーは近くの駐車場に停めてある。夜に向かう街、人ごみの中に彼らは紛れてゆく。



……少し前。


やってしまった……。

私はため息をついて廃ホテルを出た。

同時に、もうここには来れないなと考える。

一回目は知らなかったで済まされるけど、二回目は怒られるだけじゃ済まないだろう。夕ご飯の時間までのいい時間潰しだったのだけど、少し時間が空いてしまった。

この夕方をどう過ごそうか。

考えていたせいで、目の前にいる人物に気がつくのが遅れた。

それはこの場所を教えてくれた友達その人だった。

「あ……」

友達は私をなぜこんなところにいるのだ、と困惑した表情でこちらを見た。

「……久しぶりだね、どーしたのこんなとこで」

口を開いたのは向こうが先だった。

「それはそっちもだよ」

「なんかちょっと気になって……」

本当に何となくで来たのだろう。

それきり口をつぐむと二人の間にしばし沈黙の時が流れた。

少し気まずい感じだ。

結構久しぶりだし、と私は思う。

別に友人とは喧嘩別れをしたわけではない。何かあったわけでもなく、ただ少しずつ離れていってしまっていたのだ。だからこそ、少し言葉のかけ方に困っていた。

「……あ、そーだ。これから、ひま? ポテト食べにいこーよ」

先に口を開いたのはまたしても友人だ。

それを聞いて、一瞬考えた。

この気まずい感じのまま行くのだろうか。

それは、お互いあまり楽しい時間にはならないかもしれない、と思う。

けど、同時に。ちょっと賭けに出てみるのも悪くはないかな、とも思った。

これで何か変わるかもしれない、という、賭けだ。

「いいね、行こっか」

いつのまにか雲の切間から夕日がのぞいている。

赤い光が私たちの影を地面に長く長く映し取った。









⭐︎妖怪:影食い

一人になっている人間を見つけては誘い込んで影を食っている。

最近は携帯やらネットやらで一人になる人間が少ないのでやりにくさを感じている。

今度は若い女性を演じてみるのも良いかと胸躍らせている。


⭐︎人間:C

初恋は小学校の時の理科の先生。

あの後結局バーガー店に2時間半滞在した。



『センター』:

バイトの発注元。

タブレット・ワンボックスカーの支給元。


バイト:S(背の低い方)

今回はNを見守るだけだったので簡単だった。

ファミレスは何時間だっていられる。


バイト:N(背の高い方)

今回で寿命が十年縮まった気がする。

ハンバーグドリアは流石にきつかった。


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現代妖怪 街々かえる @matimati-kaeru

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