第26話 ゴブリン 1

「まあ眠っていた分、食後からがんばるとするよ」


 そう言って、食べ終えたリウは両手を上に身体を伸ばしながら言った。


「……はぁ」


 僕はため息をつくことしかできなかった。

 そんな時だった。


 僕たちの他に誰もいないこの草原に、大きな足音が聞こえてきた。

 視界を遮るものがない草原に、その足音の主の姿は見えない。

 しかし確実にその足音はこちらに近づいていた。


「リウ、これって……」


 直感で分かる。これは魔獣の足音だ。

 僕はまだ見えぬ魔獣に不安を覚えながらリウに目を向けるが、リウは何も気にすることなく身体の筋を伸ばしていた。


 足音が徐々に大きくなってきている。

 わずかに地面が揺れている。


「な、なんだよ、……あれっ!」


 遠く、奥の鬱蒼とした茂みから姿を現した魔獣に僕は思わず息をのむ。

 リウの肩を叩き、魔獣が現れたことを伝える。しかもあの魔獣は僕たちの方に近づいてきていた。


「ん、なんだいキール? そんなに焦って」


「リウ、魔獣だよ! こっちに近づいてきているんだよ!」


 リウはつまらなそうに僕が指さす先を見つめる。

 近づいてきたその魔獣は巨大な身体をしながら器用に二足歩行していた。


 右手には太い丸太のような棍棒を持った鬼。

 近づくにつれ、ビリビリと激しい威圧感が伝わってきた。


「あー、あの魔獣見たことあるよ。なんだったかな……」


 ドラゴンとして長い年月を過ごしてきたリウ。さすがにあの凶暴そうな魔獣についても知っているようだ。


「なんなの? あんな魔獣ってよくいるものなの?」


 顎に手をやり、記憶をたどるリウ。


「二足歩行で、緑の魔獣。……オ、オ。いや、ゴ……」


「そんなのはどうでもいいよ! どうしよう、どこに逃げよう! けっこうあいつ足が速いみたいなんだけどどこに逃げたらいいんだよ!」


 初めて見る魔獣に僕はかなりの恐怖を覚えた。

 鋭い眼光を飛ばしながらこちらに接近してくる巨大な魔獣。


 やばい……、漏れそう。

 僕は本能的にリウの背中に隠れ、両手でがっしりとリウの両肩を掴んだ。


 掴んでから絶望した。男として情けない自分の姿に。

 女の子の背に隠れる男なんて男らしさの欠片もない。


 僕って、どうしていつまでも——。


「あはは、なにを怖がっているんだよ、あんな弱い魔獣を相手に」


 リウは笑いながら振り返った僕の顔を見た。と同時に何かを思い出したようだ。


「ん? ……弱い? 緑……、人型の魔獣……。思い出したよキール。あれはゴブリンだよ!」


 リウが目の前の巨大な緑の魔獣を指さしながら言う。


「ゴブリン?」


 ってあの、冒険者がよく討伐している魔獣のことだろうか。僕もその魔獣の名前くらいは聞いたことがある。


 緑の体色をした人型の魔獣。簡単な武器も扱うことができる魔獣、ゴブリン。


「あ、あんな凶暴そうな魔獣が、……ゴブリン?」


 冒険者の皆はあんな魔獣を容易く討伐しているのか!?

 冒険者の駆け出しが討伐する魔獣でもあるゴブリン。それが目の前を走り近づいてくる山のように大きな緑の魔獣を指しているのか!? 冒険者って、なんてすごい……。


「キール。冒険者なら、ゴブリンくらい倒さないと始まらないぜ?」


 そう優しく声をかけてくれるリウだったが、僕の足は見事に竦んで動けなくなってしまった。


「仕方ないか。ボクが見せてあげるよ、あいつがどれだけ弱い魔獣かってことを。そうしたらキミも次から怖くなくなるだろ?」


 リウはゴブリンを前に歩み寄りながら「そこで見ておいてくれよ」とボクに手を振った。

 ゴブリンの棍棒がリウに届く間合いに近づいた時、ゴブリンは躊躇いもなくそれをリウに振り下ろした。


 しかしリウは焦る様子も見せることなく、振り下ろされた棍棒に握った拳を振り上げぶつけた。

 バァン! と破裂するような音がしてリウの小さな拳が丸太のような棍棒を砕いた。


 木片になって飛び散る棍棒と、反動で後ろによろけるゴブリン。


 自分からすれば数倍も小さな敵を相手に突如として得物が砕かれてしまったことにゴブリンは困惑してしまった。


「ほら、こんな粗末な武器を使っているんだぜ? 武器も大きさだけの見せかけだよ」


 リウはそのまま飛び上がって、よろけたゴブリンの膝の上に上がる。そして膝の上からさらにもう一段飛び上がり、その鋭い双眸をした顔のすぐ前に浮かぶ。


「ガァッ!」


 威嚇するように歯をみせるゴブリンに、リウはただ足を振り上げる。


「自分からさらに近づいてくれて助かるよ。今のボクは身体が小さくてね、多少不便があるんだよ」


 そしてゴブリンの横面に蹴りを叩きいれた。

 これまた大きな破裂音がして、今度は横に飛んでゴブリンは草原を何度と転がった。


「ね? 簡単でしょ? これがゴブリンだよ、キール」


 僕の目には、リウの小さな身体にまったく太刀打ちできないただの木偶の坊のように見えるゴブリン。

 あの鋭い眼光と、巨大な身体はただの見せかけ程度だったのか……。


 もちろん、リウは竜種で身体能力は僕とは比べ物にならない。それでも一緒に身体を動かしていて、人型のリウは異次元に僕より運動能力が高いということはなかった。


 であるなら他の冒険者であってもリウのような攻撃でゴブリンを撃退することも可能なんだろうか。

 なにせ魔法も使わずに拳を握って殴って蹴っただけなのだ。その際、拳や足に薄っすら靄のようなものがかかった気がしたけど、たぶん見間違いだと思う。


「……ァァァ、ァァ、ァ」


 起き上がったゴブリンは、リウに蹴りを食らって顎を吹き飛ばされていた。

 開き続ける口から漏れ出る声はなんとも情けない。


 さっきまで感じていた恐怖は一切ない。

 リウは指の先に火を点したが、


「このまま燃やしたら薬草が採れなくなってしまうか……。しょうがない」


 と言って火を消してゴブリンに駆け寄った。

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