第33話 病院での2人(3)ー 近況報告
トイレから佐藤が戻ってくる頃、汐見のベッドに掛かったオーバーテーブルには佐藤の弁当が端に寄せられて汐見の夕食が到着していた。
意外に美味しそうな
「これ、足りるのか?」
自分が購買で買ってきた弁当と見比べると明らかに量が少ない。その上カロリーも少なそうだし更には細かく切られた具材は食べ応えもなさそうだった。
「あー、それな。確認はしてないんだけど、多分、トイレの関係だろうな」
「は?」
「……食べる前に言うと食欲失せるぞ」
「なんだよ、それ」
「……ケガしてる腹に力入れるな、ってことだよ」
「……?」
「今朝は下剤も飲んだ」
「! そ、そっちかよ!」
「だよ」
ニヤニヤしながら言う汐見に突っ込んだ佐藤が若干嫌な顔をする。
「ま、病院食なんてそんなもんだろ。でも太ってる人が入院したら痩せるってのは納得したな。ざっとカロリー計算した感じだと基礎代謝量より少し下回ってる」
「ザッとカロリー計算できるお前がヤバイよ……」
「? お前もカロリー計算してんじゃないのか?」
「俺? 俺は夜は軽めってくらいだ。夕方4時過ぎたら糖質と脂質と炭水化物は摂らないようにしてる」
「……白米と揚げ物入ってるぞ、その弁当」
そう言って佐藤の弁当の揚げ物を汐見が指差して
「……今日の夕飯は俺の慰労会。昨夜ほとんど寝てないからな……」
昨夜の連絡の仕方を責めた。
「……それは……すまん……」
明らかに消沈した汐見を見た佐藤が、これ以上怪我人を責めるのも可哀想になってきて
「あ~、やめやめ! 今日はもう飯食って寝るだけにしよう! な!」
「……」
流れだす微妙な空気を払拭するように、気を取り直して買ってきた弁当箱を開け
「食べよう! 冷めちまう!」
汐見にも食べるよう促す。
「あぁ……」
ホッと一息つく汐見が食べているその様子を鑑賞している佐藤は
〝……毎日こうやって汐見と同じテーブルでご飯食べられたらなぁ……〟
などと夢想していた。
佐藤より早めに平らげた汐見が、覚醒した時に佐藤しかいなかったことを思い出して質問する。
「そういや、刑事さん達は?」
「んー、とりあえず、火曜日に自宅に行きますって伝えてください、ってさ」
「……あぁ、データ受け取りか」
「ん。……あの米山って人が少し話したいから、その時に時間ください、っても言ってたぞ」
「えぇ……」
「まぁ。あ、あのでっかい方の刑事さんな、村岡さんて名前だったけど、やっぱり柔道国体選手だったっつってた」
「……それ、今どうでもいい話だな」
「いや~、素手で熊と戦えそうじゃん?」
「……まぁ、そうかもしれないけどな」
弁当を全部食べ終わった佐藤が折箱を元に戻しつつ袋に入れながら、何気なさを装って
「ってか……2回とか色々……なんなんだよ、それ……」
核心に触れた。
「……」
「……俺にも話せないってことか?」
「……」
佐藤の質問に汐見が沈黙で返すことは滅多にない。余程聞かれたく無いことなのだろう、と察した佐藤はこれ以上は聞かないことにしようと思った。
「……ま、無理には」
「……少し、整理してからでいいか?」
「!!」
だが、汐見がちゃんと説明するつもりでいることに驚いて
「とりあえず、退院して、落ち着いて……向こうの弁護士にも連絡しないと……」
「……わかった」
「すまん……」
汐見の顔を二度見した。それから、ちょっと考えて
「……それって、お前が俺に謝るようなことじゃない、よな?」
「そうか……」
「簡単に謝るなよ。塩対応の汐見がよ」
いつもの軽口を叩き
「塩対応って……別に……」
「俺は、営業の仕事では対応甘いけど、プライベートでは俺たちの態度って逆だよな」
「?」
いつも考えていたことを口に出した。
「俺は、プライベートでは塩対応だよ。面倒だから。お前は気に入った相手にはめちゃくちゃ甘いじゃん」
「そうか?」
「無自覚かよ~~!」
この、普段何気なく相手に対して塩対応する汐見が、ふとした瞬間、気を許した相手にだけ甘い対応をする。
その時に見せる何気なく柔らかな表情に他人は心を奪われるのだということに全然気づかない。気づかないからこそ汐見なのだが、佐藤はその他人をガードするのに必死だった。
無自覚に人の心を奪っていく汐見が結婚したことで汐見に懸想する人間が減ったことに佐藤は安堵したが、佐藤にとっても悲劇の始まりだった。
〝お前はな……自分に対する【好意】にだけは疎いんだよな……〟
この手のこと───恋愛ごとを苦手とする汐見の丸ごとが、逆に佐藤の心を捉えて離さない。
ずっと傍にいる自分の好意にすら気づかない汐見を憎らしく思う。だが佐藤にとって汐見と代替可能性がある人間はもう存在しなかった。
「そういえば……」
「ん?」
「お前、金・土潰して、彼女とか、その……大丈夫なのか?」
「……」
〝気づけよ……今更……〟
「いや、だから、その……彼女とか……不味いよな、と思って、ちょっと連絡するのアレだったんだよ」
「……いねぇよ……」
「え?」
「……この1年は誰とも付き合ってない」
「え、なんで……」
「立たないから」
「は?」
〝もう……お前にしか立たないんだよ……〟
数年前から、佐藤はそんな予感がしていた。
特に、汐見が紗妃と結婚してからは。
誰といても誰を抱いても汐見の顔がチラついて行為どころかデートにすら集中できない。
汐見と出会ってからの佐藤は黒髪のベリーショートで気の強そうな顔をしてる女性ばかりに声をかけて付き合っていた。ほぼ全員が仕事大好き人間の女性だったが、女の勘は鋭い。自分の後ろに誰かを見ていることを気づかれて別れを告げられるパターンが常態化していた。
女性でダメなら男で、と思ったが男の体を見ても興奮はしない。男が好きなわけじゃないからだ。かと言って、自分が男に抱かれる想像をすると身震いする。
そして、やっと気づいたのだ。
〝なんだ……俺が抱きたいのって汐見限定なのか……〟
そう思うともうダメだった。
汐見の代わりに抱いていた女性ですら
妄想の中の汐見を抱く方が数倍、心も体も落ち着いた。
そこからは物理的にも無理になり、誘われてそういう事態に陥ってもモノの役に立たない。それどころかその気にすらなれず、ホテル前で断ることも度々になり、自然とそういう事から遠のいてしまったのだ。
「……EDってやつ? 別にいいんだ。困ってはいないし」
「や、でも……す、すまん……そんな事聞いて……」
「謝るなって。俺も……その、なんだ。……落ち着いたら、話すわ……」
「……あぁ、わかった」
そう言うと佐藤は立ち上がって汐見の代わりに配膳を下げに行った。
夕食が7時には終わってしまったので9時の消灯までの2時間はテレビでも見ながら、と思って佐藤がTVを点けようとすると汐見から
「いや、いいよ。最近会社でも会えてなかったしな。近況報告を聞きたい」
と言われたため、佐藤は大学の同期と会った時の話をしようかと思ったが
〝今日はやめとこう。せめて退院してからの方がいいよな〟
そう思い直し、直近の業務内容を話すことにした。
「自販機前で会った時さ、お前も相当疲れてたけど、俺もでかいの終わったばかりだったんだよ。お前はどうだった?」
「開発部でか?」
「そうそう」
問われた汐見は
「っあ~……思い出したく無い……」
〝あれはここ1年で一番多い
「はは。また炎上案件か?」
「……オレはいつになったら火消し役から免除されるんだろうな」
「お前が現場を
軽口を叩きながらも、仕事大好き人間の汐見はそこまで嫌そうじゃない。それがわかるからこうやって気軽に聴けるのだ。
営業としても現場の人間がどういう状況なのかを知っておくことは重要だ。特に営業と開発がツーカーで社内でのやりとりが上手く行っているとトラブルが発生しにくいため、クライアントからの受けも良くなるからだ。
佐藤が聞いただけでもかなりストレスフルな状況だったらしい。
昨今、PCの機能向上やインフラ整備が進んだおかげで遠隔でプログラムコードのやりとりができるようになったとはいえ、直接指示できないのは手間がかかる。ましてや、新しいシステムやツールを使いこなせない人間、しかも現役を引退した年上に指示出しするなど、気苦労が計り知れない。
「それ、死ぬな……」
「だろ? しかもその人古いVCSしか知らないって話だったから、そこからだったんだ……」
VersionControlSystem(VCS)とはファイルの変更履歴の保存・管理を行うソフトウェアことだが、数多くの種類とバージョンがあり頻繁にアップデートが繰り返されている。そのため、知ってる人と知らない人とで共通認識に違いがあり、便利なことは便利なのだが、とかく扱いがややこしい代物なのだ。
「お疲れ……で、終わったのか?」
「一応、話を持ってきた営業が万一の為に法務と連携して事前契約書交わしてたから助かった。修繕範囲を限定してたから、納品後に問題あったとしても多分揉めずに対応できるはずだ」
「うちの法務すごいもんな」
「だな。本当に感謝してる」
とりあえず、汐見が抱えていた案件は無事終わったらしい。でなければ、仕事でも火の車、プライベートでは脇腹に爆弾、と
「で? お前のとこは?」
「っあ~。俺のとこはなー……お役所仕事だった」
佐藤は佐藤で2ヶ月書類作成につきっきりだった別件のせいもあり、この週末に久しぶりに汐見夫妻を誘ってどこかに出かけるか、と思っていた矢先だった。
「お役所仕事?」
「入札関係でさ。死ぬかと思ったわ。積算とかやったことないっつーの! って思いながらこの2ヶ月、ぶっとい建築専門書と首っ引きだったよ」
「……こういうとき、なんでもやる会社は死ぬよな」
「だよな……」
2人して、【総合商社】という看板を背負った自社の職責を呪い、溜め息を吐き出した。
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