第34話 病院での2人(4)ー 佐藤の想い、夫婦の在り方

 小1時間ほど仕事の話をして日常の感覚を取り戻した汐見は、表情も声もだいぶ和らいでいた。


〝あんなことがあったのに……お前ほんとタフだよな……〟


 言葉にしたことはないものの、汐見のそのストレス耐性は佐藤が最も愛してやまない部分だ。


〝メンタルもそうだし、男の俺から見てもエ……い体つきもそうだけど、汐見は声がいいんだよな……〟


 かく言う佐藤も声は悪くはない。営業だからしてハキハキと通る声質は上司にも褒めてもらえるくらいだが、汐見の声はバリトン音域のクリアな声音をしている。特に無表情になって冷静に話してる時の声色はバリトンが響いて佐藤は毎度惚れ直している。そこが人によっては強面との相乗効果で怖すぎると言われる所以でもあったりするのだが。


〝でも声が良いって貴重だよな……この声でどんな風に喘ぐのか聞いてみたい……〟


 佐藤がいつもお世話になってる汐見似の男優は声も似ているのだが、本物の汐見より音域が若干高めだ。本人ではないのだから仕方ないところだが、本物の汐見が、あの肢体を晒して喘ぐ様を見たら佐藤はそれこそ、その場で異世界転生してしまうんじゃないか、と本気で心配している。


〝病院とはいえ2人っきりの個室で話し合うことができるなんて、久しぶりのご褒美だな、これ〟 


 など思いながら汐見と会話してる時の通常運転はこうだ。

 会話では平静を装って談笑しつつ、頭の中では今見ている汐見の姿と声を脳内で合成しまくって別の妄想を繰り広げる。ある意味特殊能力なんじゃないかと思ったりもするが、別にこんなことができたからといって実際、願望通りに事が運ぶわけがないのでその辺りは至って冷静だったりもする。


〝今すぐこの場で俺の脳内妄想が開陳かいちんされたら、それこそ猥褻物陳列罪わいせつぶつちんれつざいで捕まるよな〟 などと考えていた。

 そうやって会話をしているうちに消灯1時間前を切り、ベッド上のスピーカーからプププッ! と音が鳴った。ナースコールだ。

 汐見が横にあるスイッチを押して


「はい」


 応答すると


『夕食終わりました?』

「はい、1時間前には」

『今から簡易ベッド持って行きたいんですが、大丈夫ですか?』

「大丈夫ですよ」

『了解しました。すぐお持ちしますんで』


 柳瀬からの連絡はそれだけだった。


「? 別にすぐ持ってきてくれてもいいのにな?」


 小首を傾げる汐見に対し、佐藤は事情聴取の休憩中、汐見の手を握っていた自分に対して『今行きますからね』という合図だな、と即座に察していた。


〝ありがたいやら、恥ずかしいやら……〟


 少し赤面した自分とは対照的に全く何もわかっていない鈍ちん汐見を佐藤はじっとり眺めてしまう。


〝お前が彼くらいさとければ俺もこんな苦労はしてないんだろうな……〟


 だが、こうも思う。


〝でもだからこそ、なんだよな……自分に向けられる好意をわずらわしいと感じていたことにすら気づかなくて……おかしくなりかけてた俺に、大事なことを気づかせてくれたのもお前だから……〟


 佐藤はモテ期以降、付き合って欲しいと言われて付き合った女性に好意を寄せたことは皆無だった。だが、向けられる好意に反応するように付き合っていると、自分の中の何かが擦り減っていくような不可思議な消耗感を感じていた。

 相手から好かれている感覚はわかる。

 だが、その相手の好意に対して応え続けていると、いつの間にか自分も相手も疲労が溜まっていく。あの感覚がなんなのかよくわかっていなかったが、その相談を聞いた汐見に言語化されたことでようやくその正体らしきものが見えるようになった。


 汐見いわ

『……オレは恋愛ごとはお前ほどよくわからないんだが、その、なんつうか、お前の話聞いてると……【相手の好意に】って感じてるんじゃないか? お前自身が……』

 絶妙な言語感覚で言い当てられて衝撃を受けたことを、佐藤は今でも昨日のことのように覚えている。

 自分のことが好きな相手と付き合うのは簡単だし楽だ。佐藤に好意を寄せ、嫌われたくないと思っている相手が、佐藤の気持ちと行動を優先して最大限合わせてくれるからだ。

 だが、そうやってくる相手に合わせているうちに佐藤自身の感情がブラインドされ、自分の好意が介在しないのに合わせてくれようとする彼女にまた自分自身も合わせざるをえなくなっていき。

 そうなるともうどちらが悪いとも言えなくなるが、少なくとも好意を寄せてくれる相手に好意を抱けない自分に罪悪感を抱き始め、自責の念も相まって次第に心が呼吸困難に陥るのだ。

 そこで相手にも気づかれる。


『佐藤くんて、私のこと好きじゃないでしょ』


 好きだと言われて付き合っていくうちに好きになれればそれでいいんじゃないか、と最初は思っていた。だが、実際にそうやって付き合ってるうちに汐見より好きになれた女性は結局誰1人いなかった。

 佐藤と連れ添って歩く彼女たちのほとんどが、佐藤の内面ではなく外面だけを自慢するような態度だったからかもしれない。

 彼女たちは、自分のことを至極詳細に話してくれるが、彼女たちから佐藤自身について聞かれたことも話をしたこともほとんどなかったから。

 だからかもしれない。

 テレビ越しに観た【2人の〈春風〉】の告白を聞いても、汐見ほどの衝撃は受けなかったのは。


 〈春風〉の心の叫びは、佐藤自身が感じていたことでもあったからだ。



   ◇◇◇



「お邪魔しま~す」


 そう言って入ってきた柳瀬はキャスターのついた折りたたみ式の簡易ベッドをゴロゴロと引きずってきた。


「1畳は無いくらいなんですが……佐藤さん大きいですよね……足までは入ると思うんですが、背伸びするとベッドからはみ出ちゃうかも」

「それは別に気にしなくて大丈夫ですよ」

「そうですか?」

「はい」

「いや~、僕なんかこんなコンパクトサイズなので大きい人の悩みが逆にわかんなくて」

「そういや、佐藤のベッド、ちょっとデカイよな?」

「え?!」


 突っ込んだ汐見の発言に驚いた柳瀬が、思わず汐見と佐藤の顔を見比べていると佐藤は内心で苦笑した。


「あ~、アレは特注。ダブルにしようとしたんだけどサイズ変更もできますよ、って聞いてあのサイズにした。幅はクイーン(160cm)で長さだけ250ある」

「でかくて変なサイズ感だな、とは思ったんだが……」

「あ、あの……」


 そのやりとりを聞いて完全に 〝この人たち本当はデキてる?!〟 と勘違いした柳瀬が狼狽うろたえていると


「お前な、柳瀬さんが困ってるだろ」

「は? なにが?」


 全く気づいていない汐見と、気恥ずかしさが手伝って少し赤面する佐藤の顔を再度見た柳瀬、まだ20代の青二才。仕方ない、と佐藤は釈明することにした。


「こいつと俺は……その、ツーカーの同僚なんすよ。こいつが結婚してからはなくなったんですが、俺の家で歩けなくなるまで宅飲みすることがあって……」


 汐見に気づかれないよう柳瀬が佐藤にだけ見えるようにぱくぱくと合図を送る。


「ははは。いや、佐藤が『でかいベッド買ったから床に寝るなよ』って言い出して。間にでっかい抱き枕挟んで男2人で同じベッドで寝てたんですよ。そんな頻繁じゃ無いんですけど、オレ、家では畳間に布団だったんで佐藤のベッドが寝心地よくて、つい」


 鈍感にもほどがある汐見の話を聞いた柳瀬は


「お前が床に寝たら翌朝『体の節々が痛い』とか文句言うからだろ」


 憐れみの目で佐藤の気苦労をねぎらい、佐藤は寂しそうな表情でそれに返した。

 同じベッドで寝泊まりまでするのに佐藤の片想いなんて酷いにも程があるが、それを気づかれまいとしている佐藤のその悲壮ひそうたるや如何いかん


「ま、まあ、ソフレ? とかも流行するくらいなので? い、いいんじゃないですかね……」

「そふれ? なんですか、それ?」


 柳瀬が内心の狼狽を表に出さず佐藤を労わろうと発した言葉に対し、汐見が疑問を口にした。

 汐見に解説して良いものかどうか迷った柳瀬が佐藤に視線だけで助言を求めると、代わりに佐藤が口を開いた。


「添い寝する友達ってことだよ」

「へ?」

「セフレは知ってんだろ?」

「あ、ああ。オレには一生縁がないやつ」

「……それの、添い寝バージョン」


 よくわからない、という表情をした汐見に佐藤が助言する。


「お前はグゴれ。その方が早い。柳瀬さん、ありがとうございます。あとは自分でやりますから」

「あ、はい。そうですね、お願いします……あ! それと! 今日までは就寝時に点滴するので、邪魔にならないように佐藤さんのベッドは汐見さんの右側か足元でお願いします。寝る前にまたコールしてくださいね」

「わかりました」


 そう言って退室していく柳瀬は佐藤と汐見の関係に興味津々なのがモロバレだった。


〝こいつは、ホンっトに……〟


 佐藤に言われて律儀にスマホで検索している汐見は


「へ~~! 今はそういうシステムがあるのか! すごいな、それ!」


 世間知らず丸出しで感心しきりだった。


「……システムじゃねぇよ。ったく。誤解されるだろ」

「ん? 何を?」

「……」


〝こんッの! にぶちんが~~~っっ!!〟


 叫びたくなるのを喉元でグッとこらえた佐藤は


「もう寝るだけだろ! お前は歯磨きとかして来い! おら! 俺も今日はもう早めに寝るんだから!」


 誤魔化した。だが、少しだけ調べてわかった気になった汐見が


「そうか~。オレと佐藤はソフレだったんだな~。確かに」


 などと言ったものだから 〝違うわッッ!!〟 佐藤は心の中で盛大に総ツッコミを入れた。


 汐見との間には巨大なクレバス級の溝があるのを佐藤は自覚している。

 そして、それはきっとオリンピックレベルの幅跳びジャンパーでなければ飛び越えられないだろうし落ちたら即死だし、そうでなくとも落ちたら二度と這い上がれないな、と想像して佐藤は苦笑いするしかなかった。

 いちいち説明するのも面倒になって


「おい、早く歯磨きして来い。お前の後、俺も行く」

「お、わかった」


 手洗い場に向かう汐見を見送った佐藤は、トランクから自分の着替えとボディ専用の使い捨てウェットタオルを取り出してザッと全身を拭い、素早く寝巻き用のスウェットに着替え、汐見が戻ってくると交代で洗顔と歯磨きに向かった。

 個室に戻ってきた汐見がコールして就寝する旨を伝えると、程なくして珍しく別の看護師が点滴スタンドと点滴バッグを抱えてやって来て、汐見の様子を聞きながら処置を行い5分もせずに出て行った。


 佐藤が戻って来るまで何もすることがなくて、ぼーっと横になって点滴を見つめていた汐見は、何気なく室内の一際大きな白い壁にかけられたカレンダーを見た。

 そのカレンダーは奇しくも汐見家の寝室にあるものと全く同じものだった。


〝あぁ、そういえば今日は【あの日】だったんだな……〟


 感慨深くもあり、哀しくもあり、また───紗妃の心身に苦痛を与えていたのが自分だと知り……

 その自分との接触がなくなることで紗妃の負担は軽くなるだろう、と素直に安堵あんどした。


〝そうだな……紗妃とは、もう……〟


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