第29話 汐見と佐藤の出会い(3)ー 忘年会場を出て

 佐藤を道連れに会社に戻ったオレは手早く着替えた。


 宴会場からそれほどかからないから大丈夫だろうと思っていたが、濡れた部分から少しずつ冷たさが体を冷やしつつあったため仕上げに厚手のコートを羽織った。さて帰るとするか、と身支度を整えたオレに、まだシラフではなさそうな佐藤が軽いノリで二次会に誘ってきたのだ。


〝風呂に入りたいし、こんな美形と外でサシ飲みするのは勘弁したい……〟


 オレは注目を浴びるのに慣れてないし、そもそもこいつと一緒にいて釣り合いが取れるような顔も服も持ち合わせていない。

 そう考えて、つい、徒歩10分の自宅に誘うことになってしまった。


〝まぁいいか……しかしなぁ……〟


 クリスマスイルミネーションが年明けまで巻き付けられている街路樹が通りに沿って光る中、横を歩く顔面偏差値80越えのイケメンを見上げて思う。


〝こいつが女子だったらさぞ美人で人生イージーモードだったろうに……そしたらどこぞの金持ちと結婚してこんなうわさを立てられることも……〟


 なんて、らちも開かないことを考えながら、会話を始めた。


「しっかし、意外だなぁ」

「え? 何がですか?」

「うわさってのは当てにならないな、ってことだ」


 そう話し、つい、営業部に佐藤が夜遅くまで残ってたよな、ってことに言及した。

 その時、何をどう話したかあまり覚えていないが


「……周囲にいる人からの嫉妬や羨望から足を引っ張られることが多い。大きな組織にいる優秀な人間の宿命、だから……」


 すると突然───佐藤が泣き出してしまった───


「! え?! 佐藤さん?!」


 美形の涙にびっくりしたオレは宴会場での『鈴木』先輩以上に狼狽えた。

 だってそうだろう?

 隣で歩いてたオレより10センチも長身の美男の、けぶるような栗色のまつ毛の下、少し垂れた目からポロポロと涙が零れ落ちてくるのだ。ズズっと鼻をすする音まで聞こえきたかと思うと、とうとう佐藤は立ち止まってしまった。


〝女性でなくてよかった……オレが泣かせたと思われる……〟


 ちょいちょい、と佐藤のジャケットの裾を引っ張って、光り方の弱い1本の街路樹を見つけてその影まで誘導し、少しでも目立たないように隠す。


〝……女性だったら、なぁ……〟


 こんな弱ってる異性がいたら、思わず抱きしめてしまって間違いが起こったやもしれない。いやいや、弱ってる異性を手込めにするのは不謹慎だろと思いながら。

 でもこの時のオレは別に同性云々を気にしていたわけじゃない。同性愛にも偏見はない。だが、それはオレが同性愛者に見向きもされないと思ってるからだろうと思うし、佐藤だって女性にモテまくりで常に彼女がいると聞いていたので、お互い同性に性的なことを感じる人種ではないだろうと思っていたのだ。

 オレはしばし、映画のワンシーンのような佐藤の「泣き」を少し斜め下から見上げていた。


〝あ。そういや、さっきメガネ拭いたハンカチが……〟


 着替え一式の中にハンカチも突っ込んでいたことを思い出し、急いでビニール袋を取り出して少し日本酒の匂いが残るそれを佐藤に差し出した。


「さっき拭いたから日本酒の匂いはするけど、多分そんなに染みてないから」


 そう言うと、コクコクと頷いた佐藤は素直にそのハンカチを受け取って目元をおさえた。


〝美形って何やっても絵になるな……〟


 女であるとか男であるとかを超越するんだな、美人は。というのがその日最大の結論だった。


 泣き止まない佐藤を連れて歩くのは少し目立つが、仕事納めの年末の夜に、このまま外にいると2人揃って風邪を引きそうだ。各種一次会場は大いに盛り上がっているだろうが、二次会に向かうには少し早い時間帯だったため人通りは若干まばらだった。

 アパートまでそんなに時間はかからないから、と促すと、佐藤はようやくしゃくりあげるだけになり、泣き声は収まっていった。

 大の男、しかも高身長で芸能人並みの美形、がこんなに泣いてるのを初めて見た。いや、人前で泣く成人男性を見たのは生まれて初めてだったかもしれない。

 あまりの出来事に、オレの隣で何が起こってるんだ……と考えながら歩いていると、程なくしてアパートに到着した。


 オレのアパートは、自慢じゃないが狭い。6畳2間の2Kだ。かろうじてバストイレはあるが、それもユニットバス。会社に近いというのが最大の条件で、家賃が負担にならない程度ならいい、どうせ寝に帰るだけの場所なんだから、という気持ちで借りた築40年の賃貸アパートだ。

 その奥の畳間に半畳ほどの小さな折り畳みテーブルが鎮座し、就寝時にはそれを片付けて押し入れから布団を出す。それでも特に不自由はしてなかった。3日ほぼ連徹して帰ってきた時はテーブルを片すのも面倒でそのまま畳間に倒れて朝まで寝てしまい、危うくデスマーチのピーク時に風邪をひきそうになったこともある。


 そんな部屋の中、部屋の主であるオレと、まだしゃくりあげている長身の佐藤は、半畳ほどの座卓をL字になって隣に座り、オレは美形が話せるくらいになるまで泣き止むのを、そばで待っていた。


 すると───


「ず、ずびばぜん……ごんな……」

「うん……」

「どづぜん、おじゃま、じでるぶんざい、で……」


 涙声が若干ダミ声で、泣き濡れた美形の顔面の口元から出てくる濁音混じりの声に、ちょっと笑いそうになった。だが、ここで笑うのはいかん! と気を引き締め、神妙な顔をして顔だけで下から佐藤の顔を覗き込んだ。


「よくわからんが……仕事、辛かったりするのか?」


 悩みを聞くと言うか……オレ自身があまり覚えてもいないようなありきたりな言葉で泣いてしまうくらいだ。多分、抱えてるものが多いか、悩みが深いんだろうと思ったのだ。


「……」


 沈黙したままの佐藤を見ながらオレが続けると


「いや、話したくなければいい……初対面も同然のオレに何がわかるんだ、って話だしな……」

「! ッぢがゔんでず!」


 鼻にかかった濁音で否定して佐藤はオレを見た。


「逆でず……オレ……僕……ごんなごど……迷惑がど……」

「迷惑?』

「だっで……初対面、な”の”に”……」


〝あぁ~……こいつ……〟


 本質的に優しい人間───というのは自分を後回しにする。

 相手を重んじるあまり、迷惑じゃないか、重すぎるんじゃないか、そこまでして嫌われやしないかと、そればかり考えて後手に回るのだ。

 どうしてそんな男が営業ナンバーワンになれるんだ? 図々しいほどじゃなければ営業マンとして仕事はできないんじゃないのか? そう思ったとき


「ぼ……僕、会社、やめようと思ってて……」

「え??!!」


 ようやくダミ声から抜け出せたらしい。が、その内容にびっくりしたのはオレの方だった。

 美男の目は真っ赤に腫れ、鼻頭も赤くなり、鼻下にはまだ水滴がついていた。


〝こんな色男が……〟


 泣きすぎた佐藤の顔は涙でぐしょぐしょで鼻水は垂れるわ、ついでに涎もちょっと出ている。


〝せっかくのイケメンが台無しだろ……〟


 そう思いながら、佐藤の次の言葉を待ってると、佐藤が顔を上げた。


「僕……あの先輩からずっと嫌がらせ、受けてて……」

〝だろうな。っつか知ってる〟


 ぼうっと虚空を見つめて訥々とつとつと語り始める佐藤の横顔を、オレはただ眺めていた。


「でも、頑張って、営業で、ちゃんと、結果、出して……」

〝そうだな。それも、今日わかった〟


 涙はおさまっているが、声にはまだ宴会場のときのようなハリがない。


「だけど、嫌がらせ、減らなくって……」

〝だよな。『鈴木』は開発まで来てペラッペラ『佐藤』の悪口言いふらすまでやってたしな〟


 さっきオレに酒をかけやがった『鈴木』を思い出したオレは顔をしかめた。


「【枕】なんか、して、ない……」

〝だろうな。さっき聞いた話だと……そんな時間、ないよな……〟


 もう『鈴木』【先輩】ですらない、オレの中では【スズキやろう】でいいな。と思いつつ


「最初は……面倒見のいい人、だった、のに……」

〝ん? そうだった、のか??〟


 そんな感じは全く受けないんだが


「ある時から突然……」

〝ある時……〟


 その【時】が気になって思わず合いの手をいれた。


「……心当たり、ないのか?」


 ちら、と佐藤がこちらを見た。


「わからなかった、んです……その時、は……」

〝その時、ってことは……〟


「? 最近、わかった?」

「はい……」

「なんだったんだ?」

「……」


 佐藤が俯いたので、無意識にまつげの長さを目測で測って


〝まつげのカーブを伸ばしたら3センチくらいありそうだな〟 と無関係なことを考えていた。


「僕……が去年……年末まで、付き合ってた彼女、が……」


 うん、うん、と促すようにオレはゆっくり頷いて、佐藤が話しやすいよう注意を払う。


「先輩と……付き合ってた、らしく、て……」

「は?!」


〝ちょっと待て?!〟


 思いも寄らない情報に一瞬、脳がバグった。


「僕、二股、かけられてた、みたいで……」


〝なんだそりゃ?! 社内で二股?! マジで?! ンな大胆な……!〟


 ごくり、と唾を飲み込むと


「おい……そ、そんなことしたらバレるし、目立つだろう?」

「はい……ただ……その元カノ、先輩と付き合ってるの、隠してたらしくって……」


〝あ、ぁあぁ~~~……これは……佐藤自身の問題じゃなくて……〟


「先輩、彼女さんから『佐藤と付き合うことになったから別れる』って振られたらしくて……それから……だったみたい、です」


〝ぁあ……気の毒に……〟


 つまり、この時まで良い先輩に指導され社内恋愛もできて順調に見えた佐藤に、人災が一気に降りかかったのだ。

 信頼して面倒見のよかったスズキ先輩が隠れて付き合っていた彼女が自分に告白した。それと同時に、佐藤と付き合えることになった彼女は、社内1見栄えの良い佐藤に乗り換えるため、同じ営業部で佐藤を指導してるであろう先輩本人に別れを告げた。

 おそらく、その元カノ自身、付き合う前の佐藤の情報をスズキ本人からなんらかの情報を得ていて実際に見て気に入って乗り換えることにしたんだろう。


〝最っ低なクズどもの最悪なド修羅場に無自覚な佐藤が巻き込まれただけじゃないか……!〟


 つまり、外見だけ、見た目の良さばかりの魅力を優先するような人間、それも恋人同士だった1組の男女に佐藤は両足もろとも引っ張られるどころか引っ掛けられ、引きずり倒された。

 それどころか……


〝社内で信頼している人間を一気に2人とも失った……ってこと、か……〟


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