第28話 汐見と佐藤の出会い(2)ー 忘年会の席で
忘年会の席で隣り合った佐藤は、最初こそ緊張していて乾杯する手もちょっと震えている気がした。
ホテルの大宴会場を貸し切って行われる盛大な忘年会では、丸テーブルに乗った、テーブルより小さめの回転式の台の上に中華のフルコースが次々と運ばれてくる。その給仕の女性も佐藤を見て一瞬立ち止まる程だったが、佐藤は素知らぬ顔をしてテーブルの上から自分の分の料理を取ると、黙々と食べ始めた。
同じテーブルに座ったのはオレと佐藤を含めて8名。オレ、佐藤、男1人、他5名が女性という、女子率の高いテーブルになっていた。〝くじ引きだったんじゃないの?〟 というヒソヒソとした女性たちの 〝愛宕先輩がどうしても、ってことで無理矢理入ってきたらしいよ〟 などと言い出す小声が否応なしに耳に入ってくる。いやいや、君たち。聞こえてますよ?
要するに本来くじ引きだったはずのテーブル席の人数配分なども含めて、後で何らかの取引が女子側にはあったらしい。理由は一目瞭然。この隣席にいるルッキングのすごい男と同じテーブルを囲みたいがためだ。
〝オレが代わってやってもよかったのに。悪いことしたな〟
丸テーブルには、オレ・佐藤・女子1・女子2・男1・女子3・女子4・女子5、そしてオレ、となっていた。つまり佐藤の隣にオレがいなければ、女子二人が佐藤のそばに座ることが可能だったわけで、4人の女子のチャンスを奪ってしまったわけだ。
ところが、当の佐藤と言えば、座ってからすぐに浮かない顔をしていた。乾杯を先に隣の女子から済ませた後、オレに乾杯してからというもの、ずっとオレの方に体を向けて食事をし始めたのだ。
〝営業っつうから『鈴木』みたいにおしゃべりなのかと思ったんだが……〟
弾丸トークが飛び出すことを期待していたが、期待外れだったようだ。料理を取りつつ若干俯き加減でモソモソと食事を取り始めたのも意外だった。
〝……なんか……聞いてたのと違うな……〟
『鈴木』のいう【うわさ】では「口八丁手八丁で相手をたらし込むのが得意で、ルックスも相まって女連中はメロメロ。気づけば周囲にいる女はみ~んな佐藤の虜。佐藤がいるとその場にいる他の男は全員モブに成り下がるんだ、やってらんねえよな」 ってことだった。
〝そんな風には見えないな……〟
とりあえず、隣にいる男をちらっと観察してみた。ちなみに、この時はまだ正面から見る勇気はなかった。むさ苦しい男ばかりいるような学部学科や、部活動ばかりしていたせいかもしれないが、小中高大・新卒入社の企業でもこんな美形にはお目にかかったことなどなかったからだ。つまり男といえど、美人に耐性がなかった、という話。
『それにあいつ、営業のくせに日本酒が飲めないんだぜ! 悪酔いするから飲みたくない、つってさ! 女子かっつうの!』と『鈴木』からはアルハラまで飛び出す始末で『オレはお前の方こそ開発部を出禁にしてやりたいんだが?』と内心思いながらぐっと堪えていた。
せっかく給料も待遇も良い企業に第二新卒で転職できたのに、転職3ヶ月弱で営業部トップ3に入る『鈴木』先輩に目をつけられるのはちょっと勘弁したかった。幸いにして当の『鈴木』先輩はオレたちのテーブルから一番遠いところにいたので、今日は大丈夫だろうと思ったのだ。
料理を食べ終えた佐藤が、今度は注文した酎ハイをちびちびと飲み始めたので、少し話しかけてみた。
「すみません、佐藤さん、ですよね? 僕、9月下旬に入社した汐見って言います。初めまして、ですよね?」
「あ、えと、え、はい、はじめまして。汐見さんのうわさはかねがね……」
「うわさ?」
「あ、はい。なんか……凄い人が入社してきた、って聞いてます」
〝よくないうわさではないのか。よかった……でも
ちびちび飲んでる佐藤の顔が少し赤らんでいた。日本酒は飲めないと聞いていたのに酎ハイはいける、ってどういうことだ? と思い
「今飲んでるの、それ酎ハイ?」
「あ、はい。そうです」
「飲めるんだ?」
「え?」
「あ、いや、そうだよな。営業だもんな」
〝しまった……! 知らない体で聞けばよかった……〟
人間の先入観はヤバイ───
聞き耳を立てて聞いたうわさばかりだったが、佐藤とは初対面同然のはずなのに初対面の気がしない。しかもあらかじめ聞いていた「佐藤」に関する悪い印象が先行してるので、聞いていた悪い情報と、実際の印象との違いに若干頭が混乱していたのだ。
頭をかきながら弁解した。しかも少々、捏造つきで。
「いや、その、開発にいる太田? 佐藤さんと同期なんだろう? 色々話を聞いてたんだ。お酒が飲めないって」
〝太田、すまん!〟
本当に聞いたのは『鈴木』先輩だったし、「酒」なんて大きな主語じゃなく「日本酒」だったが。そのとき興味津々で佐藤に聞いてしまった罪悪感が若干入っていたのは確かだ。
「すまん。僕は佐藤さんに先入観が入ってるかもしれない。気を悪くしたら謝る」
「え? 気を悪くする? 僕が?」
「なんか……佐藤さんの話は色々聞いてるから……」
「あぁ、そうですよね。僕は【顔だけ男】って呼ばれてるんですよ。それも、ご存じでした?」
その言葉にはっとしたオレは初めてまともに正面から佐藤の顔を見た。
すると、美形が顔を歪めて自虐的に笑っていた。顔を歪めている美形は、まだ確かに美形だった。ただし、今にも泣き出しそうだった。
〝あ……これ、は……〟
流言飛語が飛び交うのは大組織の常だ。だが、それを本人に「本当のところどうなの?」と質問できるのは少なくとも気の知れた相手でなければ。
このとき佐藤と初対面同然のオレがそんなことを確かめるのはちょっと違うだろ、と思った。だけど……
「僕は、汐見さんのすごい話を聞いてます。今日、隣席できて、本当によかったと思ってます」
「あ、ありがとう……」
「あの案件、片付けてくれたなんて、すごいです。本当に。大変だったんじゃないですか?」
「あ、あぁ……」
そこで小1時間ほど2人で会話をすると、うわさの『佐藤』がうわさとは全く違う優秀な人間であり、営業の『鈴木』の話がまるででたらめだった、ということが判明した。そもそも営業部にマクロ内部のコード部分が触れるほどデキる人材がいるなんて聞いてない。
「僕なんて、少し手直しするってくらいです。もともとプログラマーに職種転向希望だった先輩から聞き
全然嫌味じゃない謙遜すらいっそ清々しかった。
〝ああ、オレはなんて馬鹿なんだ……〟
一時期……いや、一瞬でもあんな悪口雑言だらけの「鈴木先輩」が言ってたうわさを信じた自分を恥じた。「佐藤」が本当に「枕」をやるような男で、「鈴木先輩」とやらが優秀だというのなら「佐藤」の方が「鈴木先輩」の悪口を言いふらしに来ただろうに。
慣れとは怖い。
「鈴木先輩」の連日の陰口に付き合わされていた開発部は、まんまと「鈴木先輩」の思惑(洗脳)にかかり【佐藤は、仕事のできないルックスだけの枕野郎】という固定概念が出来上がってしまっていたのだ。
〝オレともあろうものが……〟
実力主義とは言わずとも、オレは外面よりも中身を優先するのをポリシーにしていた。とするとやはり、外見のいい同性に対する嫉妬や偏見が多少はあったのかもしれない。そういったことは再度修正していかないと……と内省し、年が明けたら上長に相談して【鈴木が開発部に来ないようやんわり諭してほしい】とお願いしようと思った。
だから、その『鈴木』先輩が向こうから歩いてくるのを見て嫌な予感がしたのだ。
「おい、佐藤! お前、今月も2位だったんだってな?」
千鳥足の『鈴木』先輩は完全に酔っ払っていた。しかも明らかに酒の匂いがぷんぷんする。
〝こいつ……しこたま飲んでんな……〟
日本酒特有の酒臭さが漂っていた。
「おい! 無視すんな佐藤! お前、オレのこと馬鹿にしてんだろう!」
そして……オレはつい、佐藤を庇って
ッバシャッ!!
日本酒をぶっかけられた。
そのオレの姿を見た佐藤が青ざめている。そりゃそうだ。『鈴木』先輩はオレじゃなくて佐藤にぶっかけるつもりだったはずだ。
『鈴木』先輩の狼狽ぶりに、逆にオレは落ち着いてきた。
〝この手の輩は最初に
『鈴木』先輩の行動は明らかに悪意のあるソレだった。
いい加減、開発部に来ては営業部内部の話をあれこれベラベラくっちゃべっていたこいつが大嫌いな人種であることを改めて認識し腹にすえかねていたオレは、酒がかかったメガネをゆっくり外してハンカチで拭きながら、据わった目で『鈴木』先輩を睨みつけた。
「……先輩……酒は飲むものであって、かけるものじゃないですよ。地蔵じゃあるまいし」
「お、俺は、お前じゃなくて佐藤に……」
「佐藤さんだって、地蔵じゃないでしょう。いくら酔ってるからってちょっとやりすぎじゃないですか?」
別にオレは特別正義感があるわけじゃない。だが、このまま放っておけなかった。
佐藤がみるみるうちに青ざめていくのを見て、頭も体も冷めていき、冷静さに拍車がかかっていく。
睨むオレ、
三者三様、三つ巴の
一悶着ありそうな気配を察知した女性の先輩社員がオレたちのテーブルに来て、傍若無人な『鈴木』先輩をその場から連れ出してくれたため、その場はひとまずことなきを得た。
オレと佐藤はほっと息を吐き、互いに顔を見合わせてひとしきり笑い合った。
せいせいしたが、濡れたまま帰宅するのも嫌だったので、社に戻る方が早いと思い、着替えてから帰るから伝言を頼む、と告げて出ようとすると、案外押しの強い佐藤が会社まで同行することになった。
この時に【Suger And Salt】なんてコンビ名までいただいたのだ。
宴会場は会社からオレのアパートとは反対方向で、社まで戻るのに歩いて2分だから一旦会社に戻って着替えるか、と思ったのだが、後で考えるとそのまま帰ってもよかったな。とも思った。
この時、直帰することを選択していれば、佐藤と親しくなることはなく、佐藤は会社を退職し、オレたちにはなんの接点も無くその後を過ごし──未来は変わっていただろう──
この、1年の仕事納めの日に、咄嗟にでも『一旦、社に戻る』という選択をしたオレはものすごいでかい分岐点のルート選択をしたと思っている。
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