第26話 事情聴取(5)ー 悲しい子鳥(後編)

 4画面のうち、最も紗妃の表情がわかる画面だけを選択して声が被せられ、紗妃だけが映っている通常の録画映像と変わらない状態で再生が始まる───


『そう、そうよね。私が結婚してしまったのがいけなかったんだわ。だって、隆さんは必ず離婚するから、それまで待ってて、って言ってたもの』


『でもそうするとママとの約束が守れなかった……だってママは24までに結婚してねって言ってたわ……』


『待ってればよかったのよ、だって、隆さんしかいない! って思ったじゃない。あんただって、私を解ってくれるのは隆さんだけだ! って思ったでしょ?』


『そうだけど、でもママが……』


『ママが、じゃなくて、私が! どう思うかじゃない!』


『そうかもしれないけど……』


『それに! 私はプロカノやってたA未にだけは負けたくなかったの! A未が結婚した芸能人のK君は、ご実家も華族のお金持ちっていうし、シンガポールと香港に別荘を持ってるってイソスタで自慢してたのよ! 歴代彼氏でK君に勝てるイケメンで金持ちだったのは隆さんしかいなかったでしょ!』


『そんなこと……』


『私には隆さんしかいないの!』


『……隆さんが【好き】なの?』


『好きよ?! 私に「愛してる」「可愛い」「綺麗だ」「こんなにも運命を感じた人はいない」って毎日言ってくれるのよ!? そんな人を好きにならないわけがある?!』


『……本当? あなたのその【好き】は……』


『あんただって、そう言ってたじゃない! こんなに言葉にしてくれる人はいない!って!』


『……そうだったかもしれない。……でも……』


『でも! じゃないわ! そう! なのよ! 隆さんが私の【運命の人】なの!』


『……でも彼は結婚してるわ……』


『離婚するって言ってたわ! もう離婚できるよって言ってたんだから!』


『……4年前も彼、そう言ってたわ……』


『4年前は失敗しただけ! 奥さんにバレなければ上手くいってた!』


『……不倫がバレないまま離婚して、バツイチになった彼と再婚した、ってこと?』


『そうよ! 知ってるでしょ? 三浦家ってすっごい資産家なのよ! 華族の傍系ぼうけいで地元に山を複数所有してるんですって!』


『……本当、に?』


『ご実家にも連れてってもらったわ! その時はたまたまご両親が不在でご挨拶はできなかったけど! ご実家も日本家屋の豪邸で、凄かったんだから!』


『……でも……【汐見さん】はどうするの? だって貴女が結婚したのは【汐見さん】よ……』


『【つなぎ】って言ったでしょ! 隆さんが離婚して私と結婚するまでの、単なる【つなぎ】! 本当は社内1イケメンの佐藤さん狙いだったのに! 彼誘っても、絶対私と2人っきりになってくれなかったから!』


『……それは、だって……』


『それはもう良い! 佐藤さんにアプローチしてたら【汐見】が釣れて、結婚したいって言い出してくれたんだから! おかげで、ママのお話通り24には結婚できたんだから、それでいいじゃない!』


『……でも【汐見さん】とは夫婦なのよ……』


『離婚してしまえば夫婦じゃなくなるわ! 子供もいないんだから!』


『……【汐見さん】と、子供を作るって……約束、を』


『でも、できなかった!』


『……「家族になろう」って話してたの、聞いてたわ』


『家族? 【家族】ってナニ? ママもそう言ってたけどね? あんたに何がわかるの?』


『……【家族】って……』


『はっ! 【家族】?! たった1人の【家族】だったママに毎日ひどいこと言われて! 毎日毎日否定ばっかりされて! あんたには顔以外に良いところなんか1つもないって! 女の子は可愛ければそれで人生成功するんだからって! 4年制大学に行く必要なんかないんだって! だから、そうしたんでしょ?! あんたがママの良い子でいたかったから!』


『……』


『私は被害者よ! ママの良い子でいるための道具だった! ママのご機嫌きげん取りの道具! いっつも! ママママママママママ! あんたの中にママが何人いるのよ! 良い加減にして! 私はママなんか要らない! あんな人なんか要らないの!』


『……ちがう、ちがうわ』


『誰もわかってくれなかった! そんな時に隆さんだけはわかってくれた! お母さんに酷いことされたんだね、僕はちゃんとわかってるからね、僕もそうだったから、って! 言ってくれたのは隆さんだけだったの!』


『……人には、みんな色んな事情があって……』


『事情? そんなの知らないわ! 私を称賛しょうさんしない他人に価値なんてない! どうして私がそんなこと考えないといけないの?! 私には私を輝かせてくれる隆さんがいればいいの!』


『……輝かせるって……隆さんを【利用】するのね……』


『【利用】する? それの何がいけないの?! 隆さんだって私を【利用】してる! 年上の奥さんがいるくせに! 若くて美人な私を連れ歩いて友達に自慢してる! 同じことをやってるだけよ! 何がいけないの?!』


『……そうやって、誰かを踏み台にして輝くことで……貴女は幸せになれるの?』


『は! 幸せになれるか? ですって?! あんたの幸せでもあるでしょ! あんたと私は同じ人間なんだから!』


『……もう子供じゃないの、きちんと……』


『私は悪くない! 私は正しい! 私は完璧なの! 正しくないのはこの世界の方よ!』


『ちがう、違うの……完璧な人間なんていない、だからこそ内面を磨いて、人として……』


『内面を磨く?! はっ! なにその綺麗事! 男も女も皆! 全員! だ~れも内面なんて見ちゃいなかったじゃない! 人は見た目が10割よ! 内面を磨く努力なんか時間とお金と労力の無駄! なんの意味もなかったわ!』


『そんなことない……少なくとも【汐見さん】は……』


『男はね! 結婚相手の女を【タダ無料でエッチさせてくれる住み込み家政婦】としか思ってないの! だから、たくさん稼いできて一生安心して生活させてくれる男を若くて美人な私が選ぶのは当然の権利なの! 努力して可愛いを磨いて、そういう男をゲットするのが今の世の中では常識なの!』


『……そんな、こと……』


『【汐見】だってそうよ! 毎月、「あの日」だけは早く帰ってきて! それが目的なんでしょ!? 気持ち悪い!!』


『ちがう……【汐見さん】は違う……』


『そんなこと、わかるもんか!』


『そんなこと……』


『ねえ、あんた、覚えてる? 短大生の頃、めちゃくちゃチヤホヤされたわね? 人生最高の時期だった!』


『それは……』


『モテたわよ! でもそれだけ! 男は10代から80代のおじいちゃんまでみ~~~んな若くて可愛い女の子とエッチしたいだけ! 連れて歩いて自慢したいだけ! それに学生なんてみ~~~んな貧乏で! プレゼントに一万円のネックレス?! はっ!バッカじゃないの?! 金持ちじゃない男なんて結婚相手にお呼びじゃないっての!』


『……誠実で、優しい人もいたわ……』


『誠実?! 優しい?! 誠実で優しいだけの男に何ができるの!? 優しさでお腹がいっぱいになる?! 生活が楽になる?! ママと2人で暮らしてた時みたいにまた寒くてひもじい思いをして過ごすの?! 絶対に、嫌!!』


『……』


『いいじゃない! 女でルックス良く生まれて! ラッキーよ! 若くて可愛いければどんな男からも結婚してくれって言われるんだから! そうやって言われてる間に30代の金持ちイケメンを捕まえて結婚すれば誰よりも幸せになれるんだから!』


『……でも、違う、って思ったわ』


『違わない! K未は勝ち逃げしたけど、M衣には勝てるわ! M衣は結局そこらへんのサラリーマンとしか結婚できなかった! あれだけイキって金持ちイケメンとの写真をイソスタにガンガンUPしてたのに! ざまぁみろって感じよ!』


『……【汐見さん】もサラリーマンよ』


『だから離婚するの! あの人はもう用済みよ! 【汐見】がいなくなれば、隆さんと結婚して! 一流セレブの仲間入りよ!私はまた勝ち組に返り咲くのよ!』


『……そんなこと……上手くいかないわ……もっとひどいことに……』


『あんた、私が負け組になっても良いっていうの?!』


『……違う……違うわ……でも誰かと比べてると、きっと貴方も私も不幸に』


『うるさいっ!!』


『……このままでは【私達】は幸せになれな』


『うるさいっ! うるさいっっ!!』


『……ちゃんと、考えて』


『消えろ! 消えろッ! 消えろ~~ッ!!』


『……比べることでしか満たされない人は、一生幸せになれないって』


『だまれ~~~ッッ!!!』



 ぶんぶんと体を振り回すように紗妃はぐるぐると歩き回り───

 そのうちに───落ちている書類を踏み───

 ガツっ!

 バタン!!


 ───映像を観ていた四人がそれぞれに、汐見の妻・紗妃の過去と、そうなっていった状況、そして今の彼女の病理の原因に思いを馳せた。


「「「……」」」


 その中で、唯一、当事者である汐見は顔色が完全に抜けて───死相というものがあるなら多分これがそうだ、という顔だ。


「し、汐見?!」

「っう……さと、そこ、の……」


〝!〟


 阿吽あうんの呼吸さながらに、佐藤が咄嗟とっさにボウルを鷲掴わしづかんで汐見の顔面に差し出し


「っぐぶ、ゔぅ、ゔぅぅぅ……」


 顔を突っ込んだ汐見は胃の中のものを全部吐き出した。

 吐瀉物には未消化だったものだけでなく、消化しかけのものまで入っていて、胃の中がからっぽになったのが汐見にはわかった。

 目に滴るものを感じた汐見はそのまま──ブラックアウトした──


〝紗妃……お義母さん……〟

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