第25話 事情聴取(4)ー 悲しい子鳥(前編)
でっぷり刑事は指揮官にでもなったように話すと、点滴処置を終えた柳瀬をジロリと一睨みして退室を促す。
それにも怯まない柳瀬が
「あまり無理はしないでくださいね! 怪我人なので!」
患者の体調第一! と牽制した。
「……んん、おほん」
「……点滴……大丈夫ですか?」
我関せずなでっぷり刑事と違って、大男刑事は割と人間らしいようだ。
「あ、あぁ、はい。大丈夫です。よね? やなせくん」
「あ、はい! えっと、滴下が終わったら呼んでください。お話、中断させちゃうかもしれないですが……」
「ああ、それは構わんよ」
柳瀬は目を眇めて横柄なでっぷり刑事を見た後、汐見に向き直って笑顔で
「はい、じゃあ、僕はまた後で!」
元気よく退室した。2人組の刑事も少しリフレッシュしたような顔をしていた。
「まぁでも残りはリビングで1人になった奥さんが何を言ってたか確認するだけ、ですな?」
「……えぇ、そう、です……」
汐見のそれは元気がないというより、覇気の無い声だ。
「そういえば、音声だけのデータってことはマイクが別のどこかに?」
「はい。夫婦でよく会話するのはリビング……食事の席でのことが多かったので、テーブルの天板を少しくり抜いてセットしてました。音感センサー付きのものを自作して……音がすると録音が始まるんです」
「はぁ~、最近は便利ですな~。そんなものが警察じゃなくても入手できてしかも自分で作れるとは……しかし、まぁなんですか汐見さんはそういうこともお仕事で?」
「いえ、仕事ではそういうのは……一応エンジニアの端くれですし……そういう電子機器や機械工作は好きな方なので……」
仕事熱心なエンジニアで物作りが嫌いな人間はそうそういない。だからそういった事に手を出すのも苦ではなかった。なので低予算かつ自分の勉強にもなる、とBlueberryPiというマイクロPCを使った電子工作に必要な部品やソースを足して自作した。ただし、データ容量が今ひとつ足りず1週間程度しか蓄積できないのが玉に
は~っと、一息ついた後、でっぷり腹刑事・米山が
「じゃあ、始めるとしますか。音声データの方を再生してもらって……」
そう言うと、大男がでかい手を自分の顎にかけて質問した。
「その……音声だけだと、奥さんの状況ってよくわからないと思うんですよね。何かそういうアレってできないですかね?」
「アレ? とは?」
要領を得ない質問をした大男に汐見が質問で返す。すると佐藤が
「……映像……動画と音声を
こう言いたいのではないか? と合いの手を入れる。
「ああ! そう! そういうヤツです!」
「被せる……合成ってことか?」
「そう、そういう感じの、合成です!」
汐見が佐藤に確認するように顔を見上げると、喜色満面になった佐藤がようやく自分の出番だとばかりに自分のスマホを取り出した。
「多分、えっと、待てよ。俺そういうのできるアプリ持ってる」
「へぇ、お前、そんなもの使ってるのか。意外だな」
「はは、まぁな」
〝お前にも、ましてやこの2人(刑事)には絶対に言えないけどな……色々やっちまってるから……〟
いわゆる警察に言えばお縄になるような色々、だ。
ともあれ、その動画と音声を合成するアプリを紹介し、すぐさま汐見のスマホにダウンロード後インストールした。
佐藤が若干の操作説明を加えていると汐見が刑事に聞く。
「必要なのは紗妃……妻が1人リビングにいるところ、だけで大丈夫ですよね?」
「ああ、そうですな」
そう答えられ、佐藤が汐見に確認した。
「5分くらい? だったら多分スマホでも数分でコンバートできると思う」
「そうか?」
コンバートとはデータや信号などをある型式から別の形式に変換する処理のことだ。秒単位まで動画の時間を確認し、必要部分だけ切り取ってコピーする。そして、他のクラウドから見える音声データの日時を確認して、その時間分だけをまた秒単位でコピーする。
それらをアプリの画面上、定位置に貼り付けてコンバート開始。
待つ事3分。
即席で、音声データつき動画が完成した。
「……すごい。最近はスマホでこんな事もできるんですね…」
興味津々で操作を覗き込んでいた大男が関心して言った。
「さて、じゃあ、観てみますか」
「……はい」
何気なく汐見の顔を見た佐藤は、汐見が泣きそうになっているような気がした。
そして──音声付き動画が再生された────
紗妃が焦点の合わない目で、テーブルを見つめている。
それから───彼女の声が聞こえ始めた。
『そう、そうよね。私が結婚してしまったのがいけなかったんだわ。だって、隆さんは必ず離婚するから、それまで待ってて、って言ってたもの』
少し高めの紗妃の声。隆とは、【夢の中の夫】であり現実にはW不倫している既婚者の【彼】
『でもそうするとママとの約束が守れなかった。だってママは24までに結婚してねって言ってたもの』
先の声とは少しトーンの違う落ち着いた声。
〝? 誰だ?〟
佐藤だけでなく、刑事2人も顔を見合わせる。そしてまた可愛らしい紗妃の声。
『でも、隆さんが今僕は妻と不仲だから、君との
『でも隆さんは、私が24までに離婚するのは無理だって言ってた……』
〝!? 2人?〟
佐藤が汐見を伺うと、同じ画面を観ている汐見がみるみるうちに青ざめていく。
『待ってればよかったのよ、だって、隆さんしかいない!って思ったじゃない。あんただって、私を解ってくれるのは隆さんだけだ!って思ったでしょ?』
『そうだけど、でもママが……』
汐見が驚愕に目を見開く。それは常に強面のままあまり表情を表面に出すことのない汐見には
顔面から血の気が引き、その顔色は過去最高に悪い。
「汐見……これ……」
「……」
画面に映っているのは汐見潮の妻・紗妃1人。
だが聞こえてくる音声は2人。
いや、正確にはちゃんと紗妃本人の声だ。
だが、この映像を観ている人間には、どう聞いてももう1人いるほどの臨場感を感じさせる。
「……
でっぷり刑事が画面を見ながら呟くと、それを聞いた汐見が、ゆっくり、観念したように頷いた。
「かいり、せい?」
意味がわからずに呟いた佐藤に
「……今は現場ではあまり使われませんが、以前は【多重人格障害】と呼ばれていた精神障害です」
「!!!」
大男が冷静に答えた。
佐藤が汐見を確認すると、汐見は画面を呆然と観ていた。
「……マルセイで、確定か……」
「……そう、ですね……」
その間も、画面上では『2人』の会話が続く。
汐見はもう限界に感じられた。
〝まさか……【これ】が……何度も……?!〟
様子を見ていた大男が、汐見の状態を
「ちょっと一旦止めましょう。汐見さん、大丈夫ですか?」
映像を一時停止するように言った。
「……だい、丈夫、です……」
「奥さんの、この状態は……」
「……」
「汐見……」
音がほとんど聞こえない動画を観ている時はほぼ無表情だった汐見が、この音声を聞く前からおかしくなっていた。
つまり、それは 〝このせい〟 だったのだ。
佐藤が提案する。
「……後半のこの部分だけ、後日、ではダメでしょうか? このままでは……」
刑事2人は目を合わせて相談している。しかし汐見は
「いえ、大丈夫です。今やりましょう」
気丈にも、後日やる提案を拒否した。
「汐見……」
「大丈夫だ、ありがとう佐藤。その……お前の肩、
汐見が佐藤に縋るように小さな助けを求めた。
「!! あ、ああ! もちろん!」
〝あぁ、汐見!〟
汐見のささやかな要求に佐藤は胸が張り裂けそうになる。
もっと頼って欲しいのに、汐見は絶対に寄り掛かったりしない。
自分は立ったまま、少しだけ肩を貸してくれと、そんな些細なことしか望まない。
「すみません、何かに捕まってると安心できるので、この姿勢でもいいですか?」
誰かに触れていると安心できる。それはオキシトシンが分泌されるからだ。恐怖や不安を感じたりする時、その感覚を欲するのは人間としての本能だった。
「それは、構わんが……後日でも」
「いえ、向き合うべき時が来てたんです。僕も、妻も。誰かに立ち会って観てもらえる方がよっぽど……気が楽だ……」
眉を寄せている大男の方が汐見に話しかけた。
「……わかりました。何かあったらすぐに言ってください」
「はい……」
でっぷり……米山は、改めて汐見に向き直り、質問した。
「今この質問をするのは酷なのはわかる……あえて、聴きますよ。この画面上で、奥さんはお1人、なんですな?」
「……はい」
「「「……」」」
暗い表情で汐見は答えた。それは聞かれることを想定していた質問だったからだ。
だから、素直に
「かかりつけの内科医には、きちんと【専門医にかかるように】と、再三言われてました」
「で、奥さんは……」
汐見は、少し深く呼吸をすると、刑事に目を合わせて告げた。
「絶対に嫌だと……私は病気じゃないと……そんなところに連れて行って自分の心を
「「「……」」」
汐見の苦悩を垣間見たような気がした刑事2人は視線を合わせ
「わかりました。では、続きを観ましょう。ただし、無理だとわかったらその時点で今日は引き上げます」
「……汐見さん、それでいいですか?」
「はい……」
そう言うと、動画は一旦、最初まで巻き戻され、再び再生され──
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