9:金持ちの優等生、金堂貴志
金堂貴志が目覚めると、そこは見憶えのない部屋だった。
手足が動かない。見ると、立った姿勢のまま天井から吊るすように両手を頭の上で縛られている。足もロープで床に繋がれていた。
「……あれ? 何してんだ俺……?」
状況が分からない。前後の状況を思い出そうとしても、頭がガンガンして記憶が判然としない。
とにかく異常事態だ。誰か助けを呼ばないと……
「おーい! 誰かいないか!? おーい!」
「目が覚めたか、金堂」
声がした。
「えっ…… なんで、住田が……」
声がした方を見ると、住田公治が立っている。白いツナギを着て、手に指抜きグローブか何かを嵌めている。
見た瞬間、金堂は状況を理解した。
「やっぱりお前か、住田! どのツラ下げて人を犯罪者呼ばわりしやがった! 蓮也たちをどうした! 言え!」
とにかく大声を出す。まともに話ができるとは思えないが、誰かに聞きつけてもらわないと話にならない。
くそっ、ここはどこだ。
頭が痛い。殴られたのか? 薬物か何か使われたのか?
思い出せない。どこで拐われた?
通学路は防犯カメラがカバーしているルートを選んでいる。自宅周辺ならなおさら確実だ。
必ず助けは来る……!
「はぁ、やっぱり、まずは分からせないと話もできないか」
「おい、
その瞬間、
グシャッ! と脳髄に響く鈍い音がして、鈍痛とともに金堂の視界が明滅した。
「ふーむ、力が逃げてる感じがするな…… 人を殴るのは初めてだからな」
「ガッ……! ハッ……!」
目がチカチカする。頭がガンガンする。顎がガクガクする。頬が焼けるように痛い。
そして、気が付いた。公治が手に嵌めているもの…… グラップリンググローブだ。
「やっぱり動画だけじゃよく分からんな。もっと練習しないとな……」
「お、おい…… ちょっ……」
言いかけて、金堂はやめた。公治がまた拳を握ったからだ。
喋っている最中に殴られたら、舌を噛みかねない。マウスピースなどつけてないのだ。
案の上、次の瞬間には衝撃が来た。
腹だ。
ドゴッ! と、金堂にだけ聞こえる骨伝導音。重い感触が内臓へ突き抜ける。
「うゲぇぇぇ……ッ!」
凄まじい威力だった。いや、親にも殴られたことのない金堂にとって、比較対象などないのだが。
腹膜が痙攣し、胃の中身が込み上げる。一発で、金堂は嘔吐していた。
ブルーシートに汚物が撒かれ、酸っぱい臭いが立ち込める。
ヤバい。ヤバい。ヤバい。
このガリ勉ゴリライモのパワーは知っている。ボールの扱いは大して上手くなかったが、体力測定の結果は異様だった。測定器の針を振り切らせた握力は、今日クラスメイトの前で味わったばかりだ。
体育会系でエースを張る蓮也も、
「ま、待て、ちょっと待てっ……」
「また、待て、か…… 仕方ない。待ってやるよ」
拳を下ろす公治に安堵しようとした金堂だが、また、と言う言葉の意味に気づいてしまい、
こいつ、蓮也も龍一も……
「お、俺達を犯罪者呼ばわりしておきながら、お前のやってることは何だよ! 人を縛り上げて、抵抗できない相手を痛めつけて…… 恥ずかしくないのかよ!」
「そりゃ、恥ずかしいさ。犯罪……しかも、こんな悪趣味な私刑をやることになるとはな」
何ら恥じ入る様子もなく、表情の無いままで公治は言った。
「でも仕方ない。警察に頼ろうにも証拠はお前が壊したからな。体を張って法治国家の秩序に貢献するほど立派な人間じゃない。自助努力を選びもするさ」
「じ、自助努力だぁ!? こんなの過剰防衛ですら無いだろう!? 拷問みたいな事までする必要がどこにある!?」
「そうだな。俺も、お前が寝ている間に済ませたかった」
寝ている間に済ませる…… その意味を考えて、金堂はゾッとした。
「だけど、事情があってそうもいかなくてな…… 逆に聞くが、俺を囲んで暴力を振るった時、お前は恥ずかしくなかったのか?」
「うっ……」
恥ずかしいことなんて何もない。あれが勝ち組の特権だ。
だが、それを口に出すほど愚かにはなれない。時間を稼がなければ……
「だ、だからって! 暴力に暴力で返すつもりか!? それは相手と同じレベルまで落ちるってことだろう!? そんな反撃に正当性なんて……」
「なんだ、同じレベルだと思ってくれるのか? お前は俺を見下していると思っていたけどな」
「は? い、いや、それは、お前……」
嘲笑的なレトリックを淡々と告げる公治。
金堂は言い返そうとしたが、頬と腹がズキズキと痛む上に大した反論も思いつかず、結局沈黙する他なかった。
「言っておくが、別に同じことをしているつもりは無い」
再び拳を構える公治。
凄まじい握力に、指の関節がゴキッと音を立てた。
「先に無法な真似をして関係を破綻させたのはお前らだ。これは重いぞ? 途轍もなく重い事だぞ? 詭弁を弄して誤魔化そうとしても、聞く耳持たんからな」
金堂は黙って歯を食いしばるしかなかった。喋っている最中にあのパンチを食らったら……考えるだけでも恐ろしい。
「そして、お互いに実力行使に至ったこの状況で、俺は相手を追い詰めたまま放置したりはしない」
「いっ……?」
その意味するところは明らかだ。
蓮也は未だに帰って来ない。龍一も、凛子も。
だいたい、公治はなぜ堂々と顔を見せているのか。こんなことをしておいて、後で警察に通報されないとでも思っているのか?
それはつまり…… つまり、つまり……
「ままま待て! 落ち着け! こんなことをしたって何にもならない!」
疼く腹から必死に声を搾り出す金堂。
「警察には言わない、絶対に! な? それより金を渡す。俺が生きている限り、毎月でも毎日でも金を渡す。それで人生楽しく過ごしてくれ! そっちの方がずっと有意義だろ! な!?」
「ああ、ここまで話が進んだか」
腫れた頬の痛みに耐えながら必死に口を開く金堂に、公治はあくまで淡々と告げた。
「言ったはずだ、関係は破綻していると。俺はお前を信用しない」
「なっ……」
「この状況から俺の信用を取り戻して見せてくれ。あいつらにはできなかったけどな」
「い、いや、だから…… こ、金堂家の名誉にかけて……」
「信用させてくれたら、解放する。俺は違約金を払うことになるし、警察に捕まるリスクもあるが、それでも解放してやる」
「い……?」
「まぁ、俺の言うことだ。信用してないのはお互い様だろう。好きにしろ」
違約金?
なんのことだ? このアホは今、大事な情報をポロッと漏らしたんじゃないか?
考えろ、考えろ。
必ず助かる方法はある。この金堂貴志がこんなところで終わるはずがない。
日本の警察は有能だ。家族は俺を総力を挙げて探しているはずだ。
今はとにかく時間を稼げ! こんな、こんな底辺の負け組に、この俺が好き放題された挙句、こ、殺されるなんて……ありえない!
公治は拳を構えたまま、静かに金堂を見ている。
今になって気がついた。公治はオープンフィンガーグローブの下に、使い捨てのゴム手袋を嵌めている。
指紋対策か?
ふざけるな、本物の犯罪者が! 返す返すも、人様のことを犯罪者呼ばわりしやがって……!
勝ち組が負け組を
クソガキが! 動物が! こんな何も分かってない【差別用語】に負けてたまるか!
すぐに反撃のアイデアをひらめいてやる。世界は俺みたいな上位者が勝つように出来てるからな!
さぁ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろかんがえろかんがえろかんがえろかんがえろかんがえろかんがえろかんがえろかんがえろ……
「ははっ! こんなことをしても無駄だ。金堂家を舐めるなよ! うちの病院はな、マスコミに目を付けられても安全に入院できるって評判なんだよ。だからいろんな人にコネがあるんだ。お前の親の会社に顔が利くような大物にもな!」
金堂家の威光を振り
それが、金堂の出した結論だった。
金堂貴志が出せた結論だった。
金堂貴志が出したかった結論だった。
溜まりに溜まった耐え難い鬱憤を、後先も考えずに吐き出した。
「前々から気に入らなかったんだお前のことは! 俺が人付き合いで忙しい
思い通りにならない現実を忘れて、思うがままに不愉快な奴を罵るのは、アガるクスリでもキメたみたいに爽快だった。
「ひゃはっ! 俺の機嫌を損ねた奴はみんな、家族
「……そうだな。自分の無謀さは思い知ったよ」
狂ったように延々と捲し立てる金堂の前で、公治は脇を締めて腰を深く落とし、床を蹴って肩を入れると真っ直ぐに拳を突き出した。
なかなかどうして、
骨の砕ける、乾いた音が響いた。
続いて、ロープが軋む音、折れた歯の隙間から空気が漏れる音、ポタポタと何かの液体が垂れる音……
人の声はもう聞こえなかった。
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