第64話 桃子の思惑
空が薄っすらと白んできた頃、
住居の外から足音が聞こえてくる。土を踏む音から察するに、一人や二人ではない。
朝の番をしていた俺は、こん棒を構えて入り口に忍び寄る。
「って、なんだ……おまえらかよ」
「驚かせて悪い。早く結果を伝えようと思ってな」
訪れてきたのは健吾たちだった。健吾のすぐ後ろには、美鈴と麗奈と洋介の姿も見える。
4人とも武器は持っておらず、周囲を気にしている素振りもない。話し合いの結果はさておき、襲撃にきたわけではないようだ。
「なあ健吾、一応聞いておくけどさ――」
「ああ、わかってる。敵対するつもりはないぞ」
健吾曰く、今のやり取りも想定済みだったらしい。手ぶらで来たことを含め、4人で話し合ってきたようだ。後ろにいる洋介たちも、納得顔で頷いていた。
「みんな悪い、疑ってるわけじゃないんだ」
「気にするな。そんなことより早く入れてくれよ」
俺たちの声で目が覚めたのか。健吾たちを案内する頃には、小春たちも起き上がっていた。互いに挨拶を交わしたあと、囲炉裏を囲んで報告会がはじまる。
「さて、気になってるだろうから先に言っておくぞ」
健吾が居住まいを正し、俺たちを見ながら開口する。
「アイツらはここを出ていく。近々、前に住んでた拠点に戻るようだ」
ここに残るのは健吾たち4人だけ。ヤツラとは完全に縁を切り、今後は交流するつもりもないらしい。桃子に敵対の意思はなく、互いの不干渉を望んでいるそうだ。
「ってことは、アイツらだけで巨大熊を?」
「……いや、それはわからない。言う必要はないと突っぱねられた」
「なるほど、それはちょっと面倒だな」
ヤツラが巨大熊に挑戦し、勝手に自滅してくれるのは構わない。全滅しようが大怪我しようが、好きにしてくれたらいい。
俺が懸念しているのは、巨大熊を誘導されることだ。「この集落におびき寄せ、拠点を潰すつもりなのでは?」と、そこだけが気になっていた。
健吾も同じ考えのようで、巨大熊関連のことをしつこく聞いたらしい。
「結局はわからず仕舞いだ。すまんな」
「まあいいさ。地図もあることだし、異変があれば気づけるだろう」
最近は農地の耕作がメインとなり、大多数は集落に滞在している。近場での狩りを徹底すれば、有事への対処も容易い。外出班が襲われる可能性を含め、行動範囲を狭めればいいだけだ。
「それで、桃子たちはいつ出ていくんだ? 手ぶらってわけじゃないだろうし、何か要求してこなかったか?」
西にある洞窟には、大した道具もなければ食糧もないのだ。なにも持たずに立ち去るとは思えない。しかるべき物資の要求……権利を主張してくるだろう。
「ああ、そのことなんだが。実はな――」
怒らずに聞いてくれと前置きをする健吾。そのあと彼が語ったのは、以下のような内容だった。
・出発は明日の早朝を予定している
・こん棒や槍などの武器。石斧やナイフなどの道具。全種類のモドキ肉。衣類や塩などの物資。これらすべてを、持ち運べる分だけ要求している
・これらの要求とは別に、壺や皿などの備品を次の日に取りにくる
「と、まあこんな感じだ。桃子に言わせると、いままでの労働に対する正当な対価ってことらしい」
「なるほど。対価って言い方はさておき、飲めない内容ではないな」
ジエンたちには迷惑をかけるが、この程度で出ていってくれるなら御の字だろう。どれも在庫はあるし、新たに増産することも可能だ。とくに騒ぎ出すことはなく、みんなも冷静に聞いていた。
それからしばらくは、持ち出される量などを算出していく。
とかく『塩』については譲れる限度というものがある。これさえ合意できれば、あとはジエンの判断を仰ぐだけだ。
ひとまず朝食前に相談をして、のちに三者で話し合うことに決まった。
「ねえ健吾さん。結局のところ、彼女はなにが不満だったんですか?」
ようやく話がまとまったところで、小春が白湯を配りながら言った。
「私たちの態度が気に食わないって……それだけじゃないですよね」
正直、俺も気になっていたんだ。こんな暴挙に出る理由が「気に食わない」だけなんて、にわかには信じられなかった。
『集団の主導権を握りたい』
『誰かに命令されたくない』
これもわからんではないが……はたして、リスクを背負ってまで実行することだろうか。夏歩や冬加も気になるようで、身を乗り出すようにして健吾を見ている。
「まあ、いろいろあるんだが……大方の原因はおれたちのことだ」
「おれたちって。美鈴さんや麗奈さんも関係してると?」
「ああ、洋介も含めてのことだよ」
少し言いにくそうに話す健吾。ほかの3人にしても、どこか申し訳なさそうに下を向いている。
「うわっ、まさか痴情のもつれじゃないでしょうね……」
「いやいや、そうじゃないんだ。完全には否定できないけど、やましい関係じゃないよ」
事の発端は、この世界に転移してしばらく経ってからのこと。健吾を中心として、集団がまとまりはじめた頃だった。
前の世界で一緒だった洋介たち3人は、健吾のサポート役として活躍していたのだが――。
集団のルールとして、男女の性行為はもちろん、色恋沙汰を禁止。とくに不満は出ず、ほかのみんなも納得していたらしい。
とはいえこの4人、最初の世界で7日間を過ごした仲だ。恋愛うんぬんは別としても、親しい間柄なのは間違いない。
少なくとも、桃子にはそういう関係に見えたのだろう。「美鈴や麗奈は特別扱いされていた」と、昨日の話し合いでハッキリ言われたんだと。
「桃子さんは、健吾さんか洋介さんを好きだった?」
「いや、あくまで立場の問題らしいけど……コイツらを頼っていたことは否定しないよ」
「なるほど。どちらにしても、ただの妬みですね」
健吾たち14人。当時は18人だったが、そのうち女性の数は8人だ。美鈴と麗奈を除くと6人ってことになる。
男女間のバランスも良く、互いの関係も良好。普段の生活でも『表立った』トラブルは起こらなかった。
「美鈴さんと麗奈さんはどう? 根回しっぽいのを感じてた?」
小春がそう言いながら、視線を美鈴たちのほうへと移すと――。
「ん-、女同士の派閥みたいなのはなかったよ。ねえ麗奈?」
「そうね。陰口がヒドかったくらいで、そんな素振りはなかったわ」
麗奈の発言はさておき、目立った動きはなかったらしい。
こういった変化は女性の方が敏感、っては偏見かもしれないが……30過ぎのおっさんよりはマシだろう。案の定、健吾や洋介は陰口にすら気づいていなかった。
そんなこんなで――
状況が変わってきたのは、ここへ移住して来てからのこと。男女の距離感が次第に近くなっていった。
最近では、夜な夜な抜け出す連中もチラホラと――ナニをやってるのかは言うまでもない。
俺も話には聞いていたが、他人の情事に口を出す気はない。というより、そんな権利もない。「ニホ族たちに触発されたのだろう」と、大して気にもしていなかった。
「まずは女性陣を取り込み、次に男性陣を篭絡した。……ちょっと出来過ぎですけど、こんなところでしょう」
「でも結局は嫉妬でしょ? もっと大それた計画かと思ったのに」
「まあ、いきなり裏切られるよりマシだよね。ボス戦前にわかって良かったんじゃない?」
小春が結論を出したところで、冬加と夏歩が話に加わりはじめた。
確証はないにしても、小春の出した答えは正解に近いと思う。冬加たちが言ってることも一理ある。土壇場での裏切りは勘弁願いたい。
それから数分後――
おおむねの事情は知れたので、ひとまず打ち合わせは終わり。男連中は退席して族長宅へと向かうことになった。
「じゃあ小春、一応警戒だけはしといてくれよ」
「わかりました。先輩たちも気をつけてくださいね」
女性陣は話し足りないらしく、朝食の時間までここに残るようだ。早く出ていけと言わんばかりに、夏歩と冬加が手を振っている。
「ねえねえ! 4人の関係って実際どうなの?」
「あっ、冬加それ! 私も気になる! もう付き合ってたりして?」
どうやらソッチ系の話をするつもりらしい。
まだ問題は解決してないんだが……しっかりこん棒を握りしめているので大丈夫だろう。
慌てて逃げ出す健吾たちを追いかけ、俺もジエンのところへ向かった。
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