第9話 古谷夏歩18歳


 ほら穴の中で中腰になり、槍を握る手に力を込める。


 と、相手も気づいたのか、その場を動かないまま声をかけてきた。


「良かった、やっと起きてくれた……」


 聞こえてきたのは女性の声色。日本語なのは間違いなく、どこか聞き覚えのある声だった。


「えっと、私は古谷夏歩ふるや かほっていいます。お兄さんって、あのとき一緒に乗ってた人だよね?」


 そのまま黙って警戒していると、彼女は自己紹介をはじめる。どうやら同じ車両にいたらしいが、顔がよく見えないため誰なのかはわからない。


(古谷……? 聞いたことないけど……)


 あのときの記憶をたどっていると、目の前の女性がゆっくりとしゃがみ込んだ。


 するとようやく全貌が見え、薄茶色の学生服を着た女性が映り込む。ちょうど木の根のカーテンを挟んで、お互いに見つめ合っている状態だ。


「……そこにいるのは君ひとりだけか?」


 つかの間の沈黙のあと、ようやく口にできたのはそんな一言だった。彼女がひとりだとは限らず、すでに取り囲まれているかもしれない。そう勝手に思い込んで、手にした槍を握りなおす。


「ねえ、そんなに警戒しないでよ。私ひとりだけだし、変なことをする気もないから」


 言いながら立ち上がり、少し後ろに下がっていく女の子。外へ出てくるよう手招きをしているが、そう簡単には信用できない。まずは小春を揺すり起して、いまの状況を説明していった――。



「先輩、あの子なら知ってます。いつも同じ席にいる女子高生です」

「……話したことはあるのか?」

「いえ、顔を覚えているだけですけど」


 向こうは俺を知ってたし、あの車両に乗っていたのは嘘じゃないようだ。いつまで籠っていても仕方がないと、意を決して外に出てみることに。


 周囲を見渡してみるが、ほかには誰もいない。少なくとも、ここから見える範囲には存在していないようだ。ひとまず安堵した俺は、そのまま黙って彼女を見つめていた。


「じゃあ改めて自己紹介を。私は古谷夏歩、ふたりのすぐあとに、あの電車を降りたの」


 そんな彼女は18歳の高校3年生。口調こそ普通だが、見た目はわりと大人っぽくて、まあ誰が見ても美人だと思う顔立ち。結構長めの黒髪を、後ろで一括りにしている。

 身長は160cmくらいだろうか。小春よりも少し高く、全体的にスレンダーな印象を受ける。


「弥桐小春よ。この人は会社の上司で、いつも一緒に通ってるの」

「よく知ってます。いつも楽しそうに話してますよね。アニメの話題とかちょいちょい耳に入ってました」


 どうやら彼女もそっち系の趣味があるようだ。好きなジャンルは悪役令嬢もの、異世界ファンタジーのことにも詳しいと自負していた。俺たちの会話も聞いていたらしい。


「俺は縄城秋文なわしろ あきふみだ。たしかにその制服には見覚えがあるよ。うちの会社からも近かったよな?」

「うん、お兄さんと同じ駅だよ。いつも後ろを歩いてたんだけど……気づかなかった?」

「いや、どうだっけな……」


 あまり気にしてなかったが、言われてみればそんな気もする。声を覚えていたのも、そのせいかもしれなかった。ちなみに小春は普段から、彼女のことに気づいていたらしい。


「古谷さん、そういえば今日はひとりだったね。いつも一緒だった子はどうしたの?」

「あ、私のことは夏歩かほって呼んで下さい。お兄さんも、ね?」

「……じゃあ夏歩ちゃん、もうひとりの子は?」

「彼女はいません。実は――」


 この夏歩かほって子、いつもはふたりで通学していたんだと。友達は雪のせいで遅れたらしく、今日は別の車両に乗っていたらしい。


(そういや、別の車両にいる人たちって……異世界へ来てるのか?)


 っと、それよりも。まずはここに来た目的を聞くのが先だ。これまでの経緯も含めて、詳しい事情を聞いてみたところ――。


 彼女はこの3日間、ずっとひとりで山の中を彷徨さまよっていたらしい。日中は食材を集め、夜は木に登って過ごす。そんなたくましい生活を送っていた。


 この拠点からさらに上、山頂に近い場所へ転移。少しずつ山を下りながら、ようやくこの場所を発見する。目に付いた洞穴には見知ったふたりがいて、しばらく起きるのを待っていたんだと。


 話を聞いている限り、嘘はついてないように思える。進化値こそゼロのままだが、俺たちと同じ地図も所持していた。


「ひとりじゃ不安だし、一緒にいたいと思って……ダメ、かな?」


 上目遣いでわざとらしくびる夏歩は、俺ではなく小春に向かってアピールをしている。真意はわからないが、あえて同性に訴えるところが抜け目ないと感じた。一般的に見た場合、ここで異性に媚びるのは悪手だろう。


「先輩、この子を仲間に入れましょう」


 小春は少し照れながら、ふたつ返事で受け入れた。抱きよる夏歩の頭をなでながら、俺の返答を待っている。正直心細かったので、俺も人が増えることには賛成だが……。


「べつに構わないけど、過度の期待はするなよ? 頼れる大人をイメージされても困るぞ」

「お兄さん、それならご心配なく!」


 夏歩はそう言いながら、たき火のほうに視線を向ける。と、そこには角の生えた兎が2匹転がっていた。


 どうやら彼女が仕留めたらしく、ドヤ顔を披露しながらふんぞり返っている。何度も突いた跡があり、獲物は穴だらけで中身もいろいろ飛び出していた。


「なにこれ凄いな、ってかグロいわ……」

「どうかな、私も役に立ちそうでしょ?」


 そんな彼女はどう見ても普通の女子高生だ。おいそれと、しかもこんな無残な姿にできるものだろうか。

 見知らぬ世界にひとり、極限状態だったのはわかるが……。俺は少しだけ狂気を感じながら、夏歩を仲間に加えることにした。



 そのあと今後の予定を話しながら、兎の肉を解体したり、出発の準備を済ませていく。


 干し肉は乾いてなかったが、どれも傷んでいる様子はない。異臭は感じられず、虫1匹寄りついていなかった。もしかすると、この世界には腐敗という概念がないのかもしれない。


 それから約1時間後、南の海に向かって移動を開始した――。



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