第37話 願わくは

 テントの出入口に大きな黒い影が入ってきた。

 その正体は、元マネージャーの沼田である。


 すぐに立とうとするが、全身の疲労と足のしびれのせいで一志は立てなかった。

 玲は一人で立って進んでいく。

 その顔には、なんの迷いも残っていないようだった。


「見たぞ」

 沼田は無表情に一言だけ発する。


「ありがとうございます」

 それだけで通じたのか、玲も感謝の言葉を述べた。


「これがお前のやりたいことなのか?」


「はい」


「寂れた商店街の古ぼけたスピーカーで流す朗読劇と、小さなステージでどこにでもいそうなゆるキャラと、子どもだましのショーがやりたいのか?」


「はい」


「金にならない」


「はい」


「事務所に戻ってこい。お前に合う仕事を見つけてきてやる」


「事務所に戻るつもりはありません」


「お前の声は金を稼げる。才能と言ってもいい。その才能を活かせる場所を考えろ」


「考えました」


「それがこの街なのか?」


「はい」


「はっはっは! 若いね!」


 沼田の大きな笑い声が響く。

 だがすぐにまた無表情になった。


「まあ、若いうちだからできることもあるか」


「ありがとうございます」


「アホ。嫌味に決まってんだろ」


「すみません」


「声優は続けるのか?」


「はい」


「そうか。なら、声だけの芝居はするなよ」


「はい」


「時間の無駄だった。まあ、せいぜいがんばれ」

 沼田は言いたいことをすべて言ったのか、巨体を揺らしながら出て行った。


「今までお世話になりました! ありがとうございました!」

 玲は感謝の言葉を述べて頭を下げる。

 その声は、まったく震えていなかった。

 だが両足は小刻みに震えている。

 次第に震えは大きくなって体がゆっくりと傾いていく。


「玲!」

 一志が声をかけて抱きとめる。


「ありがと、一志」

 玲は一仕事終えたような清々しい表情を見せていた。


「一つ聞いていいか?」


「なに?」


「声だけの芝居ってどういう意味?」


 声優とは朗読や吹替、ナレーションなど、いわゆる声の芝居をするものだと思っていた。

 しかし沼田は「声だけの芝居はするな」と言っていた。その真意が読めない。

 身振り手振りを入れろということか。それとも役者の仕事もしろという意味なのか。


「声優の仕事は、台本のセリフをいい声でそのまま発していればいいってわけじゃない。そのセリフを伝えるべき相手のことをちゃんと考えて適切な熱量で言う必要がある。演じるシーンや会話する相手に応じて自分の頭で考えていくことが大事なの。事務所に入ってすぐに教えてもらったことなんだ。これからも声優としてやっていくなら絶対に覚えとけって」


 利益を出すことに心血しんけつを注いでいる沼田がそんなことを言うのが少し意外だった。


「あの人も昔は……役者と声優をやっていたから……」


 それを聞いて声が大きい理由や芝居がかった話し方にも納得がいく。


「劇団に入ってたんだけど、そこが潰れたから声優をやるようになったみたい。でも声の仕事がもらえなくて、社長にマネージャーになるかって誘われてやめたんだって。才能がすべてとよく言ってたけど、一番大事なのは運だって言うこともあったよ」


 一志は沼田のことが好きではない。

 しかし、考え方には共感できるところもあった。

 時と場合によってはやりすぎることもあるけれど、悪い人ではないのかもしれない。


 初めて会った時、仕事のついでに来たというのは嘘だと感じた。駅前ならともかく、玲の家の近くで会うのはおかしい。暇ではないと言いつつ時間を割いてわざわざ来たのではないか。


 SNSの書き込みやポスターを勝手に貼ったことも許せることではない。だがあれも見方によっては、玲がプロ声優として復活することを本気で期待していたのではないか。

 沼田は事務所の利益のためではなく、彼自身の意思で動いていた。そんな気がする。


「大事なのは運か」


 一志は考える。

 自分が未だにデビューできないのは運が悪いからなのか。

 いや、自分にまだまだ実力が足りていないせいだ。

 運が関係してくるのはその先だろう。


 それなら、今まで通りやるだけだ。

 才能があってもなくても努力する。目標を叶えるまで書き続ける。

 それが一志にとっての創作の原点だから。


「大丈夫。一志は必ずプロになる」

 玲がきれいな声で優しく語りかける。


「ありがとう。がんばるよ」

 根拠はなくてもその言葉だけで一志はやる気が出てきた。


「おーい。なんかいい感じの雰囲気のところ悪いんだけどさ、ちょっといいかー?」


「チョコ! ダメです! もう少しだけ待ちなさい!」


 まるで一部始終いちぶしじゅうを見ていたかのように絶妙なタイミングで千代子と本山が現れる。


「そろそろ幕引きだってさ。モミモミの代役も来たらしいから最後にあいさつしようぜ」


「中野零先生と……天ヶ沢玲さんもよろしければ舞台の方へ来ていただけますか?」


 観客席からは、子どもと大人の熱のこもった声が聞こえてくる。

 それらは、次第に大きな声援となってテントの中に流れ込んでくるかのようだった。


「行きます」


 真っ先に答えたのは玲だった。

 顔色はよく、声にも明るさが宿っている。

 本山と千代子は先に出て行き、一志と玲がその場に残された。


「一志」


「なに?」


「テントを出るまででいいから……手を握っていてくれる?」


「もちろん」


 一志と玲は互いに手を握り合い、支え合い、ゆっくりと歩き出す。


「玲」


「なに?」


「次に書く作品が決まったよ」


「本当? どんな作品なの?」


 自分が書きたい物語で、みんなに読んでほしい物語。


 それでも、最初に読んでもらう人は決まっている。


 願わくは、彼女にとって『最高におもしろい物語』でありますように。



 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

0番街で会いましょう 川住河住 @lalala-lucy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ