第20話 あおぞら朗読劇
「そろそろ時間ですね」
本山が腕時計を確認して図書館の方へ顔を向ける。
「じゃあ、ちょっと呼んできます」
一志が動こうとした時、こちらに歩いてくる人影が見えた。
しかしその姿を視界に捉えた時、ふたりとも眉をひそめる。
本日の主役になんと声をかければいいのかわからず、そのまま見送ることになった。
つばの広い帽子を被り、濃い色のサングラスをかけた玲が手に持ったマイクであいさつする。
『こんにちは……』
子どもたちは途端に静かになる。
けれどそれは、今か今かと待ち続けていた朗読劇が始まることを喜んでいる風ではない。むしろ奇異な姿の人間が突然現れて
『初めまして。0番街の0ちゃんねるで朗読劇をやっています。天ヶ沢玲です』
空は晴れているのに、玲の周りだけ曇っているかのような暗い雰囲気を感じる。
子どもたちは興味なさそうな顔を見せる。
空気を読んだ大人たちがまばらな拍手をしてくれた。
『今日は、よろしくお願いします。あおぞら朗読劇を、楽しみに来てくれてありがとうございます。今日はいっぱい楽しんで行ってくださいね。よろしくお願いします』
一志は耳を疑う。
自分が担当したのは朗読劇の脚本だけなのでイベントの進行に口出しするつもりはない。
だがこれは、あまりにもひどい。
そう言いたくて仕方がなかった。
いくつかの言葉は
元プロ声優とは思えない仕事ぶりだ。
「どうしちゃったんだよ……」
一志は独り言をもらす。
「まずいですね……」
隣で聞いていた本山も指摘する。
「話し方もそうですけど、あの格好も子どもたちの集中力を乱します」
「もしかしたら、身バレ防止のためかもしれません」
天ヶ沢が事務所をやめたこと、元声優であることを隠したがっている事情を説明する。
「そういうことでしたか。それなら理解できます」
「すみません。事前に説明しておけばよかったです」
「気にしないでください。ただ、その件と体調不良は、なにか関係があるのでしょうか」
一志は言葉に詰まる。
玲が声優をやめた理由も体調が悪い原因もなにもわかっていないから。
予定では、すでに朗読劇は始まっている。
子どもたちの集中力を
しかし玲は、まだ台本すら開いていない。
「そろそろ対策を考えないといけません」
「早く始めるように伝えてきます。たしかスケッチブックありましたよね?」
一志は、テレビ番組の収録で出演者に指示を伝えるのと同じ方法をとる。これ以上時間を浪費させないため、少しでも子どもたちの集中力を絶やさないためにも。
「お願いします」
本山は、子どもたちと玲の様子を見守っている。
「しかし、このまま朗読劇が始まってもちゃんと聞いてくれるかどうか」
いつもの無機質な声に、不安の感情が混ざったような口調で付け加える。
河川敷の観客席側に移動した一志は『始めろ』と書いてスケッチブックを
気づくかどうか不安だったけれど、玲はすぐに気がついてくれた。
『それではこれより、あおぞら朗読劇を始めたいと思います。
本日の演目は【モミジロウくんのかくれんぼ】です。
みなさんはモミジロウくんを知っていますか?
私たちが暮らす秋葉市のゆるキャラ、秋葉山に住むもみじの妖精ですね。
今日は、そんなモミジロウくんについて話していこうと思います』
ひとまず玲は台本を開いてくれた。
一歩前進と言いたいところだが、今も一志の心臓は不安と緊張で押しつぶされそうだった。
彼女の声は暗く、淀んでいるように聞こえるからだ。
これでは朗読とは言えない。
台本に書かれた文章をただ読んでいるだけだ。
大人たちは静かに見つめ続けている。
しかし子どもは正直だ。残酷なまでに正直だ。
保護者がいっしょにいるから帰ろうとはしない。
そのかわりあくびをしたり目をこすったり、ひどく退屈そうにしている。もし手元に携帯ゲームがあればすぐにでも遊んでいるだろう。
『まっ赤な体は……夕焼けいっぱい……。……な心はみんなに……たから。
雨にも風にも負けない……今日も……明日も……ジロウ』
先日あんなに練習していたモミジロウくんの決めゼリフがまったく聞きとれない。
声だけでなく玲の体も右に左に揺れ動いている。
このままでは倒れてしまうのではないか。
誰もがそんな不安を抱くような姿である。
しかし彼女は、左手に台本を、右手にマイクを持ってなんとか立ち続けている。いったいどこにそんな気力や体力があるのだろうか。
けれど、このままではいつ倒れてもおかしくない。
こんな時どうすべきか。
一志は判断をあおぐために本山のもとへ戻っていく。
「もしかしたら、天ヶ沢さんは人の視線が怖いんじゃないでしょうか」
戻ってきて早々に本山が言う。
「それはないですよ。だってあいつは役者であり声優なんですよ。そんなわけ……」
そんなわけがない、と言い切ることはできなかった。
言われてみれば心当たりがいくつも思い浮かぶ。
数年ぶりに再会してから玲と話をしている時に視線がなかなか合わなかった。
学校では同級生に話しかけられただけで顔色が悪くなっていた。
放送局0ちゃんねるのブラインドが下がっていたのは日差しのためではなかった。
もし本当に人の視線が怖いのだとしたら、すべての行動に理由が当てはめられる。
「心当たりがあるんですね?」
一志の思い詰めた表情を見て察したのか、本山もそう考える根拠を説明する。
「初めて打ち合わせした時から気になっていたんです。天ヶ沢さんは少しでも視線が合うと、すぐに目を逸らすんです。たまに顔色も悪くなることもありました」
自分以外の第三者の意見を聞いてほぼ確信する。
天ヶ沢玲は対人恐怖症であると。
あおぞら朗読劇の企画書を見た時に顔色を悪くしていたのもこれで納得がいく。
おそらく玲は、子どもの頃に行っていた読み聞かせ程度のイベントを考えていたのだろう。それなら多くても十人くらいの子どもしか来ないと思って仕事を受けたのだ。
しかし実際は、野外でやる大規模なものだとわかって困惑したのではないか。
「売れっ子声優が突然やめるなんて……なにかあったに決まってますよね……」
一志はそのことにようやく気づいた。
今まで自分は玲のなにを見ていたのか。
どうしてもっと早く気づいてあげられなかったのか。
だが今さら気づいたところでもう遅い。
「バカだ……僕はバカだ……」
今すぐにでも首を切るか、目の前にある川を渡って彼岸へ行きたい気分だった。
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