第21話 覚悟と意地
「しっかりしてください!」
突然、両肩に手を置かれて意識を取り戻す。
目の前には、本山の顔が迫っていた。
「天ヶ沢さんは言ってましたよね。中野零先生は女心がわからないと」
「あの、今それ言う必要あります?」
古傷をえぐられたうえに塩をすり込まれたようで辛い。
「それは当たり前のことです。他人をそんな簡単に理解できるわけがないでしょう」
たしかに本山のことも最初は理解できていなかった。
いや、今も理解できていないことの方が多い。
それでも彼女が二人のために心を
悲劇の主人公ぶりたいなら家に帰って一人ですればいい。
今はそれよりやることがある。
「すみません。おかげで冷静になりました。でも、これからどうしますか?」
「選択肢は4つあります。一つはこのまま天ヶ沢玲さんに朗読を続けてもらう。一つはイベントを中止する。一つはわたしが朗読する。それから……」
玲が朗読劇を続けるのは不可能に近い。
今は台本のどこを読んでいるのかさえわからない。
イベントを中止する。
これは最悪の結末だ。
そもそも選択肢にあげてはいけないだろう。
本山が代わりに朗読する。
この中では一番
「それから、なんですか?」
最後の選択肢をなかなか言おうとしないので一志は
「4つめは……中野零先生。あなたが考えてください」
「え?」
「そしてどの選択肢を選ぶのか、それもあなたが決めてください。どんな決定を下したとしてもわたしは従いますから」
「ちょ、ちょっと待ってください。なに言ってるんですか。このイベントの責任者は本山さんですよ。僕にそんなこと決められるわけないじゃないですか」
責任を丸投げされた一志は混乱する。
いくらなんでもボランティアの領分を超えている。
「僕の仕事は脚本を書くことです。イベントの進行については本山さんの仕事でしょう」
「その通りです。しかし、それを言うなら天ヶ沢玲さんは朗読が仕事ですよね」
それが皮肉や嫌味ではなく、事実なだけに一志はなにも言うことができなかった。
「天ヶ沢さんのことを責めているわけではありません。わたしが言いたいのは……」
本山は硬い表情をさらに硬くさせながら言葉を探す。
「どうして天ヶ沢さんは、対人恐怖症だと自覚しながら今回の仕事を受けたと思いますか?」
また突然の話題転換。
さすがにこの状況では一志も笑って答えられない。
「屋外のイベントだと知らなかったからじゃないですか。それを知った時にはもう話が進んでいたから、今さら断ることができなかったんでしょう」
0ちゃんねるの朗読劇なら放送局に閉じこもってスピーカーから声を届けることができる。
しかし、観客と対面する読み聞かせではそうはいかない。
本人は「図書館に恩返しをしたい」と言っていたけれど、最初から断るべきだったのではないだろうか。
「断る機会は、いくらでもあったと思います。それでも天ヶ沢さんには、この仕事をやる理由があるから受けたのでしょう。今だって無理だと言ってくれたらわたしが代わるつもりです。それなのに彼女はあの場に立ち続けている。それにもまた理由があるのでしょう」
できないとわかっているのに仕事を受けるなんて無責任だと思わないのだろうか。このイベントの成功を誰よりも望んでいるのは本山であるはずなのに……。
「でも、そのせいで今こうした事態に
「それを言うなら高校生をタダ働きさせているわたしの方が迷惑でしょう。しかも脚本には、父親の考えたキャラクターを入れてほしいと私情まで
一志の意地悪な質問に本山はあっさりと返答してくる。
「わたしは天ヶ沢玲さんのことを詳しく知りません。しかしお二人が素敵なパートナーであることは知っています。それならわたしが決めるよりもあなたが決めた方が彼女も納得してくれると思います。だから、この後のことは中野零先生が考えて決めてください」
それとこれとは別問題だろう。
だが一志は思うだけで言わなかった。
このまま議論をしても無駄に時間を浪費するだけだ。
なら今は最善の選択肢を決めよう。
「それなら本山さんが代わってください……」
4つめは考えるまでもない。
本山が朗読するのが最善の選択だから。
しかし、先ほどの質問が頭の片隅でよぎる。
どうして玲は今回の仕事を受けたのか。
いや、そもそもなぜ玲は事務所をやめた今でも声の仕事を続けているのだろうか。
今回の仕事だけではない。
0ちゃんねるの仕事だって断っていいはずなのに。
お金のため?
玲はそこまで金に執着する人間ではないし、金に困っていると思えない。
有名になりたいから?
対人恐怖症の人間がそんな思考にはならないだろう。
頼まれると断れない性格だから?
優しい彼女の性分を考えると一番あり得そうだ。
たしかに昔から辛いことも苦しいことも口に出さずに抱え込む人間ではあった。
けれど、なにも考えずに安請け合いするほど無責任な人間ではなかったはず。
昔の彼女と今の彼女は違うとはいえ、本質の部分は変わっていないだろうから。
子どもの頃に玲がよく言っていたことを思い出す。
「才能があってもなくても努力するのは当たり前。目標を叶えるまでやり続けるよ」
当時の一志は「才能がある奴は言うことが違うな」とうらやましく思ったけれど、それ以上に尊敬もしていた。
ペンネームの『中野零』には、自分に才能がないことへの諦めとそれでも努力することを忘れない、というメッセージが込められている。
「だとしたら……」
秋葉山の野外音楽堂で稽古をしていたのは、今日のためだったのではないか。
対人恐怖症でもたくさんの観客を目の前にしても朗読ができるようにするために。
天ヶ沢玲はプロをやめたとしてもプロ意識までは捨てていない。
一度受けた仕事を途中で放り出すような人間ではないはず。そう簡単に諦めるほど単純な性格をしていないと知っている。0ちゃんねるの放送局で聞かせてくれた仕事ぶりがそれを教えてくれた。
今もマイクを持って必死に立ち続けている玲を見て一志は覚悟を決める。
最後までやり通すと決めたなら――。
最高におもしろいイベントにしようと約束したなら――。
プロの意地を見せてくれ。
そのためならなんだって協力するから。
一志は玲の隣に立つ。
それから自分の言葉を届けるために口を開く。
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