第18話 大切な存在
脚本を変えると決まっても〆切が今日までという現実は変わらない。
すぐにでも新たなプロットを考える必要がある。
そのためには玲の知恵も借りたい。
しかし、いなくなった彼女は、なかなか見つからない。
携帯端末でメッセージを送っても、電話をかけても、まったく反応はない。
「本山さん、どうですか?」
「いいえ。見つかりません」
一志と本山は周囲を見回しながら探す。
歩きやすいように整備されているとはいえ、山道は普通のスニーカーでは少し歩きづらい。不均等な大きさの枝や濡れた葉っぱ、ぬかるんだ土が足を取ろうと待ち構えているかのようだ。
秋葉山は標高の高い山ではない。
そのかわり、とても広いのだ。
市内の中学高校の運動部は、この山をランニングやトレーニングのために使っている。普段から運動している彼らでも公園内を一周しろと言われたら顔が真っ青になるだろう。似たような太さの木々や大きな葉が視界を埋めつくすため、うっかり迷ってしまってもおかしくない。
「すみません。わたしのせいで」
「本山さんのせいじゃありませんよ」
「しかし……」
「気にしないでください。本山さんのために書くと決めたのは僕ですから」
「わたしのため、ですか。なんだかプロポーズみたいですね」
「い、いや、違いますよ! べ、べつにそういう意味じゃないですから!」
「冗談です」
真顔で冗談を言うのはやめてほしい。
本気かと思って心臓が破裂しそうだった。
急に自分の発言が恥ずかしくなり、一志は熱くなった顔を両手で隠す。
「中野零先生には、すでに素敵なパートナーがいますからね」
「……天ヶ沢は、ただの幼馴染です」
「誰も天ヶ沢さんのことだとは言ってませんよ?」
どうして自分の周りにいる女性は……と思いながら、大きなため息をつく。
「いいじゃないですか。幼なじみは大切な存在ですよ。大事にしてあげてください」
「それは、本山さんにとっての千代子さんみたいなものですか?」
やられっぱなしは嫌だと思った一志が冗談交じりにやり返す。
「ええ。わたしにとってのチョコのようなものです」
あっさりと言い返されてこの人には敵わないと悟った。
「天ヶ沢さんが行きそうな場所に心当たりはありませんか?」
分かれ道に来た時、ようやく本山はまじめなことを聞いてくる。
一志は秋葉山の地図を思い出す。
大きな鳥居のある神社や遠くまで見渡せる展望台、化物が住んでいそうな湖。どこも小さい頃に学校の遠足や家族といっしょに来たことがある場所だ。
その中で玲が一番行きそうな場所……一つだけ思いつく。
「僕はこっちへ行きます。念のため本山さんはそちらをお願いします」
「承知しました」
二手に分かれて探そうとした時、一志はあることに気がついた。
「ここまで連れてきたのは、朗読劇の舞台になる秋葉山の取材のためだったんですか?」
「すでに情報を集めて研究してくださっていたのはプロットを読めばわかります。それなら、実際の土地を訪れてくれたらイメージがより深まるのではないかと思いまして……」
まるで取材旅行だ。
その手配をしてくれる本山は、やはり本物の編集者のようだ。
「必ず玲を見つけてきます。その後でプロットについて考えましょう」
「はい。お気をつけて」
本山は左の道へ。一志は右の道へ。それぞれ足を向ける。
土がむき出しになった山道を抜けてアスファルトで舗装された道へ出る。車が来ないか気をつけながら歩いて行くと声が聞こえてくる。聞き慣れた女の子の声だ。
一志の中で確信に変わる。
やはり玲は、あそこにいる。
目当ての建物が見えてくる。もともと白かった外壁も、今では灰色に変わっていた。
それでも足取りは軽く、歩みは速くなる。早くあそこに行きたいと心が急かしてくるようだ。
一志がたどり着くと、ステージには玲が真剣な表情で立っていた。
目の前にいるのに声をかけられない。
相手もこちらの存在に気がつかないほど集中しているらしい。
彼女は深呼吸すると、満面の笑みを浮かべて口を開いた。
『まっかな体は夕焼けいっぱい浴びたから。まっかな心はみんなに応援されたから。
声そのものは明るく元気なのに、全身から力が抜けていくようなセリフだった。
朗読劇の脚本にも取り入れる予定のもみじの妖精、モミジロウくんの口癖である。
「あはは」
こらえきれずに笑ってしまった。
「……一志?」
そこで集中力が切れたのか、玲もようやく気がついた。
よく見るとその目には、うっすらと涙がたまっている。彼女は指でそっとぬぐってなかったことにする。
「何度も連絡したのに出ないから心配したよ」
「ごめん……気づかなかった……」
「いいよ、べつに。稽古中は電源を切るのが当たり前だろ」
「ほんと、ごめんね……」
先ほどのセリフは元気があったのに、素の状態に戻ったら声にも表情にも元気がない。
一志はそのことに気づいていたが、なんと声をかければいいのかわからなかった。
「ねぇ一志。懐かしくない?」
「うん。久しぶりに来たよ。チョコ姉のバンドの解散ライブ以来かな」
「えっ? ここでやったの? いいなあ。わたしも聴きたかったなあ」
ここは野外音楽堂。学校の体育館にあるような屋根付きステージが山の中に設置されている。自然の中で市民の教養や文化の向上を図る施設らしいが、利用者の姿はほとんど見られない。今の玲のように勝手に上がって芝居やダンス、歌の練習をする人がごくたまにいるくらいだ。
「そういえば天ヶ沢が所属してた劇団もここで公演したよな。あそこってまだ……」
「もうなくなったよ」
玲は高校の演劇部に誘われた時と同じような疲れた表情をしている。
「そうなんだ……」
この話題には触れない方がいいのかもしれないと一志も察する。
「小学校の遠足で来ると、みんなでステージに上がってお弁当を食べたよね」
「雨宿りができて便利なんだよな」
「そうそう。食べた後は、鬼ごっこしたり草花遊びしたり……」
「あ、ちょっとごめん。本山さんに連絡しないと」
一志は、玲を見つけたこと、すぐに戻ることを携帯端末でメッセージを送る。
「そろそろ戻ろう。実は本山さんと話し合って新しくプロットを作ることにしたんだ」
「え、大丈夫なの?」
「大丈夫。〆切は今日の夜まで。アイデアはこれから出していくから問題ない」
「それ大丈夫じゃないでしょ。どうしてそんなことになったの?」
「詳しいことは後で話すから。とりあえず天ヶ沢にも手伝ってほしいんだ」
「……うん。わかった」
玲はステージを下りてアスレチック広場の方へ戻っていく。
一志は、その場にしゃがみこんで
まさか一日に二度も女の子が涙を流すところを見かけるとは思わなかった。こんな時になにもできない自分に呆れてまた息がもれる。
すぐに立ち上がって玲の背中を追いかける。
またかくれんぼになったら大変だ。
その時、一志の頭の中で朗読劇のアイデアがひらめいた。
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