第16話 もったいない
「やはり合わなかったと思います」
「え?」
突然のことで理解が追いつかず、なんのことを言っているのかわからなかった。
「中野零先生がプロを目指していることも、そのために努力していることも、以前から知っていました。そのうえで言わせてください。文芸部には合わなかったと思います」
本山は心の中を見透かしたかのような指摘をしてくる。
一志は腹が立った。
自分のことを知らないのに、どうしてそんなことがわかるのかと。
しかし根拠のない憶測とは思えない。
もしかして、誰かが話したのかもしれない。
「天ヶ沢か、千代子さんから聞いたんですか?」
本山は静かに首を横に振った。
「あなたの小説を読んだんです」
「小説?」
一志は首をかしげる。
本山には自分の小説を読んでもらった覚えがない。
今回の仕事をするきっかけになった0ちゃんねるの朗読劇【いなくなったくまさん】しか知らないはずだ。
「中野零先生のペンネームは珍しいですから。ネットで検索してすぐに見つかりました」
「ああ、そういうことですか」
よく考えればわかることだった。
投稿サイトに載せている小説は、どれも新人賞に応募した作品だと明記してある。それを読めば誰だって作者がプロ作家志望だと気づく。
「読んでくださって、ありがとうございます」
いつも通り感謝の言葉を述べる。
作者から読者への最低限の礼儀だと考えているから。
だが、感想を聞く気にはならなかった。
ずっと読んでくれていた幼馴染の玲におもしろくないと言われた作品ばかりだ。年齢も上で読書量も多い本山にも合わないだろうと思ったから。
「おもしろかったです」
聞こえてきたのは意外な感想だった。
本山の表情から心の中までは読めないが、少なくともお世辞や聞き間違いでないことはわかる。この人はそんなことを言う人間ではないから。
「本山さんの好みには、合わなかったんじゃないですか?」
感想を否定するつもりはない。
ただ、言葉の真意を知りたくて聞いた。
「たしかにわたしの好みとは違います。でも図書館では中高校生向けの小説も置きますから。今はどんな作品が人気なのか知る必要があるのでいろいろ読むようにしています。合わないと思っていた文芸部のやり方が、こんなところで役に立つとは思いもしませんでした」
つい最近一志も似たようなことを体験していたので笑みがこぼれる。
「複数の女の子から好意を持たれるラブコメ。剣と魔法の世界で男の子が活躍するハイファンタジー。不思議な力に目覚めた男の子が悪者と闘う異能力バトル。近未来を舞台に特殊な機械を武器に世界の謎を探るSF。どれも売れ筋の作品をよく研究されていると思います」
「ありがとうございます」
「主人公の決めゼリフや熱いバトル演出など、読者が喜びそうなシーンが上手く書けています。どの作品もかわいい女の子の入浴やパンチラなどサービスシーンがあっていいですね。
「すみません。もう、そのへんでやめてください……」
顔を突き合わせて議論したい一志でも、これはなかなかキツかった。
けれど感心もしていた。
好みに合わない作品にもかかわらず、ほとんどの作品に目を通してくれている。そのうえ深く読み込んで考察して感想を述べてくれる。自分の隣にいるスーツ姿の女性が本物の出版社の編集者のようだと錯覚させられた。
「それだけに、もったいないと思いました」
「なにがもったいないんですか?」
「この人は器用なのに、どうして自分の書きたいものを書かないんだろうと」
本山の言葉が一志を現実に引き戻してくる。
あまりに的確な指摘で苦笑いもできない。
「……本山さんの言う通りかもしれません。だから僕は未だにプロになれない」
読む人が読めばわかるのかもしれない。
作品に作者の魂が入っているのかどうか。
新人賞の評価シートでも似たようなことを書かれたことがある。
『作品の核となるものがない』
『これが書きたいんだ!という熱いものが感じられない』
好き勝手言ってくれるな、と怒りつつも、自分の書きたいものはなにか、と悩んでもいる。
つい最近、玲にも同じことを言われた。
その後に書いた【いなくなったくまさん】は、彼女に読んでほしい物語ではあった。けれど、自分が書きたいものとは少し違う気がする。
自分の書きたいものはなんなのか?
どれだけ考えてもこれだという物語が見つからない。
このまま一生見つからないのか。
一生プロ作家になれないのではないかと不安にもなる。
「ただ、その器用さがあったから中野零先生に仕事を依頼したいと思ったのも事実です。その若さでジャンルの異なる作品をいくつも書けるのはすごいと思います」
小柄で童顔な本山は、今でも高校生に見えなくもない。そんな人から「若い」と言われると、なにかの冗談に聞こえなくもない。
「器用だなんてそんな……」
一志自身は、器用というよりも書きたいものが定まっていないだけだと考えている。
しかし、無理に否定するのは相手に失礼と思って口を閉じた。
「この人なら他人が考えたキャラクターや設定を上手く活かして物語を書いてくれると思ったんです。実際、中野零先生は7つもプロットを作ってきてくださいました」
気のせいか、本山の声には感情や熱が込められていくようだった。
だが一志は隣を見られない。
依頼人の期待に応えることができず申し訳ないから。
時間がなかったから。
資料が足りなかったから。
理由はいくらでも見つけられるが、それらはすべて言い訳にしかならない。自分にできる最善の努力はしたが、相手にとって最高の結果とはならなかった。
「すみません……」
皮肉や嫌味ではないと知りつつ謝罪の言葉が出た。
完全に自分の力不足である。
まだまだプロ作家を名乗るには程遠いと痛感させられる。
いつの間にか本山が立ち上がって一志の前にいた。
本山の目からは涙がこぼれている。
「えっ?」
女性、しかも年上の人が泣いている時になんと慰めればいいのかわからなかった。
もっと恋愛小説や少女漫画を読んで女心を勉強しておけばよかったと後悔する。
「中野零先生」
「は、はい」
「わたしのわがままを聞いてくれませんか?」
「な、なんでしょうか」
いったいなにを言われるのか。
いったいなにをやらされるのか。
「モミコちゃんを脚本に入れてあげてください」
なんと反応をすればいいかわからなかった。
それはすでに話がついているはずだ。
つい先ほど本山自身がモミジロウくんだけのプロットを読んで採用を決定している。
それなのに、どうしてまたそんな話をしているのだろうか。
イベントまでもう一週間しかない。
正直、今から新たにプロットを作るのは難しい。
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