第10話 モミジロウくん
本山が帰るとすぐに創作ノートを机の上に広げてアイデアを出し合う。
朗読劇イベントまでもう時間はない。
一志はひたすらペンを動かすが、玲は彼の顔をじっと見つめている。
「なんだよ。気が散るんだけど」
「謝礼。本当にもらわなくてよかったの?」
「ああ、ごめん。天ヶ沢には謝礼を出すようにお願いしようか?」
「そうじゃないって。もともとお金なんてもらう気なかったし。でも意外だなと思ったから。作品を書いてお金をもらうことがプロ作家の条件って言ってたのに。なんで?」
「べつに。僕の作品には、まだお金をもらえるほどの価値がないと思っただけだよ」
一志が口を尖らせながらつぶやくと、玲は微笑むばかりでなにも言わない。
「なんだよ」
「私はそう思わないけどね。一志の作品には、お金を払う価値があると思ってるよ」
「お世辞はいいから頭を動かしてくれよ……」
「お世辞じゃないのに。やっぱり一志は女心がわかってないね」
耳まで赤くする一志に対して、玲はからかうような視線を送り続ける。
一志の考えるプロ作家の条件は今も変わっていない。
作品を書いてお金をもらうことが目標だ。
今もそのために頭と手を必死に動かしている。
「すみません。企画書をお渡しするのを忘れていました」
先ほど帰ったばかりの本山が戻ってきた。
声は焦っているように聞こえるが、表情には一切そういった感情が出ていないように見える。まるで本物の人形のようだ。
「あはは! しっかり者のリカちゃんが忘れものなんて珍しいな!」
駄菓子屋の業務に戻っていた千代子が低く大きな声で笑う。
「だからチョコは黙っていてください」
本山は机の上に企画書を広げて見せる。
「中野零先生。予算も時間もないのに申し訳ありませんが、脚本に関してお願いがあります」
「あの、ペンネームで呼ばなくてもいいですよ。ちょっと恥ずかしいので……」
「大丈夫です。私は先生に敬意を持っていますから。話を続けてよろしいですか?」
「いや、でも……」
「よろしいですか?」
「あっはい」
有無を言わせぬ圧力を感じた一志は大人しく従う。
どうして自分の周りにいるのはこんな女性ばかりなのか、と心の中で毒づいた。
「朗読劇の時間は10分程度でお願いします。子どもたちの年齢は幼児から小学生までと幅広いので集中力もそれぞれ違いますし、あまり長くなると退屈に感じる子もいますから」
「わかりました。0ちゃんねるの朗読劇もそれくらいなのでちょうどいいです」
「それから脚本には、こちらのキャラクターたちを登場させてほしいです」
本山が指さした企画書には、朱色のもみじの写真が載っている。正確には、もみじの葉っぱ形の頭に朱色に染まった体の着ぐるみ。いわゆる『ゆるキャラ』というやつだ。
一志もお祭りや街のイベントで何度か見かけたことがある。ただ、名前が思い出せない。
「あ、モミジロウくんだ」
玲が明るい声を発する。
それを聞いて一志も思い出した。そうだ、そんな名前だった。
「はい、モミジロウくんです。紅葉の名所として知られる秋葉市のゆるキャラです。化物退治伝説としても有名な秋葉山に生息するもみじの妖精という設定があります。妖精に性別があるのか不明ですが、一応男の子です。秋葉駅の売店ではぬいぐるみやタオル、せんべいや饅頭が売られていて、ささやかな観光資源にもなっています」
本山は、好きなことや興味のあることには饒舌になるらしい。ただし無表情のまま。
「かわいいですよね、モミジロウくん。小さい頃にキーホルダー持ってました」
「ええ、かわいいです。わたしもぬいぐるみを持っています」
「どうしよう。僕も地元民なのに、モミジロウくんのこと全然わからない……」
「私も手伝ってあげたいけど、もみじの妖精ってことくらいしか知らない……」
「モミジロウくんの詳しい設定については、こちらをご参照ください」
設定資料を渡されて一志はホッとする。
先ほど本山が説明してくれた基本設定の他、口癖や性格などの詳しい特徴も記載されている。自分が考えたキャラクターではないが、これだけの情報があればなんとかイメージはつかめそうだ。そのうちの設定の一つに目が留まる。
「あの、モミジロウくんって恋人がいるんですか?」
思わず二度見したが、たしかに『恋人がいる』という文言がある。
隣には、モミジロウくんによく似たキャラクターの写真が貼られている。もみじ形の頭と朱色の着ぐるみは同じだが、大きなリボンと長いまつ毛が女の子らしさを強調している。
「はい。あまり知られていませんが、もみじの妖精の女の子、モミコちゃんという恋人がいます。秋葉山に生息していて、将来はモミジロウくんと結婚するという設定もあります」
「結婚を前提にしたお付き合いですか……」
ゆるキャラのくせに恋人がいるのか、と一志はほんの少しだけ
気を取り直してモミコちゃんについて知ろうとするが、それ以上の情報が見つからない。読み飛ばしたかと別のページを確認してもない。あるのはモミジロウくんの設定ばかりだった。
一志が焦っているのを察したのか、本山が首を横に振って話す。
「モミコちゃんの詳しい設定は、まだありません」
「まだということは、これから作られるんですか? できれば早めに教えてもらえるとありがたいです。性格や口調がわからないとセリフを考えるのが難しいので……」
そこで気がついた。
5月の子どもの日のイベントまでもう一カ月を切っている。
今すぐプロットを作って脚本を書き始めなければ間に合わないこの状況で、別の人が考えるキャラクター設定を待っている時間はない。
どうしたらいいかと一志が
そこに玲が口を挟んでくる。
「こっちで考えればいいんじゃないかな。そうすれば時間短縮にもなるでしょ?」
彼女の提案はもっともだ。
たしかにその方法を採用すれば時間の問題は解決できる。
しかし、それを採用することによって別の問題も生まれてくる。
「それはダメだ。モミジロウくんやモミコちゃんは秋葉市のものだから。僕たちが勝手に設定を作ったら著作権侵害になる。原作のあるアニメも原作者の意見を聞きながら作るだろ?」
「そっか。じゃあ市役所の人に早く設定を考えてもらうしかないね」
玲はお願いするような視線を正面に送るが、本山は頭を下げながら答える。
「申し訳ありません。モミコちゃんの設定をイベントまでに考えることはできません。実は今、役所内でモミコちゃんを秋葉市のゆるキャラから外すという案が出ているんです」
まったく予期していなかった発言に一志と玲は衝撃を受ける。
聞きたいことはいくつもある。
しかし動揺のあまり口を開くことすらできない。
「お二人は、モミコちゃんのことをご存知でしたか?」
こんな時でも本山が無表情に尋ねる。
それでも口を開くだけの落ち着きは取り戻せた。
「いいえ。僕はモミジロウくんの名前も忘れてたくらいなので」
「私も……すみません。どこかで見た気はするんですけど」
「無理もありません。モミコちゃんは、世に出る機会がほとんどなかったですから」
表情の変わらない本山の顔にかすかに影がさした気がする。
「モミジロウくんとモミコちゃんが生まれたのはずっと昔のことです。秋葉市を盛り上げるゆるキャラとしてポスターや広報誌にイラストが掲載されたのが始まりです。それから少しずつ知名度を上げていき、イベントに出演するための着ぐるみが作られました」
企画書には、二体の着ぐるみの写真が写っている。
つまり、モミジロウくんとモミコちゃんの両方が無事にイベントデビューできたことを意味する。
それなのに、モミコちゃんは世に出る機会がほとんどなかったとは、どういうことなのか。
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