第9話 仕事をするべきか否か

「詳しい話を聞きたいのでどうぞおかけください」


 少しぎこちない態度で玲が話を進める。

 本山は机を挟んで二人と向かい合うように座る。


「それでは、イベント開催の日時を教えていただけますか」

「朗読劇は子ども向けのイベントということで、5月の子どもの日を予定しています」

「5月の子どもの日ですか。もう一カ月もないですね」

「はい。開催まで時間がなくて申し訳ないのですが、どうかご一考ください」


 本山は頭を下げる。無理を承知でお願いしているのだろう。

 玲は隣に座っている一志に尋ねる。


「0ちゃんねるの新作を後回しにして、図書館の朗読劇を先に書くことはできる?」

「できるよ。というか、図書館の朗読劇を0ちゃんねるでも使えばいいんじゃないか?」

「どうかな。図書館のイベントのための書き下ろしなら勝手に使うのはダメだと思うけど」


 玲は確かめるような視線を正面に向ける。

 本山は小さくうなずいてから答える。


「大丈夫です。図書館の宣伝にもなりますし、0ちゃんねるでもぜひ放送してください」


 現在、0番街のスピーカーからは時報や宣伝の他に朗読劇も定期的に流れるようになった。【いなくなったくまさん】を小学生が下校する時間帯や人が集まりやすい休日に放送するのだ。


 千代子の話では、足を止めて聞いてくれる人や新作を聞きたいと言う子どもが多いらしい。そのため早く新作を書く必要があったのだが、脚本を併用できるのはありがたい。


「もちろん。天ヶ沢玲さんにも、中野零先生にも、謝礼はお支払いするつもりです」


 突然ペンネームで呼ばれた一志は顔が熱くなる。

 恥ずかしいからやめてもらおうとしたが、本山はそのまま話を続ける。


「今回お二人にお願いしたいと思ったのは、先日の朗読劇がきっかけです。古いスピーカーなのに、天ヶ沢さんの明るくきれいな声はしっかり聞こえました。女の子や動物たちの声もそれぞれ使い分けて、心のこもった朗読がとてもよかったです」


 本山は一切の笑みを見せず、怖いくらいに真剣な表情で話す。だが、おかげでお世辞ではなく本音だということが伝わってくる。

 一志にとっては玲の仕事がほめられてうれしいけれど、自分の仕事がまだまだプロの域に達していないことを痛感させられる。


「ただ、天ヶ沢さんには申し訳ないのですが、一番の決め手は中野零先生の脚本なんです」


 聞き間違いか? 

 お世辞か?  

 しかし本山の表情は、相変わらず真剣そのものである。


「私のことは気にしないでください。それより、脚本のどこがよかったですか?」

 玲は満面の笑みを浮かべて続きを話すように促す。


 本山は眼鏡をかけ直すと、身を乗り出すようにして話を再開する。

「最初は子ども向けの話だと思ってあまり期待してなかったんです。でも、物語が進んでいくと優しい言葉選びのセンスや子どもにも伝わる表現が素晴らしかったです。ボタンの瞳は悪事を見逃さないとか白い綿のつまったお腹は幸せな気持ちになるとか。女の子とくまさんの愛らしい姿が目に浮かぶようでした。物語の結末をただの夢オチにしなかったのも好きです。物を大切にしようというメッセージは、子どもたちにもわかりやすくていいですね。あとは……」


 ここまで一切の笑みを見せず、硬い表情のまま、まくしたてるように感想を述べる本山。

 うれしそうにうなずいて共感する玲と恥ずかしさから顔を手で隠している一志。


「失礼しました。つい熱くなってしまいました」

「いえいえ、楽しんでいただけてよかったです。中野零先生もこんなに喜んでますから」


 玲はからかうように肩に手を置いてくる。

 一志は赤面したまま、おずおずと口を開く。


「でも、本当にいいんでしょうか。天ヶ沢はともかく、僕の脚本はまだ拙(つたな)いところが……」

「たしかに物足りない部分はありますし、途中で帰ってしまう大人もいました」


 ほめてくれているのに余計なことを言ってしまった。

 一志は自分の失言を呪う。

 読者の感想を作者が勝手に否定していいわけがないと、先日思い知ったばかりではないか。


「わたしも仕事で読み聞かせをするからわかります。子どもは正直です。物語がつまらないと思ったら聞いてくれません。読み聞かせも上手くなければ、すぐにどこかへ行ってしまいます。だけど生放送の日、あの場にいた子どもたちは、一人も帰っていませんでしたよ」


 それはつまり、【いなくなったくまさん】は物語もおもしろくて読み聞かせも上手い、ということになる。

 一志と玲がそれぞれの仕事に本気で向き合ったからこその結果だろう。


「もともと朗読劇イベントは、図書館職員のみでやることが決まっていました。しかし、あの朗読劇を聞いたらお二人にもぜひ参加してほしいと思ったのです。上司は難色を示していますが、なんとか説得してみせます。どうか、お願いできないでしょうか」


 なるほど。だから準備期間がないのか。

 一志は、納得すると同時に新たな疑問を抱く。


「図書館のイベントなら予算が決まってますよね。謝礼なんて出せるんですか?」

「そこは心配しないでください。わたしの財布から出します」

「え? 大丈夫なんですか?」

「はい。ただし、他言無用でお願いします」


 本山は人差し指を唇の前に立てて見せる。

 それは大丈夫とは言えないのではないか。倫理的にも法律的にも。


 一志の頭に選択肢が浮かぶ。

 すぐにでも断るべきだ。


 本山が朗読劇イベントに本気で取り組んでいることは伝わっている。

 硬い表情とは裏腹に熱意を仕事に注いでいることもわかる。

 一志の脚本や玲の朗読に惚れ込んだうえで依頼してくれているのも明らかである。

 こんな人といっしょに仕事ができたらどんなにうれしいか。


 だがそれ以上に問題がありすぎる。

 イベント開催まで準備する時間はないし、依頼料も正式な形で支払われるものではない。

 これだけでも断るのに十分な理由といっていいだろう。

 

一方で、一志の心に別の選択肢が引っかかっている。参加したい。

 正直、メリットは少ない。

 〆切までにいい作品ができるかわからないし、図書館の小さなイベントでは実績にもならないし、原稿料も個人のポケットマネーではたかが知れている。 

 

 だがそれでもいい。

 本山と仕事をしてみたい。

 最高におもしろいイベントにしたい。


 人間は常に理性で動いているわけではない。

 だが一時の感情に身を任せていいわけでもない。

 二つの相反する感情がせめぎ合って脳内で洪水を引き起こしている。


「私は参加したいです」

 感情の濁流だくりゅうおぼれている一志の横で玲が手を挙げる。


「小さい頃から図書館は利用してますし、どこかで恩返しをしたいと思ってたんです。読み聞かせって今もやってますよね? 私、よく行ってました。スタンプ帳まだ持ってます」


 玲が懐かしそうに話すので一志も思い出した。

 保育園に通う幼児や小学校低学年向けの図書館のサービスの一環で、紙芝居や絵本の読み聞かせがある。訪れるたびにスタンプ一個。十個貯まるとしおりがもらえるのだ。一志にとっても玲にとっても、それぞれ本のおもしろさや朗読の魅力を知るきっかけになった。


 ただし、玲は小学校高学年になっても幼児たちに混じって絵本の読み聞かせに行っていた。恥ずかしいから嫌だと言う一志も強制的に連れて行かれる。その度にボランティアとして参加していた女子高生に笑われて、余計に恥ずかしい思いをさせられた。


 その時、一志の脳裏にある考えがよぎる。

 これなら問題なく参加できるのではないか。


「僕も、やりたいです」

 一志も手を挙げて参加表明をする。

 それからすぐに付け加える。

「ただし条件があります」


「なんでもおっしゃってください。謝礼もご希望の金額を提示してください」

「いえ、謝礼はいただきません」


 本山がお金を渡したことが発覚したら彼女は職を失うことになる。もしそんなことになったら、一志や玲が悪くなくても罪悪感が一生付きまといかねない。


「ボランティアスタッフとして参加しますから」


 秋葉市立図書館には正規職員やアルバイトの他、高校生から高齢者まで多くのボランティアスタッフがいる。働く人の業務量を減らすため、来館者が快適に利用できるようにするためだ。本を棚に戻して並べる書架整理から花壇の手入れなど、ボランティアの仕事内容は多岐たきにわたる。イベントの運営もその一つだ。


「イベントスタッフなら突然増えても上司を説得しやすいんじゃないですか?」

「しかし、それではお二人に申し訳ありません。せめてなにかお礼をさせてください」

「それなら、お昼のお弁当や飲み物をいただけますか。これくらいは問題ないですよね?」


 本山はほんの少し考えた後、頭を深々と下げる。


「ありがとうございます。ぜひよろしくお願いします」

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