第4話 売れなければ意味がない
千代子は高校で軽音楽部に入り、気の合う仲間と共にバンドを組んだ。担当はギターボーカルで、高校の文化祭や商店街のイベント、地元のライブハウスでよく演奏していた。
高校卒業後も仲間といっしょにアルバイトをしながら音楽を続けていた。
徐々に実力と人気が高まっていき、多くのレコード会社や音楽事務所から声をかけられるほどになる。
そのうち全国のライブハウスでも演奏するようになり、一志もCDを買って応援していた。
しかし一年前にバンドは解散した。
突然の解散にファンの間では、音楽性の違いや人間関係の不和など様々な憶測が飛び交ったが、詳しい理由は今も明らかになっていない。
解散後も他のメンバーが別のバンドに入って音楽を続けるなか、千代子は両親が経営するこの駄菓子屋で働き始めた。持ち前の明るさとライブで
一志には不思議で仕方なかった。
あれだけ好きだった音楽をなぜやめてしまったのか。
まだ二十代前半と若く、両親も元気に働いているからすぐに跡を継ぐ必要もない。昔のバンドメンバーも駄菓子屋に遊びに来ることがあるから不仲が原因でもないだろう。
「なに言ってんのさ。あたしは音楽をやめたつもりはないよ」
千代子はギターを弾きながら笑い飛ばす。
「たしかにバンドはやめた。だけど今もこうしてギターを弾いてるし、友達とセッションすることもあるし、たまに0ちゃんねるで曲を流してもらうことだってあるじゃないか」
言われてみるとその通りだった。
千代子は以前変わらず音楽を楽しんでいる。しかし……。
「もうすぐメジャーデビューできるところだったのに、バンドをやめたのはなんで?」
千代子はギターを置いて店の奥へ入っていく。
聞いてはいけないことだったかと一志は反省する。
だがすぐに、油の匂いといっしょに元気な声が流れてくる。
「つまらなくなったからさ。デビューしたいなら会場を観客いっぱいにできる売れる曲を演奏しろって事務所の人に言われたんだよ。あたしもみんなもそれを真に受けて、自分たちがやりたい音楽よりも、観客が聴きたい音楽よりも、事務所が売りたい音楽をやるようになってた。でもさ、そんなのあたしの音楽じゃないと思うんだよ」
「お金を稼ぐのは悪いことじゃないでしょ。売れないと食べていけないんだから」
「そりゃそうさ。この店だって商売だからお金を取らないわけにはいかない。だけど、金より大事なこともあるんだよ。ファンあってのバンドだし、お客あっての駄菓子屋のようにさ」
そのことは理解している。
だが今は素直に受け入れることができなかった。
「へいお待ちぃ!」
千代子がきなこと砂糖のあげパンを渡してきた。
「いや、だから……僕はまだ食べられないんだって……」
「それは聞いたよ。でも、そんな顔で最高におもしろい物語は書けるのか?」
一志は店内のガラス戸に映る自分の顔を見て驚く。
目の下には濃いくまがあり、ひどく疲れた表情をしている。
寝不足以外にも原因があることは、自身が一番わかっていることだ。
「あの子となにがあったのか知らないけどさ、ちゃんと二人で話し合って決めるんだよ」
「ありがとう……チョコ姉」
「おう。あたしも0ちゃんねるの放送を楽しみにしてるんだ。がんばりなよ!」
千代子は低く太い声で豪快に笑うと、一志の背中を叩いて送り出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
玄関先に見慣れない靴が置いてある。
女物のローファーであることから持ち主が誰なのか、すぐにわかった。
二階に行くとすでに自室の明かりはついていた。
戸を開ければ玲が本棚の前に立っていた。
「おかえり、一志」
「なんでいるんだよ」
「安心して。ベッドの下は見てないよ」
「そんな心配はしてないから……」
口ではそう言いつつも視線はベッドに向けられていた。
「作風は変わっても本の趣味は変わらないんだね。オススメあったら貸してよ」
「学校ではありがとう。演劇部に誘われて断ったんだけど、ちょっとしつこくて……」
「いいよ、べつに。友達を助けるくらい」
「友達なら名前で呼んでくれてもいいんじゃないの?」
「これ、チョコ姉から」
一志はあげパンの入った袋を渡す。
玲は複雑な表情でそれを受け取って中を見る。
あげパンは、すでに半分ずつになっていた。
子どもの頃から駄菓子屋へ行くたびに食べていた思い出の味。
砂糖もきなこも両方好きだが、小さな胃袋では二つも食べられない。
そこでいつからか、二人で半分にして食べるようになったのだ。
久しぶりに再会した玲がそれを覚えていたことが一志はうれしかった。
お互いなにも言わずにあげパンにかじりつく。
玲が横目で見てくるが、一志は気づかないふりをして口を動かす。
食べ終えてからも言葉を交わさないまま時計の針の動く音だけが聞こえている。
「ねぇ、なにかあったの?」
先に沈黙を破ったのは玲だった。
一志は窓の外をぼんやりと見ている。
この辺りは街灯が少なく、今日は月も雲に隠れているせいでいつも以上に暗くなっている。帰りは送っていかないとまずいかもしれない。
しかし、女性声優が男と歩いているところを見られる方がもっとまずいだろうか。まあ、こんな田舎なら大丈夫か。
「何千人も応募者がいる新人賞で3次選考まで進んだのはすごいと思うよ。でも、昔の作風と違うのはなにかあったのかなと思って……。友達なら教えてくれてもいいんじゃない?」
いつの間にか玲が本棚の前から移動して目の前に立っていた。
顔立ちも体型も以前と違っているけれど、真剣に話す時の声は昔とまったく変わっていない。
一志は、ため息をついてから重い口を開いた。
「学校でも言ったけど、僕はお金になるものが書きたいんだ」
「それは私も悪いと思ってない。でも、書きたいものを書かないのはやっぱりダメだよ」
「天ヶ沢も知ってるだろ。僕が書きたいと思って書いた作品がどうなったか。全部1次落ち。賞に合ってないのかと思って別の賞に送ったこともあるけど、結果は変わらなかった」
一志はこれまで小説を書いては出版社主催の新人賞に応募していた。
その頃はまだ玲がいたから作品を読んで批評してもらっていた。
よりおもしろい作品にしようと二人で熱い議論を交わすことも多々あった。
これ以上改善するところはと言えるまで作り込み、いっしょに郵便ポストへ投かんしていたのが懐かしい。
しかし結果は、いつも1次選考落選。
その度に一志は落ち込んだ。
暗い表情をしていると、玲は笑顔で励ましてくれる。
それがまた情けなくて恥ずかしくて仕方なかった。
それでも一志は小説を書く。
どんなことがあっても書き続けると決めている。
なぜなら、もう自分だけの目標ではなく、大切な友人との約束でもあったから。
「僕は必ず小説家になる。そのためならなんだってするつもりだ。書きたいものを書いてダメなら出版社が売りたいものを書く。このやり方で賞を狙うことにしたんだよ」
大半の新人賞は選考を一度でも突破すると出版社の編集部から評価シートが届く。どこがよくてどこが悪いのか、具体的に教えてくれる。
けれど1次選考で落ちた作品にはそれがない。
キャラクターに魅力がないのか。
ストーリーがつまらないのか。
構成がわかりづらいのか。
たとえどんなに望んでも落選理由を教えてくれることはないのだ。
そのうち玲は、この街を離れてプロ声優としてデビューした。
それは一志にとっても喜ばしいことであり、悲しいことでもあった。
いつも一番に読んでくれていた読者がいなくなると同時に、共に目標を叶えようとがんばってきた仲間がいなくなったのだから。
一志は言い表しようのない不安に襲われて悩み苦しんだ。
自分の作品がおもしろいのかつまらないのか、他の人はどう感じるのか、わからなくなってしまった。
どれだけ書いても不安は消えず、文章の流れに違和感を覚えたり表現の粗さが気になったり悩みは増すばかり。誰かに相談したくても頼りになる友人はもういない。
そんな時だった。
一つの指標、不安や悩みを打ち消す判断材料を見つけたのは。
「人の好みは
いつの間にか一志は、熱い意見を交わして盛り上がっていた頃のように
玲は、どこか冷めたような目つきで話を聞いている。
「とにかく僕は売れている作品をたくさん読むようにした。
そしたらどうなったと思う?
今まで1次選考すら突破できなかった僕の小説が、選考を突破するようになったんだよ!」
中学校には小学校に置いていなかった本があり、蔵書数も倍以上だった。もともと読書好きだった一志は毎日のように図書室から本を借りて読み、市立図書館からも本を借りて読んだ。
また、売れていると評判の作品はできるだけ買って読むようにした。それと並行して各新人賞の傾向を分析しながらそれぞれの賞に合った小説を書き進める。
中学校には文芸部がなかったので部活には入らなかった。
おかげで余った時間のほとんどを読書と執筆にあてることができた。その頃は秋功学園の文芸部が廃部になるとは思わなかったから、しっかり勉強して高校受験にも備えていた。
「駄菓子屋で読んでもらった作品は初めて通過した作品なんだ。あの時は本当にうれしかったな。それから1次選考は必ず突破できるようになったんだよ。この前も新人賞の結果発表があって、まあ4次落ちだったんだけど。その次は最終選考だったのに……悔しいなあ……」
「それはすごいと思う。でも……」
活き活きとした声で話す一志とは対照的に、くぐもった声で玲が話す。
「私は昔みたいに一志が書きたいものを書いてほしいと思ってる」
「そりゃ僕だって書きたいものを書きたいよ。でも、売れなければ意味がないんだよ。声優だってそうだろ。声優の仕事だけでは食べていけないからアルバイトをしている人の方がずっと多いって聞くよ? まあ、売れっ子声優の天ヶ沢玲にはわからない悩みだろうけど」
しまったと思った。
だが一度口にしてしまった言葉を戻すことは誰にもできない。
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