第3話 書きたいものなんてない

 その日最後の授業の終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響く。


 ようやく帰ることができると安堵あんどした生徒たちがため息をついたり背中を伸ばしたりする。


 入学して最初の授業だから簡単な説明で終わるだろうという生徒たちの甘い考えを打ち砕くように、すべての科目で一時間みっちり授業が行われた。


 さすが文武両道、実力主義、競争主義という教育理念を掲げる秋功学園である。


 入学するのも大変だが、入学してからはもっと大変という噂はどうやら本当らしい。


 文芸部に入ることが目的だった一志には、これからの三年間が憂うつでしかない。しかし、入学してしまったからには仕方ない。せめて蔵書数の多い図書室を存分に利用しよう。


 勉強道具を鞄にしまってすぐに教室を出る。

 寝不足のせいで頭もまぶたも重い。

 授業中は、教師の話を聞くよりもあくびを我慢するのに必死だった。


 それもこれも……のせいだ。


 一志は、その原因を作った人物がいる一年六組の教室の戸の前に立つ。中をのぞくと、疲れ果てた生徒たちが席に座っている。こちらも同じかと少し同情する。

 黒い学ランを着た男子生徒たちが出て行き、教室に残っているのは黒いセーラー服を着た女子生徒だけになった。

 教室の中を見まわすと、目当ての人物はすぐに見つかった。

 数人の女子生徒に囲まれながら困ったような笑みを浮かべている。入学したばかりだから親睦しんぼくを深めているのかもしれない。


 邪魔しちゃ悪いと思った一志は先に帰ろうとする。


「おーい」

 

 振り返ると、玲が手を振っていた。

 彼女は周りの女子たちに申し訳なさそうに頭を下げて走り出す。

 朱色のスカーフを揺らしながら出入口まで来ると、一志の手を引いてそのまま歩き出す。


「なに? どうした?」


「いいから、このまま歩いて」


 またしても有無を言わせぬ物言いに一志は従うしかなかった。

 誰もいない教室に入ると玲はようやく手を離してくれた。

 すぐにでも事情を聞きたかったが、彼女の呼吸は荒くて顔色も悪いように見えた。


「大丈夫か? 体調が悪いなら保健室に……」


 心配して声をかけると再び手が伸びてくる。

 まさかまた手を握れとでも言うのか。


「……プロットは?」


 玲の弱々しい声は気になったが、一志はすぐに鞄から書類の収まったクリアファイルを取り出して渡す。彼女はそれを受け取ってすぐに目を通し始める。


 プロットとは、物語の計画書や設計図のようなもの。どのような人物が登場して、どのような物語を展開していくのか。誰が読んでもわかるようにまとめたものである。


 玲の了解が得られたらすぐにでも原稿を書くつもりでいた。

 しかし……。


「おもしろくない」


 昨日読んだ短編小説と同じ感想だった。

 一志が徹夜して作り上げた成果は一瞬にして無になった。


「読んでくれてありがとう」


 それでも感謝の気持ちは忘れなかった。

 口だけでなく心からそう思っている。

 最近の流行を意識して作ったつもりだったが、彼女の好みには合わなかったらしい。

 これを改良するのではなく新作を考えた方がいいだろう。

 一志は頭の中でアイデアを練る。


「ねぇ、さっきの意見に対して反論はないの?」

「べつに。天ヶ沢の好みじゃなかったなら仕方ないよ」

「昔だったら反論してきたよね。ここは主人公の葛藤を描いてるとか、ここはヒロインの魅力を伝えるために必要な描写とか。たくさん議論していい作品にしようとしたはずだよ?」

「昔は昔だよ。今とは違う。おもしろくないと言われた作品にこだわっても意味がない」

「昔の作品は残ってないの? 投稿サイトにも載せてないみたいだけど」


 玲が言っているのは、原稿用紙に手書きしていた頃の作品だろう。

 一志には懐かしくもあり、思い出すのが辛い作品でもある。


「残ってないよ。新人賞の1次選考すら突破できなかった駄作なんて」


 無意識のうちに嘘をついていた。

 自分でもどうしてそんなことを言ったのかわからない。


「そんなこと言わないでよ。私にとっては大好きな作品なんだから」

「ごめん……」


 一志は大事なことを忘れていた。

 読者の感想を勝手に否定していいわけがない。

 そんな権利は作者にはないのだから。


 小学生の頃に書いた作品は自分だけのものではないのだ。

 あの頃はまだ玲がいて、作品を読んだら必ず意見をくれて、いつもおもしろいとほめてくれたことを思い出す。


「0ちゃんねるの朗読劇は、どういうのがウケると思う? 天ヶ沢の意見を参考にしたい」


 出版社主催の新人賞には傾向がある。

 明るく楽しい作品を求めるところがあれば、少し暗い作品でも受け入れてくれるところなど、それぞれの賞によってまったく違う。

 同じように0番街放送局『0ちゃんねる』にも求めている作品があるだろう。

 それを聞いて今後のプロット作りに活かそうと考えた。

 この前の秋葉市の昔話のように子どもから大人まで楽しめるものがいいのか。それとも商店街を利用する人の多くは高齢者だから、そういった人たちが喜ぶものにするべきか。


「売れるとか売れないとかは関係ないよ。

 一志には書きたいものを書いてほしい」


 嘘偽りのない言葉が胸に刺さるようだった。

 彼女はあの頃とまったく変わっていない。


「べつに。書きたいものなんてないよ」


 また苦しまぎれの嘘がこぼれる。

 玲は、なにも言わずに出て行ってしまった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 0番街の裏通りにある駄菓子屋で一志は頭を抱えていた。

 玲を追うべきだったのか。あれからずっと考えているけれど、答えは見つからない。


「なにやってんのさ。脳に糖分が足りてないならあげパンを食べればいいじゃないか」


 紺色のエプロン姿の千代子が今日も元気に働いている。

 明るく高い玲の声とは対照的に低く太い声が狭い店内に響く。


「食べないよ。まだ目標は叶ってないんだから」

「なんでさ。秋功学園に入学するっていう目標は叶ったじゃないか」

「本当は文芸部に入りたかったんだよ。でも今年の春に廃部になってたんだ。それから……」


 一志はプロ作家になるという目標を話した。

 今まで玲以外の人間には話したことがない。

 仲のいい友達はもちろん、家族にもちゃんと話したことはない。

 どうして今になって話そうと思ったのかわからない。

 ただ、気づいたら口が開いていた。

 いつもおしゃべりな千代子にしては珍しく、なにも言わずに聞いている。


 そこに小学生くらいの子どもたちが入ってきた。

 帽子を被った男の子と髪の長い女の子。

 二人は小さな手を固く握りしめ、つぶらな瞳を輝かせている。その手の中にはきっと、大切なおこづかいが入っているのだろう。


 あどけない姿に一志は初めてこの店を訪れた日のことを思い出す。

 お金を模したチョコレートや大きな目の黒猫が描かれたチューインガム、赤青黄といった色とりどりの棒状のゼリーなど。家族といっしょに行くスーパーのお菓子売り場とは違う雰囲気に心がおどった。


 隣にはいつも、玲がいた。

 あの日ここでいっしょに食べた駄菓子はなんだったろう。


「いらっしゃい。気になるものがあったら言いなよ。あたしが取ってあげるからさ」


 千代子は、子どもたちと目線を合わせるようにしゃがんで話す。

 彼らは少し驚いた表情を見せた後、小さくうなずいてから平台に載っている駄菓子を見る。気になるお菓子を手に取ったり値段を聞いたりしている。

 真剣に悩んでいるその姿は、一志の目にはとても楽しそうに映った。

 最終的にはそれぞれ目当ての駄菓子を買い、子どもたちはうれしそうに帰っていった。


 千代子は会計を済ませると、レジの脇に置いてあるアコースティックギターを弾き始める。店が暇な時に演奏することがあり、一志はそれを聴くのが好きだった。

 今弾いているのは、子どもたちに人気のアニメの主題歌だ。まだ練習中のせいか、コードを間違えたり音が外れたりしている。それでも心地よい音色が店内にこだまする。


「千代子さん」

「んー?」

「千代子さんは、どうして音楽をやめてしまったの?」


 音が止んだ。

 店内は静かになり、二人の息遣いだけが聞こえる。

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