第1章
第2話 おもしろくない
「おかえり玲! 元気だったか? 朗読劇よかったよー! もう最高さ!」
駄菓子屋に一志と玲が入った瞬間、千代子は低く大きな声で迎え入れる。
「ただいま。チョコ
あまりの歓迎ぶりに困ったような笑みを浮かべながらも玲は感謝する。
「その名前で呼ばれるのも久しぶりだよ! 昔は一志も呼んでくれたのになあ?」
恨めしそうな目つきで千代子が見てくる。
一志は睨みつけながら問いただす。
「帰ってきたことを知ってたよね?」
「なんのことさ。あたしはなにも知らないよ」
わざとらしく視線をそらして口笛を吹く。
それから逃げるように店の奥へ入っていった。
知らないわけがない。
放送局0ちゃんねるで新企画が始まることを知っていたように、誰が朗読するのかも当然知っていたはずだ。
どうしてそれを教えてくれなかったのか。
「お前もお前だよ。帰ってきたなら教えてくれよ。しかも同じ学校って……冗談だろ」
玲が着ているのは、真新しい黒のセーラー服。
秋葉市内の高校でセーラー服を制服にしているのは、私立秋功学園しかない。胸元には、もみじを模した朱色の校章バッジまで付いている。
「お前って言わないで……」
弱々しい声で反論する玲の顔色は暗く、体も少し震えているように見えた。
気分が悪いのかと一志は不安になる。
しかし数年ぶりに会った幼馴染になんと声をかけていいのかわからず、いくつもの言葉が頭に浮かぶだけで口に出せなかった。
「へいお待ちぃ! 揚げたてあっつあつのあげパンだよぉ! とってもおいしいよぉ!」
千代子の明るく元気な声が狭い店内に響く。
小さな机を挟んで向かい合うように座り、それぞれに砂糖ときなこのあげパンが置かれる。
玲は、きなこあげパンを半分に割ると片方を一志に渡した。
一志もすぐに砂糖のかかったあげパンを半分に割って玲に渡す。
知らない人が見ればなにをしているかわからないだろう。
「いただきます」
食前のあいさつをしてあげパンにかぶりつく。
ほのかな熱と甘みが口いっぱいに広がる。
「そういえば一志。昔はよく食べてたのに、玲が出て行ってから食べなくなったよな」
「べつに。目標を達成するまで食べないと決めていただけだから」
「なら秋功学園に入学が決まったからもう食べられるようになったのか。よかったな!」
目標はまだ叶っていない。
しかし、あえて言うことでもないので黙っておくことにした。
一志はあげパンを食べながら玲の顔を見る。
小学校を卒業してからずっと会っていないが、大きな目や整った鼻、肩のあたりで切り
彼女の姿は雑誌やインターネットでよく見ていたので久しぶりという感覚は薄い。しかし、目の前で砂糖をこぼしながらあげパンを食べる姿を見ていたら懐かしさがこみあげてきた。
「一志。秋功学園入学おめでとう」
「おま……
「六組。私は入学式で一志がいるって気づいてたよ。ねぇ、昔みたいに名前で呼んでよ」
「そういうわけにはいかないよ。天ヶ沢は、芸能人なんだから」
名前呼びに慣れていたせいで違和感がある。
気をつけないとうっかり間違えそうだ。
玲は下を向いたままあげパンにかじりついている。
目の前にいるのにずっと視線が合わない。
お前と呼びそうになったことを怒っているのだろうか。
「それよりどうしてこっちの高校に? 仕事はいいのかよ」
玲が顔を上げてほんの一瞬視線が合う。
驚いたような表情だったが、すぐにまた伏せる。
「事務所は、やめたから」
「え、やめた? なんで?」
「まあ、ちょっと……ね」
これ以上は聞いてほしくない。暗にそう言っているようだった。
一志は、あげパンをかじりながら目の前に座る少女のことを考える。
芸名のようにも聞こえるが、まぎれもない本名である。
小学生の頃から秋葉市内の劇団で子役として活動していた。
昔から見た目はかわいらしく、芝居だけでなく歌も踊りも上手だった。
天が二物も三物も与えたような才女で、日々の
将来は女優かアイドルになるだろうと周りの大人たちは思っていた。
そんな周囲の期待を知ってか知らずか、玲は声優になる道を選んだ。
きっかけは0番街で流れる時報だ。
玲はそこで初めて声優という職業を知り、誰に言われるまでもなく声優になろうと決めた。これまで以上に劇団の稽古に励み、オーディションを受け始める。一年後には事務所への所属が決まり、本格的に声優の仕事をするために中学卒業と同時にこの街を出ていった。
またこうして会って話せるとは、思ってもみなかった。
事務所の規則で家族以外の異性との連絡をとることさえ禁じられていたから。
それでも一志は知っている。
彼女が現役女子中学生声優という肩書きで外国映画やアニメの吹替、ステージで歌って踊るなど、多岐にわたって活動してきたことを。
同時に、自分はまだ何者にもなれていないのだと気づかされる。
「一志はどうなの? 目標の一つだった秋功学園の文芸部に……あっごめん……」
「いいよ、べつに……」
口ではそう言いつつも気持ちが沈んでいくのがわかった。
一志が進学校の秋功学園に入ったのは、勉強が好きだからでも偏差値の高い大学へ行くためでもない。尊敬している小説家がここの卒業生で文芸部に所属していたからだ。自分もそこに入り、仲間といっしょに
しかし、文芸部はすでになくなっていた。
廃部の理由は、川に入って問題を起こした部員たちがいたせいらしい。そのことを入学式の後に行われた部活動紹介で知った時には……。
「文豪の気分を味わいたかったってなんだよ! 月を見ながら愛してるとでも言ってろよ! さもなければくたばってしまえ!」
一志は顔も名前も知らない文芸部員たちに向かって悪態をつく。
無意味だとわかっていても言わずにはいられなかった。
これまでの努力が無駄になったと思わされるから。
「これからどうするの?」
玲が心配するように話しかけてくる。
一志は気を落ち着かせてから口を開く。
「どうもしないよ。これまで通り、物語を書いて新人賞に応募していくだけ」
「……そっか。よかった」
「よくない。全然よくないよ。僕はまだ……プロになれてないんだから……」
先ほどの落選通知のことも思い出してさらに気持ちが沈んでいく。
「そういう意味じゃなくて……そうだ。また私が読んで批評してあげようか?」
「お……天ヶ沢が?」
思いもよらない提案に眉をひそめるが、彼女の表情から本心は読めそうにない。
「私じゃ不満? 昔から中野零先生の作品を読んで感想を伝えていたのは誰か忘れたの?」
「ペンネームで呼ぶなよ。恥ずかしいからやめてくれ」
「いいじゃない。私は好きだよ。シンプルでカッコイイと思うけどなぁ」
本名の
新人賞に応募を始めたのは小学六年生になってから。
しかし、この筆名は小説を書き始めたばかりの頃から使っているので愛着がわいている。今さら変えるつもりはないが、恥ずかしいことには変わりない。
「ねぇねぇ。読ませてよ。久しぶりに中野零先生の作品が読みたいの。いいでしょ?」
「わかった。わかったから。少し静かにしてくれよ」
一志は、ため息をつきながら携帯端末を操作して小説投稿サイトにつなげる。ここには新人賞に応募した作品を掲載している。落選の歴史でもあるからあまり気分のいいものではない。
それでも出版社の目に留まって書籍化する可能性も少なからずある。新人賞だけがデビューの道ではない。プロ作家になるためならなんでも利用するつもりだ。
「ほら」
「わーい」
一志が携帯端末を渡すと、玲は子どものように喜びながら操作を始める。
まるで昔に戻ったみたいだ。久しぶりに玲のうれしそうな反応を見られてホッとする。
投稿サイトには、長編小説も短編小説も載っている。
長編は読み終わるまでにかなり時間がかかるけれど、短編ならそれほどかからないだろう。
昔から読むのが速かったからきっとすぐに……と考えているうちに声をかけられた。
「ねぇ。これって本当に一志が書いたんだよね?」
「え? もちろん」
どうしてそんなことを聞くのだろう。
もう読み終わったのか?
いや、それはない。
いくらなんでも速すぎる。
遅れて気がつく。
玲は小学6年生までの作品しか知らない。
それ以降の作品を読んだことがないのできっと驚いているのだろう。
昔と比べ物にならないほど筆力が上がっていることに。
携帯端末で隠れている彼女の表情を想像したら心が弾んだ。
応募し始めたばかりの頃は、いつも1次選考で落選していた。
いくら書いても選考を突破できずに悔しさや悲しさ、
書くのが辛いと思ったことは何度もある。
それでもやめたいと思ったことは一度だってない。
しかし、このまま書き続けてもダメだ。
プロになることができない。そう思った。
そこで一志は、過去の受賞作や売れ筋の作品を研究することにした。
読者にはどんな作品が求められ、出版社はどんな作品を売りたいと思っているのか、
そこで得た情報を基に売れそうな物語を考え、読みやすい構成や惹きつけるストーリー展開を意識して書き上げる。
その作品が落選したらまた調べて書く。
研究と執筆の繰り返し。
それからだ。選考を突破できるようになったのは。
今回だって4次選考を突破できていたら最終選考だった。
まだ研究が足らなかったのだと一志は奥歯を噛みしめる。
「おもしろくない」
一志がハッとした顔で玲の方を向く。
なんと言ったのか聞こえなかったわけではない。
はっきり聞こえていたからこそ見ずにはいられなかったのだ。
「おもしろくない」
玲は一言一句違わない言葉を再び発する。
今の彼女は顔を下に向けていない。
しっかりと前を向いて話している。
かわいらしい顔立ちには三年という時間が美しさを足したようだった。
だが今はそんなことどうでもいい。
一志は真剣な表情でなにを読んだのかと尋ねる。
「短編小説。新人賞で3次選考まで進んだって書いてあるやつ」
すぐに作品の題名と内容が思い浮かぶ。
冴えない男の子の主人公とかわいい女の子たちが出てくる学園ラブコメだ。3次選考まで進んだとはいえ、玲の好みではなかったのだろう。
しかし短編小説といっても数万字ある。
こんな短時間で読み終えるわけがない。
途中で読むのをやめたのだろう。
昔はどんなに下手な作品でも最後まで読んでから批評してくれたのに。
それが一志には残念に思えてならなかった。
「冒頭から主人公が複数のヒロインに好かれる理由がわからない。物語が進んでいくうちにわかるのかと思ったらギャグやエッチなシーンばっかりだし、最後は一人に絞れないからみんなで幸せになろうって……なにこれ? ハーレムもの? おもしろくない」
玲はため息をつきながら携帯端末を返してくる。
一志は黙って受け取るしかなかった。
最後まで読んでいる。
昔と変わらず、いや昔よりもしっかりと読み込んでくれている。
なぜなら、彼女の批評が編集者の書いた評価シートとまったく同じだったから。
しかし疑問が一つ残っている。
どうしてそんなに早く読むことができたのか。
そこで気づく。
やめたと言っても天ヶ沢玲はプロの声優だ。
声優は台本を読んでセリフを覚えるだけが仕事ではない。
キャラクターの性格や特徴を読み込み、それに合わせた芝居をするのだ。
どんなに長いセリフでもすぐに覚え、どんなに短い文章でも重要な情報を読み解く。それなら短時間で数万字の小説を読めてもおかしくない。
「ねぇ、どうしちゃったの?」
玲は心配そうな表情で聞いてくるが、一志にはなんのことかわからなかった。
「読んでくれてありがとう……」
それでも最後まで読んで批評してくれたことには感謝の言葉を述べた。
しかし、彼女は納得していないようだった。
不満そうな声でしつこく聞いてくる。
「他の作品もファンタジーやバトルものばっかり。昔の作風と全然違うじゃない」
「それは、応募している新人賞がそういう作品を求めてるから……」
「これは一志が本当に書きたいものなの? 今の一志は小説を書いていて楽しい?」
玲が真剣な眼差しで問いかけてくる。
その視線から逃れるように一志は目を背ける。
「どっちでもいいだろ。僕はプロの小説家になるために書いてるんだから」
今の自分にとっての本音だ。それなのに、嘘をついているようで気分が悪い。
「一志にとってプロ作家ってなに?」
「……物語を書いてお金を稼いでいる人」
今度も正直に答えたのに、やはり目を合わせることができない。
場の空気が重苦しい。
こんな時こそ千代子が得意のギターを演奏してくれたらいいのに、店の奥にこもったきり出てくる気配がない。
誰でもいいからこの状況をなんとかしてほしい。
そのためならどんなことだってする。
『午後5時になりました。それではみなさん、0番街で会いましょう』
ちょうど時報が流れる。
それをきっかけに今日はここで解散しようと提案する。
一志が重い腰をあげようとした時、状況を一変させる言葉が玲の口から飛んでくる。
「中野零先生。あなたに仕事を依頼します。
0ちゃんねるの朗読劇脚本を書いてください」
突拍子もない提案に困惑する。
だが玲の表情は真剣そのもので、嘘をついているようには思えない。
「僕はまだプロじゃない。仕事は受けられないよ」
「昔言ってたよね。新人賞だけがプロ作家への道じゃない。可能性があるならなんでも利用するって。この仕事を受けてくれたら目標が叶うよ?」
たしかに言った。
けれど、それとこれとは話が違うのではないか。
「とりあえず明日までにプロット作ってきて。最高におもしろい物語を期待してるからね」
そこで一志は思い出した。
玲もまた、昔からこうと決めたら絶対に曲げない頑固さがあることを。
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