0番街で会いましょう
川住河住
プロローグ
第1話 0
『
厳正なる選考の結果、あなたの作品は 4次選考 で落選いたしました』
携帯端末の画面を見てため息をつく。
何度見てもこの結果が変わらないことくらいわかっている。
それでも見ずにはいられなかった。
こんなところで立ち止まっているわけにはいかないのに……。
端末を持つ手に力がこもる。もうこれで最後にしようと決めて再び操作する。
「
突如、耳元に祝福の言葉が届いた。
一志は、ため息をつきながら振り返る。
「めでたくないよ。もう最悪だよ、
「なんでさ。今日は
エプロン姿の髪の短い若い女性、千代子は不思議そうに聞いてくる。
「そりゃ入りたかったよ。でも本当に入りたかったのは、文芸部なんだよ」
「なにさ。入部できなかったのか? 最近の文化部は、レギュラー争いでもあるのか?」
千代子は、目を輝かせて見つめている。純粋な好奇心から聞いているようだった。
一志は、なにも答えずに学ランのポケットに携帯端末をしまう。
「それより早く入りなよ。入学祝いにごちそうしてあげるからさ」
店の入口を指さして入るように促してきた。
見慣れた看板に目を向ける。
そこには黒く太い文字で『駄菓子屋』とある。
「ごちそうって駄菓子のこと?」
「いいじゃないか。好きだろ?」
その言葉には有無を言わせぬ圧力のようなものを感じる。
千代子には、昔からこうと決めたら絶対に曲げない
長い付き合いの一志には、拒否権がないとすぐにわかった。
「ありがとう」
素直に厚意を受けることにして店内へ足を向ける。
街に設置されたスピーカーから電子音が流れだす。
続けて女の子の声が聞こえてくる。
『午後4時になりました。
それではみなさん、
一志の顔色が一瞬にして曇った。
それに気づかない千代子が声をかけてくる。
「そういえば知ってるか?」
「知らない……」
「まだなにも言ってないだろ。今日から
0ちゃんねるとは、
市内のイベントや店の特売などの情報をスピーカーを通じて流している。先ほどの時報もその一つだ。
一風変わったこの街の名前は、数年前に廃止された鉄道路線に由来している。昔から鉄道の街として知られてきた秋葉市が記念として残すために使われることになった。秋葉市民のみんなが昔から利用しているため、今では『
「興味あるなら行ってきなよ。今日は生放送で人が集まってるはずだから」
「いいよ、べつに」
一志は、そのまま駄菓子屋に入ろうとする。
『みなさんこんにちは! 0番線商店街放送局0ちゃんねるです!』
スピーカーから流れる声に思わず足を止める。
聞き間違いかと思った。だが気になる。
『0ちゃんねるでは、本日より朗読劇を放送します。0番線商店街でお買い物中のみなさん、ご通行中のみなさん、どうかほんの少しだけ耳を傾けてください。よろしくお願いします!』
すぐに店の外へ出てスピーカーを見つめる。
ハッキリとはわからない。だが似ている。
『本日の朗読劇は秋葉市に伝わる昔話の一つ【
子どもから大人まで伝わるような明るい声。
耳元で優しく語りかけてくるような口調。
いつの間にか一志は、意識を耳に集中させていた。
スピーカーから流れてくる女の子の声を一言一句聞き逃さないために。
『それでは0ちゃんねる朗読劇【秋葉山の化物退治伝説】
はじまりはじまり~。
むかーしむかし、秋葉山の奥深くに人間を
「ふっふっふ。騙すのは楽しいなぁ。人間はおもしろいなぁ。もっと来てくれないかなぁ」
その化物は騙すことが好きで、なにより人間のことが大好きだったのです』
記憶の中にある彼女の声とはまったく違う。
それでも一つ一つの言葉に感情を込めて、人の心に訴えかけるような語り口はまるで……。
いや、そんなわけがない。彼女は三年前にこの街を出て行ったのだから。
「一志!」
突如、低く大きな声で呼びかけられる。
驚いて顔を上げると千代子が
「行ってこい!」
有無を言わせぬ声と視線に突き動かされるように一志は走り出していた。
『化物のことが街で噂になっていくうち、秋葉山を訪れる人は少なくなっていきました。街の人たちは見たこともない化物のことが怖くて仕方なかったのです。
「あれあれ? おかしいなぁ。今日は一人しか騙していないぞ。なんでだろうなぁ」
それでも化物は、またすぐにたくさんの人が来てくれると信じて待つことにしました。しかし、一日、一週間、一年と経っても山に入る人間は、どんどん減っていきます』
一志は足を動かしながらも耳だけはスピーカーに向ける。
表通りに入ったら放送局0ちゃんねるは目と鼻の先だ。
『どれほどの時が流れたでしょう。
秋葉山を訪れる人間はとうとういなくなっていました。
化物は人間を騙すことも会うこともできません。
それでも山奥でじっと待ち続けます。
山を下りて里に行けば人に会えます。
しかし、化物が山を下りることはありませんでした。
化物は人間のことが好きでしたが、人間は化物のことが嫌いだとわかっていたからです。
そのうち化物は、食べることも、騙すことも、なにもかも忘れて眠るようになりました。
ある日、化物が目を覚ますと一人の人間が立っていることに気づきました。
「やあやあ。おいらは
これまで化物を見た人間はすぐ逃げだします。
しかし言語朗は楽しそうに笑っています。
「われを起こしたのはどこのどいつだ! お前を食ってやろうかぁ! ぐわあおー!」
化物は人間を騙しても食べることはしません。
それほど人間のことが好きだったからです。
久しぶりに出会えた喜びと驚きのあまり、思ってもいないことを言ってしまいました』
一志はすれ違う人たちの顔を見る。
彼らはまっすぐ前を向いて歩いているようだ。
朗読劇を聞いているかどうかはわからない。
それでも、どうか一人でも多くの人に聞いてほしい。
そう考えながら目的地へ向かって歩き続ける。
『言語朗は怖がることも逃げることもせず、すぐに言い返してきました。
「なんだなんだ。その大きな口は人を騙すためにあるのではないのか?
騙すことが得意な化物と聞いてきたが、それはお前のことではないのか」
化物はまた驚きました。それから大きな口を開けて笑いました。
「ふっふっふ。おもしろいなぁ。楽しいなぁ。お前みたいな人間は初めて会ったなぁ」
言語朗はうれしそうに笑い、条件付きの騙し合いの勝負をしようと提案してきました。
その条件とは、騙し合いに勝った方が負けた相手になんでも命令できるというものです。
化物はこの人間を気に入ったのでその提案に乗りました。
こうして化物と言語朗の騙し合いが始まりました。
「われは海を渡った先の島に金銀財宝が埋まっていることを知っているぞ」
「そんならおいらは、山をいくつも超えた先に華やかな都があることを知ってらぁ」
騙し合いは三日三晩続きます。化物も言語朗も楽しくてうれしくて笑いが止まりません』
物語は、まもなく終わりを迎える。
昔話【秋葉山の化物退治伝説】には、いくつもの結末がある。
一志は、子どもの頃に何度も読んだからすべて覚えている。
化物退治は人間の夢だったというもの、騙し合いに勝ったら今度は人間がその化物になっていたというもの、など。
もしもこの朗読をしているのが彼女だとしたら……きっとあの結末を選ぶはずだ。
『決着がついた時、空には大きな月が浮かんでいました。
勝ったのは……言語朗でした。
化物は生まれて初めて人間に騙されました。
けれど、悲しくも悔しくもありません。
むしろ
そして人間と化物は互いの健闘を称え合ったそうです。
それから言語郎は秋葉山の化物と結婚して、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし』
物語を締めくくる言葉が告げられるのと一志が0ちゃんねるに着いたのはほぼ同時だった。
放送局のガラス戸の前にはたくさんの人が押し寄せている。みんな興味津々といった表情で中の様子を
近隣の店から抜け出してきたらしい従業員たちの姿まであった。
「久しぶりに聞いたけど、やっぱりいいなぁ」
「戻ってきてくれてうれしいよ。いやあ、本当によかったよかった」
「やっぱり0番街にはあの子の声が必要なんだよ」
「これからもずっといてほしいねぇ」
その時、戸が静かに開いた。
朱色のスカーフが巻かれた黒いセーラー服姿の少女が出てくる。
笑顔と拍手で迎える観客たちに、彼女は頭をしっかりと下げていく。
一志は笑うことも拍手もできず、ただ見つめるしかできなかった。
その視線に気づいた少女は、すぐに歩み寄ってくる。
「
なにかの間違いではないか。確かめるように目の前に立つ少女の名前を呼ぶ。
「ただいま、一志……」
間違っていないという答えがすぐに返ってくる。
記憶の中にある彼女の声とはまるで違う。
けれど、昔とまったく変わらない。きれいな声に違いはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます