第5話 今夜は寝かせない
「やめてよ。売れてるとか売れてないとか……がんばってる人に失礼だよ」
「バカにしてるわけじゃないよ。でも、お金を生む人の方がすごいと思うのは当然だろ」
「やめてって言ってるでしょ。そんなお金や売上のことばかり考えてる人の作品を誰が読みたいと思うの? 読者をバカにしないで。ちゃんと自分の書きたいものを書こうよ」
「お前になにがわかるんだよ! 小説のことも作家のこともなにも知らないくせに!」
失言に気づいて顔を上げた時にはもう遅い。
玲は悲しそうに肩を小さく震わせていた。
「だから、やめてよ。お前って、言わないで……」
「ごめん……」
すぐに謝った。
口先だけではない。
心から申し訳ないと思っているから何度も頭を下げた。
玲の意見が正しいとわかっている。
しかし自分の書きたいものでは、1次選考を突破できないという現実も無視することはできなかった。
「たしかに小説のことも作家のこともわからないよ。だけど私も……プロだったよ」
その通りだ。
分野は違ってもプロ声優として立派に活動していたという確かな実績がある。なんの実績もないアマチュアの意見とは説得力が違う。
「小説が原作のアニメに出演した時にね、作家さんとお会いすることがあったの。そこで、どうしたらプロになれますかって聞いてみた。そしたら、みんな同じことを言うんだよ。自分がおもしろいと思うものをひたすら書き続けていたらプロになれたって」
作家や声優に限らず、プロと名のつく職業に就く人はみんな似たようなことを言うのだ。
それならどうして自分の作品は認められない?
なぜ未だにデビューできていない?
口に出したくもない疑問や不満が一志の脳裏に浮かんでは消えていく。
こんなことを考えていても仕方ないことはわかっている。
それでも考えずにはいられなかった。
プロ作家になりたい。
いや、プロ作家にならなければいけないのだ。
そのためには……。
「魂のこもった作品を書けとか個性的な作品が求められてるとか、そんなのデビューした後だから言えるんだ。でも、出版社はそんなの求めてないよ。書きたい作品でデビューしても売れなきゃ一巻で打ち切りだし、新作を書けずにそのまま消えていく作家だっているんだから」
手段なんてどうでもいい。
今は我慢の時だ。
なりふり構わず結果さえ出せばいいのだ。
デビューさえできれば後からどうにでもなる。
まずは売れる作品を書ける有望な新人だと出版社に伝える。
それから少しずつ自分の書きたいものを書いていけばいいのだ。
「なに焦ってるの?」
玲が不安そうな、どこか心配するような声で問いかけてくる。
「べつに焦ってない。僕は一日でも早くデビューしたいだけだ」
「一志は、どうしてプロ作家になりたいの?」
ひどく単純な質問だった。
だがすぐに答えることはできなかった。
絵を描く。漫画を描く。小説を書く。
創作活動を仕事にしてお金を得る。
それがどれだけ大変なことなのか、わからない年齢ではない。
創作活動を楽しみたいなら趣味でもいい。
今はインターネットに小説投稿サイトがいくつもあるし、SNSで宣伝してたくさんの人に読んでもらっている人もいる。
お金が欲しければ電子書籍として通販サイトで売ることもできるし、紙の本にしたければ印刷所に頼んで製本してもらうことだってできる。それを同人イベントで
もともと一志にとって小説を書くことは趣味だった。
自分が書きたいものを書いて楽しみ、友達に読んで感想をもらって喜んでいた。
それがいつからか仕事にしたいと思うようになった。
きっかけは覚えているし、その時の気持ちは今も忘れていない。
「それは……」
答えは出ているのに、なかなか言葉にできない。
「やっぱりお金が欲しいから?」
違う。
お金は大事だし、売れる作品を書くことも大切だ。
しかし、それとプロの作家になりたいという理由は別だ。
「一志がどんな目的で書いてもいい!
でも今は、今だけは私のために書いてよ!」
その瞳は、
その言葉のおかげか、一志は少しだけ冷静になって考えられるようになった。
今書くのは出版社の新人賞に応募する小説ではない。
放送局0ちゃんねるの朗読劇脚本だ。
それなら新人賞の傾向も売れそうなものも無視していい。
いや無視すべきだ。
なぜなら、作品を読むのも原稿料を払うのも出版社ではない。
目の前にいる女の子、天ヶ沢玲なのだから。
一志は机から薄汚れたノートを取り出して渡す。
玲はそれを開いて、端から端まで書き込まれた文字に目を通していく。
一枚、また一枚とページをめくっていきながらつぶやく。
「懐かしい。昔はいろんなアイデアをノートに書いてたよね」
暗くなっていた玲の表情と声に少しばかり明るさが戻ってくる。
「今もそうだよ。思いついたことをノートに書き出してから、ストーリー展開や細かい設定をパソコンでまとめてる。なんか、このやり方じゃないと落ち着かないんだよね」
一志も心のしこりが消えたように落ち着いて話せるようになっていた。
「あげパンを凶器にした殺人事件ってなに? どんなトリックなの?」
「べ、べつにいいだろ。いろいろ考えてるとこなんだよ」
恥ずかしくなって取り戻そうとすると、玲は笑いながらノートを抱きしめてそれを防ぐ。
このノートには、これまで考えてきた物語のすべてが詰まっている。
今使っているもので5冊目になる。起承転結までしっかり書かれているアイデアもあれば、走り書きで意味のわからない単語や文章もある。知らない人が読めばただの落書きにしか見えないだろう。
それでも一志はすべて覚えている。
たとえどんなに
「これ、初めて賞に送ったやつだね。うーん、今読むと中盤の展開がちょっと弱いかも」
玲がいなくなってからは一志だけで物語を考えるようになった。
どんなアイデアもノートに書き込んでいく。その中から、これは、というものをプロットにして本編を書き始める。
しかし、どれだけ考えてもその物語がおもしろいのかどうか、判断がつかなかった。
ずっと二人で相談しながら作ってきた物語が新人賞の一次選考で消えていく。
それなのに、一人で考えた作品が通用するのかと不安だったのだ。
自分の考える『最高におもしろい物語』は、他の人にとって『最低につまらない物語』ではないのかと。
一志が秋功学園の文芸部に入りたかったのは、憧れの作家が在籍していたという理由の他に気軽に相談できる創作仲間が欲しかったのもある。ネットで探せばいくらでも見つかるだろう。しかし昔から玲と顔を突き合わせて議論していたせいか、探す気にはならなかった。
「ねぇ一志。これは?」
玲がノートを開いて見せる。
そこには『女の子が不思議な体験をする物語』とだけ書かれている。
それを見た一志は無意識のうちに顔をしかめた。
そのアイデアが降ってきたきっかけは覚えている。
玲がこの街を離れることになったからだ。
本当は、この街を離れるまでに作品を書いて渡そうと思っていた。
しかし、どんなキャラにすればいいのか、どんなストーリーにすればいいのか、まったく思いつかなくて書くのをやめてしまったのだ。
あれから三年も経っているから技術は上がっている。
だが、これだというアイデアは今も浮かんでいない。
「これにしよう」
玲がうれしそうな表情でノートを見つめている。
両端の口角は上がり、目を輝かせるその姿は、おもしろい本を見つけた子どものようだ。
「まだどんな物語にするか決まってないんだ。できれば違うやつを……」
「なに言ってんの。それはこれから考えればいいでしょ」
「でも、女の子が主人公の物語ってあんまり書いたことないし……」
「私は女だよ。気になることやわからないことはなんでも教えてあげる」
「いや、だけど……」
「書くの? 書かないの?」
一志の煮え切らない態度に玲が冷めた口調で聞いてくる。
「小説家になるためならなんでもするんでしょ。お金になるものを書くって言ってたでしょ。プロになるんじゃないの? あの言葉は嘘だったの? 一志の覚悟はそんなものだったの?」
真剣な表情と気迫に圧倒される。
一志はまっすぐに見つめて言い返す。
「嘘じゃない。僕は小説家になる。
プロになるためならなんだって書く。書いてやるよ!」
言い終えた直後、玲はニッコリと笑った。
それを見て一志の顔にも笑みがこぼれる。
彼女が本気で怒っていないことも、自分が口車に乗せられたこともわかっている。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
またいっしょに創作活動ができるようになったのだから。
二人にとってこれほど幸せなことはないだろう。
「とりあえず今日はもう遅いから。家まで送るよ」
「なに言ってるの? すぐにどんな作品にするか考えるに決まってるでしょ」
「いや、そっちこそなに言って……」
「あ、そうだ。おばさんが夕飯食べてけって言ってたから先にご飯にしようか」
思考が追いついていない一志を置き去りにして玲は戸を開ける。
部屋を出る直前、彼女は思い出したように振り返って言った。
「今夜は寝かせないからね。中野零先生」
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