第6話 マフラーからコッペパン

「くそっ、絶対許さない! 同じ字を書いてるのにどうしてシャーペンはダメなんだ! 〇点なわけがないだろう……」


 翌日、僕の怒りは収まらなかった。


「まあまあ、もうあきらめて鉛筆を使えば?」


 下谷がなぐさめてくれたが、納得できなかった。




 僕は昼休み、中庭に停めてある塩屋先生の原付の近くにいた。


「これでもくらえっ!」


 2ストスクーターのチャンバーの出口は非常に細くなっているから食べ残しのコッペパンでもすぐにふさげた。


 何食わぬ顔で教室に戻ると、柿畑が下谷と一緒に車雑誌をめくっていた。


「いいよなあ、柿畑たちの家は車があるんだからな」


 僕が生まれてから、いやその前から我が家に車は一度も存在しなかった。


「どうして峰亜ほうあ君のお父さんは車を買わないの?」


 下谷がたずねた。


「知らないよ。単に貧乏だからじゃないの」


 僕は投げやりに答えた。その質問を父にするたび怒られたからだ。彼は『そんなもの必要ない』の一点張りだった。こんな田舎町に住んでいるのだし、車くらい持っていてもバチは当たらないだろうに。


 一度、クラスメイトの家の車の車種を聞いて回ったことがある。女の子たちはあまり車の名前を知らなかったから、おおよそのイメージを伝えてもらった。僕の家以外は、みな車を持っていた。心の底から嫉妬しっとした。


 車さえあればもっと色んなところに行けるのに。雨が降ったら家族が車で迎えに来てくれるかもしれないのに。エンジンという機械の息吹いぶきを感じられるのに。


「おい峰亜ほうあ、落ちこむなよ」


 そう言う柿畑の家にだってR32スカイラインがある。


 僕は歴代スカイラインの丸いテールランプが大好きで、小さいころから何度も絵に描いた。持っていたトミカの中でもDR30のスーパーシルエットがいちばん好きだった。


 僕にとって車は夢の世界の乗り物だった。そこが柿畑や下谷、そして他のクラスメイトとの大きな違いだった。日常的に車に乗る彼らと、タクシーすら年に何回かしか乗らない自分。境遇の差は歴然としていた。そして、身近に触れられないものだからこそ、僕は車に激しく熱を上げてしまったのだろう。


 バスに乗る時には運転席の斜め後ろに座り、運転手が操作するマニュアルのシフトノブの動きを凝視する。Hパターンのどこにギアが入っているのかを常に意識して、自分が運転している気分に酔った。僕が自分の身体に車を感じられるのはそのときくらいだった。



 放課後。


 僕が柿畑たちと下校しようとしていると、校門のところで塩屋先生が涙目になり、必死でスクーターのキックペダルを蹴飛けとばしていた。


 見ていて可哀想かわいそうになり、同時に自分のイタズラ行為を恥じた。


「テストを100点に戻してくれたら直してあげるよ」


 罪悪感はあったが、きっちり条件を付けて僕は言った。


 塩屋先生は「本当になおせるの?」と言いながらもスクーターのそばを離れた。


 僕は木の枝を使って昼休みに自分が詰めたコッペパンをほじくり出した。



 そのあとすぐに鉛筆風シャーペンは僕の手元に戻り、算数のテストは100点になった。


「峰亜君はほんとに車やバイクが好きなのね。ありがとう」


 先生は心からの笑みを浮かべながら僕に言った。


 僕は心が痛んだ。


 それから僕と塩屋先生は仲良くなった。先生は少し丸くなり、僕以外の生徒にも優しく接するようになった。僕は先生の置かれている立場や役割をなんとなくだが理解し、彼女が大きな重圧の下で仕事をしていることを知った。


 僕は鉛筆風シャーペンを自宅の勉強机の奥にしまい、二度と学校に持っていくことはなかった。

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