第2話 下り坂ミッドナイト

「よっしゃあぁぁぁっ! 60キロ行ったあぁぁぁっ!!」


 柿畑かきはたゆる湾曲わんきょくした下り坂の途中で絶叫した。


「くそっ!」


 引き離されている。僕は思わず声をらし、スピード・メーターをにらんだ。


 51キロしか出ていない……! デジタル表示が冷酷に現在の速度を僕に突きつける。


 原付ではない。小学生の僕らが今乗っているのは自転車なのだ。


 柿畑はマウンテンバイク、僕はシティ・サイクルという違いはあるが、それを言い訳にするわけにはいかない。不利な車体で優位な奴に追いすがりたい。テンロクで2リッターターボをあおるようなものだ。


 誰にも負けたくないという青臭あおくさい衝動が胸に立ちのぼり、僕は離れていく柿畑の背中を呪った。僕も60キロに到達したい。60キロ出せれば憧れの300キロの5分の1までたどり着いたことになる。


 懸命に足を動かすもメーターの数値は一向いっこうに更新されない。


 下り坂、ミッドナイト。


 太陽が燦燦さんさんと降り注ぐ真夏の真っ昼間を僕と柿畑は疾走していた。全くもって真夜中ではない。だが、僕の目には超高速で流れ去る水銀灯の列と、200キロ近い速度差のせいで巨大な砲弾のように後方に飛び去る大型トラックがはっきりと見えていた。


 したたる汗が目にみ、両足はすでに限界と思われる回転数でペダルを上下させている。それはまるでレッドゾーン寸前で回転するエンジンのピストンの上下動のように感じられた。


(僕は今、エンジンになっている!)


 大人になった今聞いたら噴飯ふんぱんものの心の叫びを上げながら、僕は懸命に限界回転数レブ・リミットをキープした。


 その時、数十メートル先の柿畑の姿に異変が起こった。


「ぐあああああっ……!!」


 マウンテンバイクが明後日あさっての方向を向いて倒れたのだ。断末魔だんまつまの叫びをあげながら彼は地面に叩きつけられ、滑走する。あまりの高速回転にペダルから足を踏み外してしまったようだ。言うなればエンジンブローだ。


 そんなことを考えてはいられない。僕のすぐ目の前にはすでにスクラップと化したマウンテンバイクとアスファルトにもてあそばれる柿畑が迫っている……!


 僕はディズニー・コーナーで白煙を上げて超高速スピンするライバルをかわすR32GTRさながらの安定したライン変更で彼をけた。


 目の前の光景はスローモーションになり、痛みに顔をしかめる柿畑がはっきりと脳裏に刻み込まれた。


「柿畑あああぁぁっ!!」


 自転車を路肩ろかたに停め、駆け寄る僕に彼は軽く手を挙げる。


 よかった。無事みたいだ。悪運の強い柿畑のケガは擦り傷だけで済んだ。


 僕らは後ろからやってくる車の交通整理をしながら損壊したマウンテンバイクを歩道に引き上げた。フレームが曲がってリアタイヤが全く回らなくなっている。全損ぜんそんだった。


「うう……俺の、俺のチャリがぁ……!」


 柿畑は帰宅後、彼の母親に滅茶苦茶めちゃくちゃ怒られた挙句あげくにしばらく自転車に乗ることを禁じられた。



 それだけならよかったのだが、とばっちりは僕にもやってきた。


「あんた、柿畑君と変なことやってたみたいね?」


 翌日、さっそく母の尋問じんもんが始まった。


 父親にも下り坂最高速トライアルの顛末てんまつが告げられ、僕の自転車は彼によって無料車検されることになった。


 後付あとつけのスピードメーターケーブルが引きちぎられ、メーターは無残にも足で踏みつぶされた。内蔵されたアラームの音が延々と鳴り響いて止まらなくなり、いらついた父はそれを水たまりに放り込んだ。ようやく音の止んだメーターを眺めながら僕は悲嘆ひたんに暮れた。


「ひどい……。僕は事故ってないのに……」



 小学5年生当時、僕とクラスメイトの柿畑は車が大好きだった。街を走る車の名前は全部言えた。新車のチラシを車の写真に合わせて切り取り、自転車に貼ったりしていた。



「おーいっ!」


 学校から帰ると団地の駐輪場の前で柿畑が手を振っていた。


「なんだ?」


「俺の新しい愛車、見せてやるよ」


「えっ!? 当分チャリ乗れないんじゃ?」


「じゃーんっ!! ちゃんと四輪車だぜ!? まだおまえチャリなんて乗ってるのか!? 子供だな!」


 ……彼がゆびさす先にはプラスチックでできた幼児用のおもちゃの車があった。

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