第218話 進路は変わらない

「晃くん。起きてください」


 ゆさゆさと体が優しく揺れる。


 ゆりかごみたいに揺れて心地よく、起き上がることができない。


「仕方のないご主人様ですね。まったく……」


 遠くの方で有希が呆れた声を出しているのはわかるのだが、完全に起きることができない。


「しょうがない。ここは、『爆裂☆メイドスォームエボリューション』をお見舞いしてやりましょう」


 なんだか中二病のノリが聞こえてきたかと思うと、そのまま唇に柔らかい感触があった。


「……って、ただのキスじゃん」

「あ、起きました。流石は、『激烈☆メイドストライクレヴォリューション』ですね」


 きゃは☆ っと楽しそうに手を合わせている。てかおい、設定者。微妙に技名が変わってるぞ。


「というか晃くん? メイドの朝のお目覚めのキスを、ただのキスだと仰いました?」


 流石は頭の良いメイド様。俺の言い回しに引っ掛かり、ジト目で睨んでくる。


「流石は、『爆激☆メイドスォームストライクエヴォリューションレヴォリューション』だ。一気に覚醒した」

「名前だっさ」

「うわー。辛辣」


 有希の命名を取り入れたってのにダメだしされながら起き上がる。


 昨日、一瞬で片づけてくれた部屋のコタツテーブルには朝食が並んであった。


 朝食の準備をしてくれている有希に目をやる。


「なんでメイド服?」


 有希は去年の文化祭で着ていたメイド服を今朝も着用している。有希といえばメイド服なのでそれ自体に違和感はない。


「制服は?」


 そう。今日はど平日。学校の日だ。それだってのに制服に着替えずにメイド服なことに違和感を覚えている。


「あー」


 あはは、と苦笑いを浮かべた。


「昨日も軽く言いましたが、やり残したことがございまして、まだ学校に通える状態ではないんですよ」

「え……」


 言われてみればそうだ。学校に通っている暇はないのかもしれない。


 両親がしでかしたことは彼女自身にも降り注ぐ。頭ではわかっていたことだけど、実際に、メイドカフェで働けなくなったことや、家を強制的に退去されたことを聞いて、並大抵のことではないと実感できる。


「俺に手伝えることは?」

「いえいえ。そこまで重く受け止めないでください。やり残したことと言っても大したことではございません。学校に行ける時間を削らないといけないのは苦しいですが、やること自体は本当に大したことありませんので」

「そうか……」


 有希の表情から、それが本当のことだと読み取れる。


「ふふ」


 本当に大したことがないのだろう。彼女は唐突に笑みを浮かべて楽しそうにしている。


「日中は家にいてご主人様の帰りを待つ。これは真のメイドですね」

「どちらかというと新妻では?」

「裸エプロンをご所望で? 晃くんのえっち」

「いや、新妻=裸エプロンって……」

「好きでしょ?」

「好き」

「素直でよろしい」


 満足気に頷くとなにかを思い出したかのように手を叩く。


「違います」

「なにが?」

「私の属性ですよ」

「属性?」

「はい。私はメイドであり新妻でもある」


 新妻ではないが、ほぼ新妻みたいなものなのでツッコミはなしで良いや。


「更に、通訳にもなります!」


 言いながら、どこからか有希が英語の本を取り出した。


「もうすぐアメリカに行きますからね。英語は押さえておかないと」

「あ、そっか。あと三カ月くらいでアメリカか」


 最近のゴタゴタですっかり頭から離れていたけど、アメリカまでの時間が迫ってきている。


「英語喋れます?」

「へろー」


 手を上げて渾身の英語を放つ。


「わっかりました。晃くんはアメリカに行ったら、絶対に私から離れないこと。良いですね?」


 あ、これ、英語不合格だわ。







 職員室には相変わらずヤニの匂いとコーヒーの匂いが混じった独特の匂いがする。


 冬の職員室内は暖房をガンガンに効かせて暑いくらいだってのに、猫芝先生はひざかけにあつあつのコーヒーを流し込んでいた。


「そっか。進路はアメリカで変わらないのね」

「はい」


 もう有希の両親がなにかをやってくる心配はなくなったけど、このまま日本にいると有希が肩身の狭い思いをするだけだ。


 両親の件が片付いて、日本に残って正吾と芳樹と同じ学校に通うことも考えたが、そうなると有希がひとり、苦しい思いをしてしまう。


 それならば当初の予定通りにアメリカを選ぶ。元々、アメリカには行くつもりだったからね。


「時期的にも進路の変更は難しくなるけど、大丈夫?」

「大丈夫です」


 覚悟はとっくにできていた。それが伝わったのか、猫芝先生が広げていた資料を片づける。


 片づけている途中に手が止まり、先生は大学の校舎が描かれたパンフレットを数秒見つめて、涙目でこちらを見た。


「守神くん。ごめんなさい。私……なにも力になれなくて……」

「先生。何言っているんですか。先生はずっと、ずっと俺の力になってくれたじゃないですか。一年の頃も、二年も頃も、三年になっても……。俺が感謝をすることがあっても、先生が謝ることなんてなに一つもありません」

「守神くん……」


 先生はなんとか涙を我慢して、顔を逸らす。


「今は泣く場面じゃないわね。卒業式の日にめっちゃ泣いたろ」

「泣く宣言は萎えますよ?」

「萎えを通り越した先にある感動をキミに届けてあげるわ」

「楽しみにしています」


 先生がいつも通りになったところで、パンフレットを片づけてから大きくため息を吐いた。


「それにしても初めてだわ。卒業後の進路がアメリカの生徒を受け持つなんて。それも二人も。しかも恋人同士。到底、普通の高校生とは思えないわね」

「先生風に言うとバカップルですからね」

「先生風に言わなくてもあなた達はバカップルよ」


 まったく、なんて呆れた様子を見せるが、すぐに心配そうな顔をする。


「大平さんの様子は?」

「元気ですよ。とても」

「良かった。本当は学校で会いたいんだけど、色々と忙しいものね」

「そういえば先生。有希はしばらく学校に来ていないですが、出席日数とか成績とか、卒業は大丈夫なんですか?」

「その辺はなんの心配もないわよ。かなり特殊なケースでのお休みだから、学校側もどう対応するか悩んでいるけれど、出席日数は絶対に足りるように配慮しているわ。成績に関しても、今まで満点近いものだから、参考点で十分に卒業できるわよ」


 良かった。


 長年、生徒会長として貢献してきた彼女だからこそかもだけどね。


「卒業はできるかもしれないけど、やっぱり一緒に卒業式は出たいわよね」


 先生がしんみりした声を出す。


「あれ、もしかして俺達のシンクロをご所望で?」

「やめて、あれは三十路に効くの。まじに」


 あっはっはっとふたりの笑いが職員室に響き渡った。

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