第216話 無知だからこそ描ける未来がそこにある
有希の両親がやって来て、母親の方が出合い頭に有希へと抱き着いた。
呪文のように、「ごめんね」を唱えている。
まるで魔女だな。
「ちょ……」
有希が本当に困惑の呪文でも唱えられたかのように、どうして良いのかわからないといった声を漏らした。
遅れてやって来た父親の方が、俺へと視線を向けてくる。
ゴミを見るような目。
そんな視線を送り、俺の存在をなかったことにして有希に近寄る。
「有希。昨日は取り乱してすまなかった。さ、帰ろう」
なんともまぁ絵に描いたような作り笑いで手を差し伸べている。
他人である俺ですらそれが偽物だってわかるんだから、有希にはバレバレなこったろう。
「帰る?」
有希は怒った声を出して母親を乱暴に引き剥がす。
その時の母親の顔ったら、顔を引きつらせて今にも舌打ちが出そうな顔をしていた。
もしかして、抱き着いただけで有希が絆されるとでも思ったのだろうか。
それならば、今まで子育てをしておらず、俺の母さんが有希を育てたってのがよくわかる。
浅はか。この言葉につきるな。
「帰るとはどこにでしょう? もう家は警察に差し押さえられているのではないですか?」
なんともまぁブラックなことを聞いたもんだから、有希の父親が今にもキレそうであった。
しかし、なんとか耐えたみたいで、無意識に眼鏡を触り落ち着かせる。
「お前の言う通りだ。残念だが、もうあの家には帰れない」
「あの思い出もなにもない家が差し押さえられて残念ですね」
相当怒っているみたいで、有希の嫌味が止まらない。止める気もないがね。言いたいこと言え、有希。
「そうだ。あの家には私達の思い出はない。だからこそ、次の新しい家で家族の思い出を作ろう」
「そうよ、有希。次の新しい家で、三人で暮らしましょう。ね」
父親と母親のなんとも甘い声に対して有希はにっこりと笑みを浮かべる。
「新しい家とは監獄のことでしょうか? おふたりにはお似合いの住まいでしょうが、申し訳ございません。私はその家に住むことを拒否します。ごめんなさい」
流石に有希の嫌味が冗談レベルじゃなかったので、母親の顔がとんでもないことになっていた。
父親がなんとかそれを食い止めて顔を引きつかせて彼女へと説明する。
「だ、大丈夫だ。監獄なんてところには入らん。私は社長を辞任しているからな。説明義務は全て後任の社長がしてくれるんだ。だから、私達はなんの責任も取らずに新しい家に住める」
とかげの尻尾切りってのを聞いたことがあるが、それを生で聞いたのは初めてだ。とんでもないゲス野郎だな、この男。
「それに良い縁談の話があるんだ。有名な政治家のご子息でな。有希の写真を見せたら随分と気に入ってくれたみたいだ。すぐに裕福な暮らしになれるぞ」
「……はぁ」
元々期待はしてなかったが、有希はやれやれと言わんばかりのため息を吐いた。
「この状況にて、まだ政略結婚の話ですか? あなたは会社を取り締まるのは一流かもしれませんが、家族を取り締まるのは三流以下ですね。私は企業ではありません。お金では動きませんってあれだけ申していますのに、どうしてお金で動かそうとしているのですか? というか、実の娘をお金で動かそうとしている意味がわかりません」
呆れた物言いに対して、母親がキレた。
「良い加減にしろよ! このクソガキ!」
有希の胸ぐらを掴んで物凄い剣幕だ。
魔女の本性が露わになった。
「なんでお前だけ良い思いしてるのに反抗すんだよ! 一人暮らしさせてもらって、彼氏作って、楽しく過ごしてんだろ!? 私はそんなことさせてもらったこともないぞ!? お!? 高校生で良い思いしてんだから親孝行しろ! 子供は親の言う事聞いとけよ!」
とんでもない毒親だな。本性がクソ過ぎる。
母親の怒号に父親が乱暴に引き剥がす。
「やめろ! なんでお前はすぐにそうやって感情的になるんだ!」
「こいつが良い思いばっかしてるから! 私は親の言いなりだったんだ! 親の決められたこと以外はできなかった。恋愛も結婚も全部、全部親の言いなりだったんだ! そのせいで訳のわからない奴のところに嫁がされて、ひもじい思いをして、ようやく裕福になるってのに、このガキが邪魔してんだ!」
「訳のわからない奴とはなんだ! 俺がどれだけ必死に働いて会社を大きくしたと思ってる!?」
「知るか! 私は最初から金持ちと結婚したかったのに、
「邪魔してるのはお前だ! 有希にはまだ利用価値があるが、お前はどうだ!? 賄賂の隠蔽もできんのか!? お前が税務調査をうまく隠さないから賄賂がバレたんだろうが! お前が私の会社とあのよくわからない大学を潰したんだぞ!? そこらへんはわかっているのか!?」
「知らないわよ! それじゃお前がやれば良かっただろうが!」
「ああああああ! もういい!」
周りから随分と注目されているってのに、お構いなしに有希の手を乱暴に握る。
「とにかくさっさと行くぞ。早速縁談の会合があるんだ!」
「いたっ。離して……」
相当強く握っているみたいで、有希が痛そうな顔をした。
反射的に俺は手を伸ばし、有希と父親の手を引き剥がした。
そして、父親から有希を奪い、引き寄せる。
「お前は……お前はさっきからなんなんだ!? 私達家族の近くにいやがって!」
「俺は……有希は……」
俺と有希の関係?
最初はご主人様とメイド。
思いを伝え合い恋人同士。
そして、今は……。
「有希は俺の嫁だ。家族だ! どこにも連れて行かせない」
「なにを訳のわからないことを……」
父親が乱暴に手を伸ばしてきたところ。
『そうだ! 大平は晃の嫁だぜ!』
聞き慣れたゴリラっぽい声が聞こえてくる。
『そうだ、そうだ! ふたりはお似合いの夫婦なんだぞ!』
そして、聞き慣れた
有希と互いに振り返ると、そこには正吾と白川が親指を突き立てて、ウィンクひとつかましてくれる。
その援護に泣きそうになってしまう。
『生徒会長を泣かすな! ばか!』
違うところから、そんな声が聞こえて来たかと思うと。
『そうだ! 俺達の
『先輩達を泣かしたら私達が許さないから!』
『変なことするな!』
正吾と白川の声を皮切りに、その場にいた生徒達が次々に言葉を発してくれる。
「有希。花火大会の時、生徒会長じゃない私は何者かって聞いたよな。その時は咄嗟に俺の恋人って答えたけど、見てみろよ」
有希と一緒に、援護射撃のように言葉を発してくれる姿を見る。
「生徒会長じゃなくても、有希がやって来たことはみんなの中に残ってる。だから、みんな声を出してくれるんだ」
「私のやってきたことは無駄ではないのですね……」
有希は自分の胸に手を置いて、みんなの声を噛み締めるように聞いていた。
対して、有希の母親は耳を塞いでいた。有希の父親はこういうのに慣れているのか、動揺した素振りを見せない。
「おいクソガキ」
眼鏡をいじり、銃でも持っていたら今にも俺を撃ちそうな顔をして睨みつけてくる。
「さっさとそいつを渡せ。今なら冗談で済ましてやる」
「有希を物扱いしている奴の言う事なんて聞けない」
イライラと頭をかいて、ゴミを見る目をしてくる。
「そいつと一緒にいてもなんのメリットもない。こいつは犯罪者の娘だ。将来は社会不適合者として扱われて肩身の狭い思いをする。そいつと引っ付いているお前も同等の扱いを受ける。すなわち就職ができなくなる。働けなくなる。お前の家は貧乏か? 金持ちか? どちらにせよ、高校に通えているのだから極貧ではないだろ。極貧生活は辛いぞ。借金取りが家に来たことはあるか? 家の床が抜けたことがあるか? 屋根がなくなったことはあるか? こっちは病弱で手術が必要なほど衰弱しているのに白米数粒しか食べれない。それなのに、楽しそうに飯を食らうおっさん連中を見たことがあるか? あれほどの地獄はないぞ」
それは彼の実体験なのだろう。
想像も絶する地獄なのはわかる。
「有希にそんな思いをさせたくはないだろうし、お前自身もそんな思いをしたくないだろ。ここで有希を私に渡せば丸く収まる。政治家の息子と結婚すれば全てなかったことになるんだ。それで全員が幸せになる。さっさと渡せ」
俺の思いは決まっている。
「幸せってのは、金持ちとか貧乏とか、そんなもんで決まるんじゃない。例え就職ができなくても、肩身の狭い思いをしても、貧乏でもなんでも、愛する人と共にいることが本当の幸せだ」
「なにも知らないガキが。本当の貧乏を知らないからそんな綺麗ごとを言えるんだ」
「なにも知らないガキだからこそ綺麗事を並べて明るい未来を描ける。未来を描けない奴に明日なんてこない」
中学で絶望した時、未来なんてないと思ってた。でも、有希が全部教えてくれたよな。
「もし、思い描いた未来じゃなくても、愛する人が側にいるだけで違う未来を描ける。愛する人がいるだけで無限の未来の選択肢が俺達にはある。もう絶望することなんてない。俺達には明るい未来しか待っていない!」
「……っ! おやじと……おやじと一緒のこと……」
こちらの反抗に父親ではなくて母親が限界を迎えていた。
「ああああああ! もう! 守神晃! 私達の邪魔をするな!!」
母親の悲痛な叫びに父親の時が一瞬止まる。
「もりがみ、こう?」
俺の名前をゆっくりと読み上げて、酷く驚いた顔をしてみせる。
「もしかして、アンダー15の……。守神選手の……」
アンダー15というのは中学の日本代表のことを言っているのだろうか。
ぶつぶつと呟く彼の姿に疑問を浮かべていると、ポンっと俺の肩に誰かが手を置いた。
「よく言った。流石は俺の子だ」
「父さん……」
いつの間にか父さんが来ており、父親らしい温かい顔をしてくれる。
「和邦くん。随分久しぶりだ。三十年振りくらいだな」
「守神、選手……」
か細い声で俺の父さんを選手呼びした。
「こんな形で大人になったキミと再会するのはなんとも残酷だな。キミとはもっと違った形で再会を果たしたかったよ」
「……」
父さんの言葉になにも言い返せない有希のお父さんは気まずそうに俯いた。
ふたりの関係性が気になるところだが、今は詳細を聞く雰囲気ではない。
「手術は成功したみたいだね」
「は、い。あの、手術代はいつかきっと……」
父さんはゆっくりと首を横に振った。
「そんなことはどうでもいい。私はおやっさんの自慢の息子が大変なことになっているから手術費用を出したまでだ。おやっさんにはお金には変えられないほどの恩義がある。私が食べられない頃、無償で料理を振舞ってくれた。それだけじゃない。世渡りのことや、人間関係、学生の頃に学べない全てをおやっさんから教わったよ。お金なんかじゃない。愛する人と共にいることが大事なんだと。その教えは手術代なんかじゃ足りないほどだ」
父さんは有希の方を見てから有希の父さんに語り掛ける。
「おやっさんの教えを自分の子供に伝えていく。それを小学生のキミに伝えたらなんと返したか覚えているかい?」
「……」
「『ぼくも守神選手と一緒にお父さんの凄さを自分の子供に伝えたい。だから一緒に伝えていこうね』って。私は……」
ポンっともう一度、俺の肩に軽く叩く。
「俺はおやっさんの教えを守った。でも、キミはどうだい? 娘さんにしてあげれているかい?」
父さんの諭すような口調に有希のお父さんはそのまま崩れ落ちてしまう。
そんな彼に優しく駆け寄って声をかけてあげる。
「キミは少し道を外してしまっただけだ。すぐに元に戻れるさ。だから真実を全て話しなさい」
「……はい」
♢
その後、有希の両親は自ら警察を呼んで連行されていった。
有希の母親は最後までギャーギャー騒いでいたが、有希の父親はどこか空っぽになってしまった様子であった。
警察に連行されていく途中、有希の父親が俺の前で立ち止まった。
「守神晃くん」
先程までとはえらい雰囲気の変わった有希の父親。
「まさか、キミがアンダー15の日本代表の守神晃くんだとは思いもしなかった。キミの試合を見た時、すぐに守神選手の息子だとわかったよ。守神選手の息子が立派に育って、まるで自分の子を見ているみたいで嬉しかったの覚えているよ」
「父さんとはどういう関係なんですか?」
「よくウチの店に来てくれた、ただ飯を食らう貧乏プロ野球選手さ。でも、すぐにスター選手になった。おやじと仲が良くて、俺の手術費用を出してくれてね。ずっと憧れの選手。極貧生活の時の支えになってくれた選手だ。そんな選手に諭られたら反抗なんてできずに絆されるさ」
いや……。なんて首を横に振ってから、俺を見てくる。
「キミのまっすぐな言葉で既に絆されていたのかもしれないな……」
彼は俺の父さんをチラリと見ると、頭を下げた。
「そんな選手が手術費用を全額負担してくれて、俺もビックになって全て返せる人間になろうと思ったんだ。その思いが俺の性根を捻じ曲げてしまったのかもしれないな。ビックになる必要なんてなかったのかもしれない。でも、あんな生活には戻りたくない。その葛藤の末がご覧のありさまだ」
やっけになって乾いた笑みを浮かべていた。
「結果的には俺のやり方は間違っていたのかもな。おやじの言う人と人の繋がりの愛が正解なのかもしれない。俺はおやじの言葉を守れなかった。でも、キミはおやじの言葉を守ったスター選手に育てられた。それに、有希も……随分とみんなに愛されて……おやじの言葉通り……」
「お義父さん……」
俺は大きく頭を下げた。
「娘さんをぼくにください」
そういうと面食らった顔をしたが、すぐに呆れたような顔をされてしまう。
「好きにしろ」
そう言い残して有希の父親は警察官と一緒に学校を去って行った。
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