第213話 月に手は届く
店番の時間が迫って来たが、有希と白川が、「久しぶりの幼馴染三人で楽しく過ごしてください」なんて言ってくれて、俺達と店番を変わってくれた。
芳樹が俺と有希を見比べて気を使いそうになったのを察し、有希が堂々と、「大丈夫です。文化祭は今日だけではございませんので。明日は晃くんを独占です」とのセリフで、それもそうかと芳樹は納得し、去年同様の形で文化祭を回ることになった。
今年も野郎三人での文化祭。時間はあっという間に過ぎていく。
野球部を引退しても芳樹は寮暮らし。実家から通える選択もあるが、せっかく卒業まで寮で暮らせるならばということで、高校生活は寮で暮らしているため、門限がある。
去年と同じくらいの時間に帰った芳樹は、去年とは違い笑顔で帰って行った。
芳樹と別れ正吾に、「店に戻ろうぜ」と言われたので戻る。その途中、トイレに行きたくなったので、先に正吾に行ってもらうようにお願いした。
用を済まして廊下を歩く。
陽が沈むのが早くなっている11月の太陽。辺りはすっかり夜と表現してもおかしくない暗さ。一番星もお月様もこんばんはをしている。
目の前を三人のはしゃいだ声を出す男子生徒とすれ違う。
なんだか、さきほどの俺と正吾と芳樹を見ているような気になる。
「いや、違うか……」
今年の文化祭は純粋に笑えている。
あの三人よりも、俺達の方が文化祭を楽しんだと心から思える。
大学のこと。アメリカのこと。全てを曝け出して、幼馴染としての絆がより深まったことによる文化祭。我が校の文化祭を一番楽しめたのは俺達だと胸を張って言えるだろう。
なんて自己満足に浸っていると、どこからか俺の頬を冷たい風がなぞった。
風を感じた方を見ると、屋上へ続く階段の方から風が来ていたみたいだ。
「去年も同じようなことがあったよな」
たった一年前のことが妙に懐かしく感じてしまい、俺は迷いなく階段を駆け上がる。
コンコンコンと上履きの音が響く。他は騒がしく盛り上がっているのに、ここだけなんだか別世界みたいに静寂だ。
踊り場に出る。その先の屋上への扉が開いていた。
校内は負圧になっており、風がこちらを押し返すように吹いているが、抵抗するように屋上への一歩を踏み出す。
「……」
屋上に出ると言葉を失った。
月明りの下を、銀髪を靡かせて立っているひとりの美少女。
非現実的過ぎて異世界に転移した気になる。
「屋上は立ち入り禁止だぞ」
なんとか声をかけることに成功すると、こちらを振り返り、なんだかイタズラがバレた少女のような表情で返して来る。
「見回りのご主人様に見つかってしまいましたね」
その返答に少しばかり吹き出してしまい、彼女のもとへと歩み寄る。
「元生徒会長様が立ち入り禁止の屋上に入るなんて困ったものだな」
「もう生徒会長ではありませんのでやりたい放題です」
「はは。生徒会長の時は色々大変だったな。変装して、校内放送を使ったトリックも頑張ってやったのに、占いの館の先輩に余裕でバレてたし」
「もう! それは忘れてください!」
ちょっとばかし拗ねた声を出すけども、すぐに笑みを見してくれる。
「こんなところでなにしてたんだ?」
尋ねると、彼女は月を見上げた。
「月が綺麗ですね」
有名なセリフ。それは単純な感想か。それとも文学的告白のものか。
「もっと前から月が綺麗なことに気がついていれば良かったよ」
キザったらしく、もっと前から有希と出会っていたかった、みたいな文学的に返しをしてみた。
すると、伝わったみたい。
「もし、私が晃くんと幼馴染だったとしても、こうやって恋人になっていた自信があります」
「俺もあるぞ」
「ただ、そこにドラマなんてありませんけどね。小さい頃から一緒だから惹かれ合った。ただそれだけの恋人になったでしょう」
「有希と恋人になれるのにドラマなんて必要ないさ。大事なのは好きって気持ちだけ」
「そうですよね。私達にドラマなんて必要ない。でも神様って意地悪です。そんな単純な設定にはしてくれなくて。複雑な設定を作って、私達に試練を与えてくる」
「きっと今の試練も、有希となら簡単に乗り越えられる」
楽観的な言葉を放つと、彼女は月に手を伸ばしてみせる。
「あなたは私のお月様です。私の闇という夜を照らしてくれる存在。地球と同じで、なくてはならない存在。大きすぎます。大きすぎて時々不安になります。そのうち手が届かなくなってしまうのではないかと……」
「そんな時は確かめれば良いさ」
彼女の手を握ってみせる。
「ほら、ちゃんと手は届いている」
「……はい」
「不安な時はいつでも確かめれば良い」
「はい」
安心したような彼女の声と同時に、静寂の屋上にブーブーとスマホのバイブレーションが響き渡る。
俺じゃない。有希だ。
彼女はポケットからスマホを取り出すと、顔が青ざめた。
「お母さん?」
聞くとゆっくりと首を横に振られてしまう。
「……お父様、です」
「父親、か」
なんの電話なのかは容易に想像できる。
政略結婚の件だろう。そりゃ、フル無視かまして過ごしてたら親玉が出てくるのは当然っちゃ当然だ。
できればアメリカまで、なにごともなく過ごしたかったが、そりゃそう上手くはいかないってもんだ。
お互いわかっていたことなので、有希は恐る恐る電話に出た。
「もしも……きゃ!」
応答した瞬間に有希が咄嗟に驚いてスマホを落としてしまう。
落とした影響か、スマホがスピーカーになってしまい、そこから金切り声が屋上に響き渡った。
まるで黒板を爪でひっかいたような声だな。そりゃ、有希も驚いてスマホを落とすだろうよ。
なにを言っているのかわからない女性の声は、おそらく有希の母親だろう。なにか相当興奮しているようだ。
『有希。聞こえているか?』
金切り声の中に低い男性の声が聞こえてくる。
有希がスマホを拾い上げて返事を返す。
「はい。聞こえております」
スマホをスピーカーのままにしたのは、俺に会話を聞かれても良いと判断したのか、それとも不安からか。どちらにせよ、親子の会話を聞くことになった。
『大変なことになった。すぐに帰って来い』
いくら親とはいえ身勝手で偉そうな口調は、流石は大手企業の社長様であられる。有希がこんな風に育たなくて本当に良かった。
「申し訳ありませんが、そんな曖昧な言葉で私は動くことはできません」
その分、こうやって凛とした強い娘に育ったのは逆に良かったのかもとも思える。
『ちっ』
舌打ちをすると、『お前も良い加減にしろ! うるさいぞ!』と電話越しにイライラが募っているのが伺える。
『今日、いや、明日で良い。さっさと帰って来い。これは命令だ』
「事情もなしに命令だけで私は動けません。事情を話してください」
『そんな時間はない! 言う事をきけ! お前は俺の娘だろうが!』
「『乱暴な言葉は相手の信用を下げる。だからこそ、どんな相手でも丁寧に話せ』とはあなたの言葉でしたよね? 私、その点だけは深く同意できたので実行しております」
有希が敬語なのは父親の教えが原因か、とか感心していると、『クソガキが……』と到底娘に発する言葉を放ち、大きく舌打ちをしていた。
『もう良い! わかった! 明日迎えに行く! 荷物をまとめておけ!』
相当イライラしているのか、強制的に向こうから電話を切られてしまう。
「ええっと……」
親子の会話を聞いてしまう困惑状態に陥る。
なんて反応をして良いかわからなかったが、それは有希も同じらしい。腑に落ちない顔をしていた。
「有希?」
「お父様とお母様の様子が異常でした」
言葉の後に有希は苦笑いを浮かべる。
「お母様のことに関してはお察しでしょうが」
まぁ、終始金切り声が聞こえてたもんな。
「お父様があんなに取り乱しているのは初めてです。いつも冷静沈着で人間とは思えないほど冷たい人なのですが……。あそこまで心が乱れてしまっているのは、なにか起こったのには間違いないでしょう」
「なにか、か……」
そのなにかってのは、翌日の朝のニュースで知ることになる。
『マックスドリームバーガーでお馴染みの《おおひらふうず》が、大学側へ賄賂を渡した疑惑があるとして特捜部の捜査を受けていることがわかりました』
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