第205話 幸せな箱庭(大平有希視点)

 私は幸せだ。


 毎日楽しいし、毎日わくわくする。


 好きなお仕事をしながら学校に通い、好きな人のお世話をして、好きな人と一緒にいれて、好きな人と同じ時間を過ごせる。


 幼い頃に憧れていた未来。現在、私はあの頃の私が思い描いた夢の中にいる。


 だからこそ怖い。


 お母様からはあれから連絡がない。あの人のことだ、絶対になにかやってくると思っていたが、なにもしてこない。


 このまま無視していいのか不安で、でも、なにもできなくて。


 なにもないなら良いじゃないかと楽観的に考えるけど、不安は拭えない。


 でも、晃くんといると嬉しくて、楽しくて、幸せで。


 なんだか幸せの箱庭にいるかのようになる。


 箱の中は幸せだけど、外は危険な状態。それに気が付いていない私。


 でも……晃くんに包まれて、私の不安は吹き飛んで……。


 外が危険なら出なければ良い。箱の中が幸せならばずっと中にいれば良い。


 晃くんとずっと箱の中で幸せになれれば良い。この箱庭であなたとずっと──。







 いつも通りに晃くんのお世話をしていると、彼の家のチャイムが鳴り響いた。


 今日は特に約束をしていないはずなのに、唐突にやって来るのは近衛くんくらいだろうか。


 そんな彼にちょっぴり失礼な思考が働くと、私の予想は大きく外れた。


 郵便だった。


 それでピンと来てしまう。


 大学の合格発表だ。


 反射的に応答しようとしたが、合格通知を専属メイドが先に見るのも少し違う気がするので、晃くん直々に対応する。


 部屋で、なんてお祝いの言葉をかけようかな、と思って待っていると、晃くんはなんとも無理して引きつった顔をしていた。


「ごめん、有希。落ちた……」

「え……」


 聞き間違いだろうか。それとも冗談なのか。


 いや、違う。晃くんの手にあるのはハガキだけ。


 合格ならば封筒で来る。


 悪い、夢……?


「有希があんなに教えてくれたのに……。本当にごめん」


 晃くんの言葉が入ってこずに彼からハガキを受け取る。


 そこには、《不合格》としっかりと書かれていた。


 悪い夢でもない、みたい。


 どうして? なんで? 意味わかんない。


 自己採点では間違いなく……。


 ぐるぐると考えが回る中で一つの解答が導き出された。


 それを思うと、腹の底から怒りがマグマのように噴火されそうになる。


「あのくそばばぁ……」


 グシャリとハガキを力一杯握りしめる。


 悔し過ぎて唇を思いっきり噛んでしまい、血の味がした。


「ゆ、き?」


 私は晃くんの声を無視して部屋を出て行った。


 受験に落ちた晃くんを今すぐに包み込んであげたいが、この状況は普通に落ちたわけじゃない。


 絶対に裏がある。


 勢い良く自分の家に帰ってくると、怒りで震えるを手をなんとか抑えてスマホを操作して耳に当てる。


『もしもし』

「なにをした……?」

『は?』

「なにをしたかって聞いてんだ!!」


 自分でも出たことのないような声が出る。


 そんな私の声に、電話先の母親はなんでもないような反応を示す。


『あー、彼氏くんの結果見たの?』

「あなたがなにかしたに違いない! そうじゃなきゃこんな結果はあり得ない!」

『人聞きが悪いわね。私は大事な娘の彼氏くんが心配で進学希望の学校に相談しただけよ?』


 物は言いようだ。こいつは絶対に学校に賄賂を渡して不正したんだ。


 それにしたって、どうして晃くんの受験先を……。


「なんで、晃くんの学校……」

『親としては娘の彼氏のことは知っておかないとね。例えばカフェのデート中とかも心配で、心配で』


 嘲笑うかのような発言で、ハッと思い出す。


 あのわざとぶつかって来たスーツの女……。


 くそ……。そこまでするの……。


「なんで、こんなこと……」

『娘の反抗期を正すのも親の勤め。本人が言うこと聞かないと大事なものが傷つくってのも教えないと』


 くすくすと笑いながら言って来る。


『これ以上親の言うこと聞かないなら、大事な人が生きてられなくなるかもね。反抗期を終わらす気になったのなら連絡しなさい。前の縁談の話、先方に頼んで待っていてもらっているから、さっさと覚悟決めなさい。もう随分と好きにしたのだから大人になりなさいよ』


 そう言われて電話が切れてしまった。


『大事な人が生きていられなくなるかもね』


 その言葉が頭の中で繰り返されて、私はそのまま糸の切れた人形みたくその場に崩れ落ちる。


「晃、くん……。晃くん……!」


 愛しき人の名前を呼んでも解決には至らない。


 私の幸せの箱庭は唐突に奪われてしまった。

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