第182話 シンデレラブレーカー

 1塁側ベンチから聞こえてくるのは、野太い悲鳴に近い叫び声。


 俺と同世代の男達が、ベンチからグラウンドに向けて、俺を殺すかのような勢いで叫んでいる。


『夢ならさめてくれ!』

『俺達の3年間を無駄にするな!!』

『そんな訳のわからん奴に負けてたまるかよ!!!』


 言語として成立していない相手側ベンチの悲痛の叫びは、なんとなく俺の中で翻訳できてしまう。


 そりゃ、そうだ。


 相手は勝ち確定の試合で臨んだ大会初日第一試合。


 甲子園前にドームでやれるとかラッキーだな。


 ま、相手がどこの学校かわからんから練習にならんだろうがな。


 ぷっ。10人しかいねぇ。コールドだな。


 守備w 試合になんのw


 試合前はそう思っていたことだろう。


 それが蓋を開けたらどうだ。


 9回の裏までやってきて、ヒットはたった1本だけ。他はかすりもしない。


 なんで? 


 どうしてこうなった? 


 意味がわからない。


 俺らの3年間、ここで終わる? 


 なんのために野球だけやってきたと思ってんだよ……。


 返せよ……。


 俺らの3年間返せよ!!


 1塁側ベンチにおらずとも、マウンドからでその空気が十分に伝わる。


 今、対戦している8番バッターも、他の学校なら余裕で4番を張れる強打者。


 そんな彼が目を真っ赤にして、俺のジャイロボールを空振る。


『ストライク! バッターアウト!!』


 24奪三振を奪って、9回ワンアウトまでやってくる。


 あと2人。あと2つのアウトを取れば、向こうの首を掻き切ることができる。


 別に意識はしてなかったが、結果的に、俺を捨てた監督を見返すことができるってわけだ。


 いや、ほんと、意識はしてないんだけどね。


『──ピンチヒッター……』


 断末魔の叫びの中から現れた9番バッターの代打。


 腹の出た中年太りみたいな代打の男は、バットをくるくると回して右バッターボックスに入った。


 腹が出ていようが、なんだろうが、やることは1つ。


 ちゃくちゃくと相手チームを追い詰めていくだけだ。


「おらぁ!」


 コン。


 ──なっ!?


 あの野郎。あの形でセーフィテイバントしやがった。


 真正面に転がってくるボール。


 フィールディングが苦手な俺は、あわあわとボールの方へと駆け出してボールを拾いに行く。


「投げるな!」


 正吾の指示で俺は1塁に投げるのをやめた。


 ドタバタと走っているバッターは、不細工なヘッドスライディングを決め、ガッツポーズを見した。


「──ッ」


 油断した……。まさか強豪校がバントしてくるなんて。


 甲子園でのバント率もワースト1位の、打ちまくる学校がバントなんて。


 しかも、あのバッター、バントも走るのも苦手なのに、セーフティバントなんて……。


 いや、塁に出るために、勝つために、必死なんだ。


 勝ちにこだわるのに、強豪も弱小もない。勝つためにはなんでもする。


 それが最後の夏ってもんだ。


「わり、正吾。次からはバントも頭入れとく」

「どんまいどんまい。小細工かますってことは、もう晃の球は打てないって意味だから、このまま力でねじ伏せよう」

「ああ」


 油断するな。小細工をしてくる。相手は俺を認めた。もうなりふり構っては来ない。だからこそ、力でねじ伏せろ!


『──ピンチヒッター、岸原くん』


 ドキンと心臓が跳ねた。


 聞き慣れた名字が聞こえてきたかと思うと、アナウンス通りに左バッターボックスには、このグラウンドで1番大きな体の選手が、体に合った大きな構えで打席に立った。


 圧倒的威圧感。


 今まで対戦してきた選手達が子供と思えるくらいだ。


 彼と親友でなければ、なぜ、このバッターが背番号12を着けているのか困惑することだろう。


 体の底から、ゾクゾクしてしまう。


 芳樹を打ち取れば、俺は更なる高みにいける。


 今までの選手は、芳樹と勝負するためのプロローグ。


 本編はここから始まるんだな。


「楽しもうぜ。芳樹」


 俺はランナーがいるにも関わらず、大きく振りかぶって投げた。


 ボールの指のかかり。ジャイロの回転数。真正面から見ても、ボールが浮き上がって見える。


 自分史上最高の玄球。


 ギュィィィン!


「……え?」


 気がつくと、ボールはバックスリーンの電光掲示板に表示されている、152km/hの5の部分に当たっていた。


 なにが起こったのか、俺はおろか、芳樹以外わかっていない様子だ。


 打った本人は涼しい顔をして、既に1塁ベースを軽く蹴って、ゆっくりと2塁へ向かっている。


 わああああああ!!


 時間遅れでわきあがる歓声でようやくと残酷な現実を押し付けられてしまう。


 サヨナラツーランホームラン。


 俺の築き上げたシンデレラストーリーは、たった1振りでぶち壊されてしまった。

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