第183話 夏のエピローグ
試合の終わったドーム前。
開会式、大会初日の試合と、役目を終えたドームを見ながら先程のみんなの言葉が、ぐるぐると巡る。
「ありがとう」
「あの学校とこんなに良い試合をできて幸せだった」
「本来なら恥かいて終わってたのに、守神と近衛のおかげだよ」
悔しそうに、でもどこか誇らしげに礼を言ってくれるのは、坂村を始めとしたウチの野球部員。
「見ててとっても熱い試合だった」
「野球ってこんなに面白いんだな」
「守神くん、かっこよすぎ」
休みの日なのに、わざわざ制服に着替えて野球部の試合を見てくれていたウチの学校の生徒達。
「きみはやはり人に夢を与える存在です。私はね、スポーツ選手もエンターテイナーやパフォーマーだと思っているんです。今回は試合に敗れてしまいましたが、きみのプレイは何人、何十人、何百人もの心を動かせました。これはとても誇らしいこと。これからも技術を磨き、高みを目指して、全ての人を熱狂とさせるプロ野球選手になってください」
教頭先生からの熱いメッセージ。
そして──。
「守神くん」
声をかけて来たのは芳樹の学校の監督。俺を捨てた監督だった。
一瞬、嫌悪の顔をしたのを見逃さなかった監督は苦笑いを浮かべていた。
「きみのことは岸原から聞いていた。気にかけていたんだ。その、きみが私の言葉で勘違いしてしまっていたからね」
「勘違い……?」
なにを今更と思いながら、眉をひそめて睨みつけると、困ったような顔をして続ける。
「私はね、肩が故障したのなら、再発の可能性も考慮し、2年間は大事に過ごして、3年生になった時にデビューしようって意味で言ったつもりだ。確かに、2年の間に良いピッチャーが入って来るかもしれないから、そこで腐らないようにとは言ってしまったが……。きみがエースになる構想を描いていたのだよ」
「……え」
「だが、怪我をして野球に絶望していたきみの耳には違う意味に聞こえてしまったみたいだね。肩を壊した中学生に、もう少し言葉を選ぶべきだった。まだまだ私も未熟だ。すまない」
帽子を取って、頭を下げてくる。
「そう……だったんですか……」
「しかし、きみは本当に素晴らしい選手だ。私達のチームがここまで追い詰められたのはいつ以来だろうか。ふふ。私の目に狂いはなかったよ」
監督さんはどこか嬉しそうに微笑んだ。しかし、すぐに腑に落ちないような顔をしてみせる。
「練習、ほとんどしていないのだろう? どうしてあそこまで投げれたんだ? 参考までに聞いて良いかい?」
監督が練習をしていないことを知ってるってのは芳樹から聞いたのだろうか。
他の学校の子の状況をわざわざ聞くなんて、本当に気にかけてくれていたのだろうな。
そんな監督へ素直に答えることにした。
「好きな人にカッコつけたかったんですよ。カッコいいところ見せたかったんです」
「それだけ?」
「はい。だから、俺──僕としては、この学校に入れて良かったと思っているんです。彼女に出会えて大きく成長しましたから」
「男は女で強くなるってか。時代は流れても男の本質は変わらないな」
監督さんは同意の意味で大きく笑うと、ポンっと軽い感じで質問を投げた。
「野球は続けるのか?」
「大学でやろうと思ってます。夢を描くきっかけとなった彼女へ恩返しするために」
「それは良かった」
うんうんと、頷いてくれる。
「私はあのアメリカ戦からきみのファンだからね。きみがプロのマウンドに立つことを楽しみにしているよ。高校野球の監督じゃなく、ただの野球好きのおっさんとして期待している」
監督さんは最後、甲子園で生ビールを飲んで野球観戦するおっちゃんみたいな空気で、俺へと期待の声を出して去って行った。
♢
さっきまで声をかけてくれた人の言葉を全て思い返して、再度ドームを見上げる。
「つい、さっきまであそこで投げてたんだよな、俺……」
本当にさっきまでの事が夢ではないかと思ってしまう。
甲子園常連の強豪校から三振の山を築き、正吾もホームランを打ってさ。
出来過ぎなくらいの試合内容だった。現実味のない試合で、すごいわくわくして……。
でも、負けた。
いくら三振を取ろうが、ホームランを打とうが、負けは負け。
芳樹のバットで頭を思いっきり殴られたような、衝撃的なサヨナラホームランで終わった。
「守神、くん」
ドーム前で1人佇んでいると、気まずそうに声をかけてくる白川。
彼女の姿を見て、ベンチ裏でした覚悟を思い出す。
「白、川……」
彼女の名前を呼んでから、空を見上げた。
「今日、めちゃくちゃ調子良かったんだけどな」
空は快晴。雲1つもない青い空がどこまでも広がっている。
それなのにも関わらず頬に伝う雫。
雨でも降ったのかと本気で思ったが、それが自分の涙だと気がつくと、もう止まらなかった。
「ごっ、ごめ……。お、俺……」
涙で上手く喋れずにいると、彼女がゆっくりと首を横に振ってくれる。
「約束は果たしてくれなかったね……」
でも、と彼女も同じように涙を流した。
しかしながら、俺とは違って笑っていた。
嬉しそうに笑っていた。
「今までの試合で1番わくわくして、すっごく楽しい試合だったよ。だから、わたしの覚悟も、守神くんの覚悟も、無駄じゃ、なかったんだよ……」
溢れ出る涙を拭い、それでも出てくる涙を浮かべながら、彼女は俺の手を握ってくれる。
熱を帯びた手は、夏の太陽に負けないほどに温かく、優しい。
「夢を、見せてくれて、ありがとう……!」
握った手に落ちた俺と白川の涙では手の温度は変わらなかった。
熱い、本音の彼女の気持ちがこちらまで伝わってくるようである。
「晃くん、琥珀さん」
俺達を呼ぶ声がすると白川はサッと手を離し、再度、手でごしごしと涙を拭いた。
「ゆきりん……」
白川は有希に対してどうしたらいいのか、どう接したら良いのか、そう言わんとする弱々しい声を漏らしていた。
「……琥珀さんは──」
「ゆきりん!」
強弱のわかっていない声がドーム前に響いた。
なにかを言いかけていた有希は言葉を一時停止させ、白川の言葉を待つ。
「わたし、わたしは……!」
うっ、うっ、と泣きながらなんとか彼女へなにかを伝えようとしているのが、泣きすぎでなにを言おうとしているのかがわからない。
ジッと待つ有希は、俺と出会う前の、厳しくも凛とした表情で白川を待っていた。
「わたしは、大好きなゆきりんの彼氏を、好きになって、それで、勢いで告っちゃって、そんなのだめ、なのに、ゆきりんのことが大好きだから、そんな大好きな人の大好きな人を好きになっちゃだめなのに、わかってたのに──」
拙い言葉の羅列を並べる白川に対して、有希は優しく彼女を包み込んだ。
「だめですよ。自分の気持ちに嘘ついちゃ」
「……え?」
「晃くんを好きになった気持ちを隠す必要も、晃くんへ告白したことに対して後ろめたいと思う必要もありません。私のことが大好きであれば尚のこと、その気持ちをなかったことにする必要もありませんよ」
一旦、包容を解いてからまっすぐと見つめ合う。
「私の大切な人を好きなった琥珀さんもまた、私の大切な人です。だから自分の気持ちを大切にしてください」
「ゆき、りん……」
うああ!
泣き崩れる白川を抱きしめる有希は、彼女の頭を優しく撫でた。まるで姉妹のような光景に、違った意味で泣けてくる。
♢
「……ありがと、ゆきりん……」
「落ち着きました?」
目を真っ赤に腫らしながらも、こくこくと頷く。
「友達の彼氏を好きになって、もうどうしたら良いのかわからなかった。隠そうとしても、隠そうとすればするほどに意識して……自分でも訳わかんなくなって、勢いで告って……。フラれて……なんかもう、感情がめちゃくちゃだけど……」
白川は自分の胸に手を持っていき、どこかスッキリした様子で有希へ伝えた。
「わたしは守神くんを好きになれて良かった」
その笑顔にはもう涙は流れていなかった。
有希はちょっぴりだけ困惑した顔を見したが、俺の手をギュッと握って白川に言い放つ。
「いくら大好きな琥珀さんだろうとも、この恋だけはあなたには譲れません。絶対負けませんから」
宣戦布告のような有希の発言に、白川は、ぷっと吹き出して大きく笑った。
それにつられて有希も大きく笑った。
ドーム前に人がいるってのに、そんなのお構いなしにふたりは大きく笑っていた。
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