第179話 覚悟の告白

 5回の裏が終わると、ドーム関係者の職員さんたちがグラウンド整備を開始。


 トンボでグラウンドをならしてくれたり、石灰を引き直してくれたりと、手際良く、テキパキと作業してくれている。


 選手達にとっては小休憩時間。


 の、はずなんだが、ウチの野球部はあの甲子園常連校と互角の戦いをしているのに興奮状態で俺に押し寄せてくる。


「守神! すげーよ!」

「やべー! まさか、こんなに互角とは!」

「も、もも、ももも、もちろん、俺達の実力じゃないってのはわかってるけど」

「だからこそ、守神さん1人で戦ってるってことで……」

「守神対甲子園常連校で、互角とか、本当に守り神って感じだな」


 サッカー部との試合の時もそうだったが、発言は謙虚なんだけどやたら詰め寄ってくる。図々しいのか判断が難しい連中だ。


「わかった。わかったから、便所に行かせてくれ」

「──だそうだ。みんな、離れるんだ」


 キャッチー道具を着けたまま正吾がSPの真似みたく俺をガードしてくれる。


 なんで、このくそ暑いのにキャッチー道具着けてんだろ。脱げよ。


 とか思いながら、俺はベンチ裏に出て、トイレに行くフリをした。


 ベンチ裏は通路になっており、選手用のロッカールームがあったりする。


 それはもちろん、プロ野球選手用のもので、俺達に割り当てられたものではないため、立ち入りは禁止だ。


 なにも試合中にロッカーを漁りに来たわけではない。その前で、右足のソックスを脱いだ。


「うっひゃ。紫色になってらぁ」


 見なきゃ良かった。余計痛く感じる。


 先程受けたピッチャー返し。右足の付け根のところが紫色に腫れていた。


 最初受けた時はアドレナリンが出ていて痛くなかったのか、途中から痛みを感じてしまう。


 なんとか、1人抑えたが……。


「強がった手前、なにも言えないよなぁ」

「やっぱり……」


 完全に油断していたところに聞こえる声。


 そこには、ウチのマネージャーである白川琥珀が深刻な顔をして立っていた。目線はソックスを脱いだ右足。


 彼女はしゃがんで俺の足を見てくる。


「おいおい。臭うだろ。顔近づけるなって。変な性癖が生まれちまうだろうが」


 まだ、そんなことを言える余裕があるのだが、彼女は俺のことなんか無視して、軽くだけ触ってくる。


「……グァ」

「交代して」


 なんとも冷たく言われてしまう言葉に、へらへらと笑って返してしまう。


「おいおい。こんなの屁でもないぞ。ま、今の俺の足からは屁よりも強力な臭いが──」

「交代して!!」


 こちらの言葉をかき消す叫びが通路に響いた。


 それを聞いて、こちらも誤魔化すのはやめる。


「それはできない」

「なんで……。なんで、こんなになってるのに交代しないの?」

「約束したろうが。白川を勝たせてやるからって」

「いいよ。いい……。約束なんていいよ。この状態で続けたら、野球できなくなるかもだよ? 大学で本格的に野球やるんでしょ? こんな腫れ方……異常だよ……」


 段々と声が掠れてきて、白川は不安になっているのか、瞳から涙が溢れてしまう。


 でも、そんな女の子の涙を見ても、俺は引っ込みがつかなかった。


「悪いな白川。もう心に火がついちまった。怪我してようが、なんだろうが、芳樹のところと互角にやりあってるって思うと、止まらねぇよ」

「な、んで……どうしたら、いいの……」


 顔を伏せ、どうしたら良いかわからない彼女は、この状況に泣くしかできなかった。


 普段なら、彼女の言うことを聞いて大人しく病院に行くだろうが、今日だけは譲れない。


 芳樹のところとやりあってる爽快感。あの監督をギャフンと言わせてやれるかもという高揚感。


 そして、白川との約束を果たせるかもという期待感。


 人生でもトップクラスの熱い日に、途中退場なんて死んでもできない。


 今日という日は俺の人生にとって、軌跡の1ページになることは間違いない。


 泣きじゃくる白川を放置するのは忍びないが、ベンチへと戻ろう。


 歩みを始めようとした、その時、腕を掴まれてしまう。




「好きなの……」




「……え?」


 聞き間違いか、白川からとんでもない言葉が発せられた気がした。


 しかし、彼女は泣いた勢いのまま、聞き間違いと思えるとんでもない言葉を発してくる。


「好きなの! 好きなんだよ! 好きになっちゃったんだよ!!」


 何度も聞こえてくる同じ単語は、間違いなく、好きという言葉。


「わたしは友達の彼氏を好きになった迷惑な女だよ。こんな気持ち持ち合わせちゃダメなのに、持っちゃったやばい女なの……」


 ブンブンと首を振る姿は、抑制が効かない自分が許せないと言わんとするようで、見ていて胸が締め付けられそうになる。


「そんなやばい女でも、好きな人が苦しむ姿なんて見たくないの。わたしだって、守神くんが大学で活躍して、プロの世界で活躍する姿見たいの。だから、こんなところで怪我を悪化させて、その道を途絶えさせるわけにはいかない」


 ゴシゴシと涙を拭いてから、それでも溢れてくる涙は耐えられず、オーバーフローさせたままに言い放つ。


「好きな人には好きなことをずっと続けて欲しいんだよ! だから交代して!」

「白川……」


 彼女の告白に、たじろっている暇はない。


 これは俺を止めるために取った最終手段。


 白川琥珀の覚悟。


 だったら、俺も全力でそれに答えるしかない。


「ごめん、白川……」


 色々な意味を含めた断りの言葉を放つと、ズキンと胸が痛んだ。


 こちらの胸の痛みと連動したかのように、白川もピクリと肩を震わせる。


 今にも消え入りそうなほど不安気な表情で泣いている彼女を、優しく抱きしめることは俺にはできない。


「だったら尚のこと、マウンドに立つ」


 このままマウンドを下りたら、なんだか彼女の告白を受け入れてしまう形になりそうだった。


 俺には大平有希という大切な人がいる。だから、彼女の告白を受けることはできない。


 決して、白川琥珀の告白を蔑ろにしているわけではない。


 彼女の覚悟の告白を受けて、こちらも覚悟をして返事をする。


「俺はマウンドに立ち続ける」


「……ッ! うぁ……」


 うああああああ!


 白川の泣き崩れる姿を見て、手を差し伸ばしてあげたいが、これも覚悟していた。


 ここで彼女へ手を差し伸ばしたら、それこそ彼女の覚悟をけなすことになる。俺の覚悟が薄っぺらいものになる。


 残酷に見えるかもしれない。冷酷なのかもしれない。


 だけれども、俺は白川琥珀から背を向けてベンチへと戻って行った。

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