第144話 ダーククロニクルファンタジーは天国へのカウントダウン

 あまり有希のバイト先へは行かないようにしている。


 それというのは、少しでもバレるリスクを下げるためだ。


 有希のバイトのことを知っているのは、俺と正吾に白川の3人だけ。正吾は基本的に口が軽いけど、人が嫌がることを決していない人間なので、まじなことに関しては口が鋼鉄よりもかたくなる。白川も普段はおちゃらけているが、正吾と同じタイプだ。


 今の所バレているのは信用できる奴だけなので安心なのだが、他の人にバレでもしたら言いふらされてしまうだろう。


 我が校は特別な理由を除いてのアルバイト禁止。バレでもしたら停学になるかもしれない。加えて、有希は妖精女王なんて比喩されているお堅い生徒会長様だ。そんな生徒会長様が校則破りのメイド喫茶バイトなんてバレたら大事になる。


 俺が常連となり、ふらふらっと店に入るのを学校の人に目撃されて追跡された結果、有希の秘密がバレたら目も当てられない。


 有希には「流石にそこまでなるとは思えませんので、いつでもお店に来てくださいね」とは言われている。


 ……わかっている。それを理由にして店に行かないようにしているのは自覚がある。


 もちろん、それも店にあまり行かない理由なのだが、本当はあの超絶可愛い有希が他のお客さんに、「ご主人様♡」とかやっていると思うと涙が出るからだ。でもそれでもメイド喫茶で働く有希を見たい気持ちもある。


 そんな矛盾的葛藤の中、今日はスマホを届ける大義名分ができたため、メイドカフェ《めいど・いん》にやってきた。


 カランカランとめいど・いんのドアを開けると、ドアに備え付けてある鈴の音が店内に響き渡った。


「おかえりなさいませ。ご主人様」


 出迎えてくれたのは俺の最高の推しである大平有希こと、『ゆきち』だ。


 家ですっかり見慣れたメイド服は逆にメイド喫茶で見ることが新鮮である。


 比べる訳では決してないが、ウチの専属メイドが誰よりも可愛くて一目惚れみたいに有希を見て立ち尽くしている。


 そんな俺を見て、有希も少しびっくりした様子だったが、すぐに切り替えた。


「本日はお1人でのご帰宅でしょうか?」

「はい」

「ではお席にご案内しますね」


 有希に、いやここでは『ゆきち』だったな。ゆきちに案内されたのはカウンター席。そこに腰掛けるとメニュー表を渡される。それに重ねてメモ帳があった。


「本日は春の期間限定がおすすめですよ。ご主人様♪」


 そんな接客と共にメモには、『どうかしたのですか?』と書かれていた。


「そうだなぁ……」


 悩むふりをしながらポケットより有希のスマホを取り出して見せると、察したみたいだ。


「dark Chronicle fantasy をください」


 ここのコーラの独特のメニュー名を覚えていたので注文すると、パチパチと拍手をしてくれる。


「ご主人様の英語、とっても素敵です♡ もう耳が幸せで……。ゆきち、もっとご主人様に発音して欲しいですー♡」

「dark Chronicle fantasy」

「きゃあぁん♡ もっとぉ♡」

「dark Chronicle fantasy(ドヤ)」

「あ、ん♡ ご主人様ぁ♡ 好き♡」

「俺は大好き♡」

「私は愛してる♡」

「メイドと主人の禁断の愛からこんにちは」


 カウンター前にいた店長のめるんさんが、俺達のやりとりを見て間に入る


「ゆきちちゃん。これ、3番様へお願い」

「はい」


 彼女は目で、「ごめんね」と言って料理を運んで行った。


「ゆきちちゃんが発情するなんて珍しい」


 めるんさんがこちらを見てくる。


「お久しぶりですね。守神さん」

「ど、どうもです」


 こちらのことを覚えていてくれてちょっと嬉しかった。


「それにしても、ゆきちちゃんと以前に来た時より仲良しさんになった気がしますねー? そこらへんどうなんですかー?」


 ニタニタと笑いながら聞いてくるので素直に言う。


「もうめちゃくちゃ仲良しですね」

「……なんだ。付き合ってるんですか」


 つまんな。みたいな顔をされてしまう。でも、次の瞬間なにかを思いついたみたいな顔をして、そのまま顔を近づけてくる。


「付き合って長いんですか?」

「い、いえ……。まだ……」


 香水の匂いと少しだけヤニの匂いが混じった大人の匂い。小学生みたいな体型に大人の顔付きのギャップのめるんさんにはアダルティな雰囲気がある。


「守神さん。大人の女と付き合ったことはあります?」

「え? い、いや……まだ高校生ですし」

「ふふ。高校生から、大人の女を知るのも、良いかもですよ?」


 そう言って、胸の谷間を見えるようにしてくる。


 有希よりも膨らみのない胸だけど、そこからは大人の危険な匂いが漂っている気がした。


「あー。申し訳、申し訳ー。ないーですー。手が滑ってー」


 頭の上から黒い液体が降りかかった。


「ひゃわー。大丈夫ですかー? ご主人様ー。今、拭きますねー」


 瞬間、俺の顔面は柔らかいなにかで包まれる。


「ちょ、ちょっとゆきちちゃん!? なにしてるの!?」

「なにって、dark Chronicle fantasyがご主人様のダークな頭にクロニクルしたので、おっぱいタオルでまじファンタジーです」


 俺の顔面を包んでいるのがゆきちのおっぱいだということを理解すると、体温が5度上昇した。鼻血出そう。


「い、いや、今のわざと……」

「店長……? ご主人様をたぶらかそうとしてませんでした?」

「ギクゥ」


 めるんさんは擬音を口で言うタイプらしい。


「それに、ご主人様ぁ? 店長に誘惑されそうになっていませんでしたぁ?」


 冷や汗と共に俺はゆきちへ言ってやる。


「俺、ここに住んで良いかな? ここに一生住む♡」

「はい♡ もちろんですよぉ♡ ずっとここにいて♡」

「あ、でも……ちょっと苦しい、かも……」

「私のおっぱい嫌い?」

「好きー♡」

「う、うぅん♡」


 ぎゅーと更におっぱいで圧迫される。正直苦しい。でも天国。


「この2人をからかうとこうなるのか……。2度とからかわないでおこう……」


 めるんさんの嘆きが聞こえた。


 そして俺は天国へいきそうになった。

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