第142話 不安を拭っての幕開け
トントントン。
キッチンから聞こえてくる料理の音。漂ってくる和風出汁の匂いが食欲をそそり、腹の虫が鳴ってしまう。
良い匂いにつられたみたいに8畳の部屋からキッチンの方を覗く。そこにはいつものメイド服を着た有希が手際良く料理をしてくれてた。
今日はメイド喫茶でのアルバイトが休みの日。なので契約通りに晩御飯を作ってくれる日。
ふと思う。
もう俺達は思いを伝え合い、恋人同士になった。そりゃ最初は秘密を守るためだとか、専属メイドで契約だから仕方なくだったかもしれない。でも今は単純に彼氏である俺へと料理を作ってくれているはずだ。
もう契約とかそんなもので縛られている関係じゃない。
それに、こうやって有希と一緒に食事を取れるのは後何回なのだろう。
物事に無限なんてない。限りがある。
3年になって、残り1年の高校生活が始まって妙に意識してしまう。
俺は進学できたらこの家を離れるだろう。この家は元々高校3年間だけ住む契約だ。契約を延長することもできるだろうが、この付近に大学はない。よって大学生の一人暮らしなのに学校が遠くなるとかいう訳のわからない事態になりかねない。
有希は高校を卒業したらこの家を離れるのかどうかわからないが、ご主人様とメイドという関係もあと1年だろう。もちろん、恋人同士という関係は俺が彼女を思い続けるから、俺から終わらせることなんて絶対にない。
そんな先のことを思うと、なんだか今の光景が遠くなっていく気がした。
有希が段々と遠くなって、小さくなって、届かなく……。
「……ん?」
気が付いたら鍋の様子を見ていた有希の手を握っていた。
「どうかしました?」
「あ、いや……」
有希は一旦鍋の火を消すと、こちらを覗き込むようにして見てくる。
「んー?」
小首を傾げる様子は、事情を話しなさいと言わんとする瞳で見つめてくる。
「その、3年になって、後1年って考えたらさ、こんな頻繁に有希のご飯が食べれなくなるのかな、って思うと寂しくなって……」
「後1年……。確かに、私も高校を卒業したらこの家から離れようとは考えてますね」
「だよな。もちろん、俺達の関係は有希が終わらせない限り続くんだけどさ」
「晃くん。訂正してください」
「え?」
「私達の関係は晃くんが終わらせない限り続く。でしょ?」
「いやいや有希だろ」
「いやいやいや晃くんです」
謎の意固地な言い合いのあと、有希がクスリと笑った。
「じゃ私達の関係は永遠に続くってことですよね」
わざとらしく頭を下げてくる。
「ふつつか者ですが、未来永劫よろしくお願いします」
「お、お願いいたしまするです、はい」
ぷっ。っと彼女が吹き出す。
「語尾がおかしいですよ」
「う、うるせぇ。ドキドキして噛んだんだよ」
「どれどれー?」
有希の手が俺の胸に伸びた。ピタッと俺の胸を触りながら、「おお」と声を出す。
「どんだけ私のこと好きなんですか。めっちゃドキドキしてますよ」
「そりゃ大好きだから、な」
視線を逸らしながら言うと、有希の頬が軽く赤く染まるのが少し見えた。
「お、俺だけドキドキしてるのバレるのずるくない? 有希のも確認させろよ」
「触ります?」
そう言って胸を強調するように張る。スタイル抜群の有希の胸が今にはち切れそうである。
「い、良いの?」
「し、心臓の確認ですからね。変なところ触ったら、めっ、ですよ」
いや、それはつまり触ってしまうのだが……。ええい、こんなチャンスない。怒られても良い。
俺は有希の心臓をチェックする。
ムニュと有希の左胸に触れると、「ん……♡」と有希がイヤらしい声を出す。
メイド服越しなのに柔らかく幸せな感触が手のひらに伝わる。この世にこれほどまで柔らかいものなど存在しないのではないかと思ってしまう。
「ど、どうです?」
「俺、ここに住む……」
「えっちぃ。おっぱいの感想じゃないですよぉ」
「は!? ご、ごめん!」
つい、胸の感想を言ってしまい手を離す。
「心臓です。ドキドキしてました?」
「……自分の心臓が興奮状態で有希の心臓を確かめる余裕がありませんでしたです、はい。すみません」
「もう」
呆れた声を出しながら俺の手首を掴んで、自分の胸に押し当てる。幸せな感触、再び。
「ゆ、き!?」
「ほ、ほら、どうです……? 私の心臓の音、聞こえます……?」
「気持ち良すぎてそれどころじゃない」
「えっちなご主人様ですね。おっぱいならいつでも触らせてあげますから、今は心臓の確認を」
「あ、ああ……」
今、サラッととんでもない発言をした気がするけど、脳内が破裂しそうなほどに興奮しているので理解が追いつかない。。
ドキドキ……。
「あ、有希の心臓の音、聞こえた」
おっぱいの奥から聞こえてくるわずかな音。
「ど、どうです? おっぱいを鷲掴みしても聞こえるほど、私だって晃くんにドキドキしてるんですよ」
言われて思う。確かに、心臓の確認なら胸を下から持ち上げるようにしないといけない。今の状況はただ胸を揉んでるだけだ。とんでもない状況だな。
「はい! おしまいです!」
急に恥ずかしくなったのか、有希が俺の手を離すと、顔を真っ赤にして逸らす。
「こ、ここ、こんなことするの晃くんだけなんですからね! 勘違いしないでくださいね!」
「は、はい……。ありがとうございます。一生あなたに付いていきます」
「つ、付いていくのは私です!」
「は、はい」
もう、さっきの状況が恥ずかしくって頭がおかしくなりそうだが、一息ついた有希が切り替えて言ってくる。
「こんな突拍子もない楽しい毎日続けたいですね」
小さく呟いてから続ける。
「確かに高校生活は後1年で、卒後したら家を出ていくつもりです」
ですが。彼女は真っ直ぐに俺の目を見つめる。
「卒業したら一緒に住んでくれないの?」
彼女の質問に咄嗟に有希の手を握った。
「一緒に住んでくれるのか?」
「当然じゃないですか。これからもずっと晃くんのお世話をするつもりなのですから」
それに、と微笑んでくる。
「私の冷たい手を温めることができるのは晃くん以外にいませんよ」
ギュッと彼女の手を握りしめる。相変わらず冷たい彼女の手を握る。優しく、宝物を扱うみたいに……。
「そうだよな。有希の手を温めることができるのは俺だけだ」
「はい」
進級した初日に抱いた不安は一瞬で消え失せて、これから楽しい最高学年の幕が開かれた。
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