最後の学年

第137話 春の朝

 4月の早朝はまだ陽が昇りきっておらず薄暗い。


 青の中に少し黒が混ざったかのような空の下、緑地公園の桜並木道に咲いてある桜の花びらが舞う。


 花吹雪の中を、白のペアルックトレーニングウェアを着た俺達は駆ける。


 隣を共に走ってくれる女の子を見た。


 長い銀髪をポニーテールにし、走る度に馬の尻尾みたいに揺れる髪。


 はっ、はっ。


 息遣いが一定で、テンポ良く走っている様は、まだまだ体力に余裕がありそうである。


 それにしたって、トレーニングウェアといっても実際はただのジャージだ。


 それなのに、桜吹雪の中を駆ける彼女はどうしてこうも儚く見えてしまうのだろうか。


 それは彼女が俺の恋人であり、専属メイドだから。なんて身内フィルターを外したって感想は変わらないだろう。


「どうかしました?」


 隣を走る銀髪ポニーテールの大平有希がこちらの視線に気が付いたみたいで、走りながらも質問を投げてくる。


「見惚れてた」


 隠す必要性がないのでストレートに伝えると、ちょっぴり照れた様子の有希は視線を前に向けて頬を赤く染める。


「よ、余裕みたいですね」

「そりゃ毎日走ってるコースだし」

「では、もう少しスピードを上げましょう」


 宣言すると、彼女は本当にスピードを上げて俺より前に出る。


 無尽蔵の心臓をお持ちなのか、グングンとスピードを上げて、あっという間に見えなくなる。


 まだまだ余裕と言わんばかりに後ろを向いて煽るように言ってくる。


「晃くん。遅いですよ。早く、早くー」


 そう言われてこのまま後ろを走るのっては男が廃る。俺も速く走ってなんとか隣に追いつく。


「おお。流石は晃くん」

「ぜぇ、はぁ。いきなりのダッシュはやばいな……」

「一旦止まってあげても良いですよ」

「ぬかせ。まだまだこんなもんじゃなかよ」

「なんで九州弁?」

「九州に旅行行きたいからかな」

「では、今度行きましょう」

「あり!」







「「ぜぇ……ぜぇ……」」


 適当なノリで旅行を企てている場合ではなくなった。


 その後もハイスピードで走り合った結果、お互いに息切れとなり、互いに走るのをやめてゆっくり歩く。


 いきなり止まると身体に負荷がかかるので、走った後はゆっくり歩くのがマストだ。


 ゆっくり、ゆっくりと桜並木道を歩く。


 すっかり陽は昇っており、太陽がおはようと元気に挨拶してくれているみたいに、青い空の中を白い雲が気持ち良さそうに泳いでいる。


「有希……」

「はい……」


 爽やかな朝とは言えない、ゴリゴリに体力が減った状態で会話する。


「いつも付き合ってもらってありがとうな」

「いえ、私も好きで付き合ってますので」

「でもな、今日、入学式と始業式だろ。生徒会長として挨拶もあるのに、疲労困憊の状態でできるのか?」

「そうですね。体力が減った状態ではまともな挨拶ができないかもしれません」


 でも、なんて甘い声を出しながら有希の指が俺の唇をなぞった。


「キス。してくれたらちゃんとできるかも」


 はぁはぁと息を切らして汗を流しながら女性フェロモンを放つ姿は到底女子高生には見えないほどの婉容であった。


 大人の色気があり過ぎる。


「ふふ。冗談です。いくら早朝の公園で誰もいていないとはいえ、公共の場では恥ずかしいですよ。それに汗もいっぱいかいたし……」

「だな。こんな朝っぱらからキスなんて、する」

「あ、するんです?」


 彼女の肩に手を置いて見つめ合う。


 お互い、バテバテの状態なので、ぜぇはぁなんて息遣いが荒い。


 見つめ合うと有希が、ぷっと吹き出した。


「なんだか変態みたいですよ?」

「有希もな」

「失礼ですね。仮に私が変態だとしても、それは変態という名の淑女です」

「否定しづらいな」

「してくださいよ。つまり変態ってことじゃないですか」


 有希のツッコミに息を切らしながらも唇を近づける。顔を近づけると、彼女は背伸びをして目を瞑って受け入れてくれる。


 そのまま唇を交わすことはせず、指を唇に当ててやる。


「お預けー」

「なっ!?」


 キスする気だった有希が少し怒ったような声を出す。


「晃くんのくせに生意気です!」

「専属メイドがご主人様とほいほいとキスできると思うなよー」

「むぅ! 嫌いです。晃くん、嫌い」


 ぷんぷんと怒って、早足で先を行く。


「あ、有希、待てよー」

「知りません!」


 更に歩みを早める有希に追いつこうとこちらも歩みを早めた途端に、彼女が振り返って抱き着いてくる。


「んっ」


 そして唇を奪われた。


 長めのキスは有希の味が濃く、甘くとろけそうになる。


「ぷはぁ。はぁ……。はぁ……」

「朝から激し……」

「……冗談でも晃くんを嫌いと言ってしまった懺悔を込めた愛情表現です」

「相手が絶対に好きだと確信している状態で嫌いって言われるの、案外良いもんだぞ」

「性癖が捻じ曲がってる晃くんも素敵です」


 これ、もう、なにをしても有希の瞳に写った俺は素敵に見えるのではないだろうか。


「よし。今ので体力が回復しましたし、新入生へ威厳ある挨拶ができそうです」

「ディープキス後に新入生へ挨拶するのは有希くらいだろうな」

「ささ。帰って朝ごはんにしますよー」


 こちらの言葉を無視して走り出す有希は、本当に体力が回復したのか、足取りが軽い。


 でも、俺の方が足取りは軽かった。


 ディープキスって回復薬より効果があるんだね。

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