第131話 受け継がれていく物

 俺が実家に戻って来た理由は、進路のことを両親に話すため。


 それが達成されたので、お暇しようとしたところで母さんから制止が入った。


 有希が実家に来てくれた理由は、母さんが彼女と久しぶりにゆっくり話がしたいとの理由であることを忘れていた。


 日中は両親が酔っぱらって寝てしまい、話しができなかった。


 両親が悪いのだけど、有希の方も、「私もお話ししたいです」と言ってくれて、リビングでは有希と母さんの話が盛り上がった。


 一体、いつまで続けるのか。帰りのことを心配していたが、有希さえ良ければ泊まっていって欲しいとのこと。


 その提案に、有希は断りを入れたが、母さんがどうしてもと言うので、泊まっていくことにした。


 実家には部屋も余っているし、お客様用のベッドもあるので、寝床の心配はないだろう。


 父さんは明日朝が早いみたいなので早い時間に就寝に入る。


 俺も最初はリビングにいたのだが、いつまで経っても終わらない2人の話しに付いていけなくなり、先に寝ることにした。


 眠る前に、自分の進路の件を両親に言えた安心感と、芳樹が野球をやめるという不安が入り交じり、少しだけ寝つきが悪かったのだが、気が付くと眠っていた。


 翌朝。


 久しぶりに実家の自分の部屋で起床する。


 朝の6時。最近はこの時間に起きるのだが、春休みにしては随分と早起きだな、なんて思いながらリビングへ向かう。


 リビングに近づくにつれて、味噌汁の良い匂いがしてくる。


 母さんが朝食を作ってくれているのだろうかと思いながらリビングのドアを開ける。


「おはようございます。晃くん」


 そこには、私服姿の有希がキッチンに立っていた。


 我が家のキッチンなのに、馴染んで見えるのが不思議であった。


「有希。ご、ごめんな。朝っぱらからお客様に料理させて」

「気にしないでください。好きでやってることですので」

「それにしたって、無理に連れて来て、無理に母さんに付き合ってもらったのに、朝食まで作ってもらうってのは、ものすごい申し訳ない気持ちになるんだけど」

「無理に連れてこられたわけでも、無理に美咲さんに付き合ったわけでもありません。私の意思で来ましたので、晃くんが気に病むことはなに1つとしてありません」


 それに、と味噌汁の味見をしながら言ってくる。


「今の光景もいつも通りのあなたへのお世話ですよ」


 優しく言ったあとに、リビングにある時計を見て、てへっと舌を出す。


「いつも通りよりも、ちょっと遅い時間ですけどね」


 朝の6時をちょっと遅い時間って言うのは、有希くらいしかいないだろう。


「もう朝ごはんできましたので、座って待っててください」

「うん」


 素直に有希の朝食を頂こうと思い、ダイニングテーブルに座ろうとしたところで、リビングのドアが開いた。


 そこには私服姿の父さんが大きい荷物を持って入って来た。


「凄い良い匂いがする」

「おはようございます。お義父様」

「おはようございます。大平さん」


 朝の挨拶を返すと、父さんはキッチンの様子を見てから有希に尋ねた。


「もしかして、大平さんが作ってくれたのですか?」

「はい。泊めて頂いたせめてものお礼です」

「い、いやいや。無理に泊まってもらったのに、お客様にこんなことをさせるなんて……」


 父さんの反応を見て、有希が嬉しそうに笑った。


「お気になさらないでください。好きでやっていることですので」


 言いながら有希は2人分の朝食を準備してくれる。


「あれ? そういえば母さんが起きて来ないな」


 いつもは誰よりも早い母さんがいないことに違和感を覚え、口に出すと、有希が苦笑いを浮かべていた。


「昨日、盛り上がってお酒を飲んでしまっていたので、まだ寝ていると思われます」


 母さん。酒弱いのに酒好きだからな。普段はあまり飲まないのに、有希が来てくれたのが相当嬉しかったんだろうな。


「ま、母さんは今日休みだし、寝かしておいてやってくれ。いつもは家事と仕事で忙しいから」

「そういう父さんはこんな朝早くから仕事ですかい?」

「今日は移動日。仙台まで行って来る」

「2軍のコーチも大変だな」

「選手の時は移動日って結構好きだったんだぞ。新幹線とか飛行機とか乗り放題で、みんなでウノとかしてたな」

「プロ野球選手もウノするの?」

「おうよ。『はい、お前ウノ言ってないー』とかでめっちゃ盛り上がる」


 どうやら精神年齢は少年野球時代から変わってないのかもしれないな。


「あ、そうだ」


 父さんは思い出したようにリビングを出て行く。


 かと思ったらすぐに戻って来る。


 その手には、赤茶色のグローブがあった。


「晃。これ、俺が新人賞を取った時のグローブなんだけどさ」


 俺に見せながら説明してくれる。


「本当は、お前が高校生になった時に、ゲン担ぎと思って渡そうと思ったんだ。もう渡す機会もないと思っていたけど、野球、またやるなら貰ってくれないか」

「良いの? 大事な物なのに」

「ああ。これも元々はおとんから……。晃のおじいちゃんが、俺がプロ野球選手になった記念に買ってくれたものなんだよ。新人賞を取った時に、もし自分に息子ができたら渡そうって決めてたんだ」

「そう、だったんだ」


 おじいちゃんにとっても、父さんにとっても大事なグローブ。それを受け取ろうと手を伸ばして止まる。


「そんな大事なもの……。俺が受け取る資格なんて……」

「なにバカ言ってんだよ。親からの子の贈り物に受け取る資格とかそんなもんないっての。安心しろって。これを渡すから次は野球をやめるなって意味じゃない。お守りみたいなノリだ。それを使って練習するもヨシ。試合に出るもヨシ。神棚にかざるのもヨシだ」


 軽い口調で言われて、深く考えすぎていたと実感しながら父さんからグローブを受け取る。


 自然と左手にグローブをはめて溝の部分を、パンパンと叩く。


「良い、グローブだな」

「それだけで良し悪しがわかる晃は、やっぱり1流の選手だよ。親のひいき目を除いて、本気でそう思っている。気持ち悪いと思われるかもしれないが、俺はお前のファンだからな。これからも野球で魅せつけてくれ」

「野球で、魅せつける……」


 父さんの言葉が妙に心に響いて、繰り返してしまった。


「う……。ぐす……」


 ふと見ると、有希が泣いているのが見えた。


「あ、あ! ご、ごめんね大平さん。親子の気持ち悪いやり取りだったね」

「ごめん有希。朝から気持ち悪いの見せて」


 早朝から他人の家族のこんな光景を見せらて、さぞ苦痛だったろう。


「違います。感動しているのです。なんて良い家族愛なのでしょう」


 有希は涙を拭い、俺と父さんを見比べる。


「理想です。私の理想とする親子です」


 言うと有希は俺の手を、ギュッと握ってきて、腫らした目で見つめてくる。


「私達の子も、2人に負けないくらい、絆の深い親子になりましょうね」

「え。結婚するの? え?」

「大丈夫。私達の子なら、きっと誰よりも絆の深い家族になれます」

「あ、いつもの俺の話を聞いてないやつね」

「晃。野球に関しては逃げても良いけど、大平さん泣かしたら絶縁だからな」

「これ、もう結婚以外に選択肢ないな。良いんだけどね。それ以外の選択肢なんていらないんだけどね」

「子供の名前は……」


 有希は相当先の未来の妄想をしていた。

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