第94話 熱い話は良いのだけど……

 俺って遠足の前日に寝れないタイプの人間なんだよな。


 それが学生最後の修学旅行ともなると尚のこと。


 ベッドで何回も寝返りを打っては、スマホを見て、全然時間が経っていない。それの繰り返しを永久機関のように続ける。


 ほとんど眠れていない修学旅行の前日から、時間は修学旅行当日へと変わり、4時間程が経過したところで、スマホのバイブが鳴り響いた。


『起きていますか?』


 有希からのLOINだった。


 眠れていない寝不足の頭。だが、楽しみにしている幸せホルモンが爆発的に俺の身体を駆け巡っているのか、不思議と眠くなかった。


『起きてる。寝れなかった』


 素直な文を送ると、しばらく返信がなかった。


 メッセージの代わりといわんばかりに、玄関の鍵が開く音が聞こえてくると、俺の部屋の廊下を歩く音が聞こえてくる。


「おはようございます」


 部屋の扉を開けながら、制服姿の有希がいつも通りにやってくる。いつもと違うのは朝の時間が圧倒的に早い点くらいだろう。


「おはよー」


 もぞもぞとベッドから起き上がり、いつも通りの朝の挨拶を返す。


 冬の早朝は、まだまだ夜と言っても過言ではないくらいに暗闇である。その中での、おはようは、ちょっと違和感であった。


「寝れないなんて、晃くんは遠足の前日に眠れないタイプですか?」

「ぐぅの音も出ないくらいにその通りだよ。ちくしょう」

「ふふ。お子ちゃまですね。私のご主人様は」


 言いながら俺の頭を、撫でてくる。


「そういう有希は……」


 頭を撫でられながら有希を見るが、いつも通り、完璧な仕上がりで俺の家に来ている。


 一見、いじれないと思ったが、朝一番から頭を撫でてくるなんて今までなかったので、これをいじる他にないみたい。


「テンション高いな」

「ええ。そうですね」


 余裕の笑みで、俺の頭を撫でてくる。


「今まで、修学旅行とか林間とかって楽しみじゃなかったんです。しかし、今回は楽しみにしております」

「それって、もしかして……」


 俺と過ごせるから?


「スノボーって初めてなので、めちゃくちゃ楽しみですよ」


 あらら……。


 崩れるようにベッドに倒れ込むと、有希が勝ち誇ったかのような笑みで覗き込むように見てくる。


「んー? なんだと思ったのです?」


 なんか俺が言おうとしてることが読まれている気がするな。だったら、そのまま、素直に言ってやっても良いかも。


「有希と──」

「そうそう」


 こちらの回答をキャンセルしてくるように手を合わせてくる。


 ニタっと笑い、俺にターンをよこさないといった表情。


「朝ごはんは食べる余裕がないので早く行かなくてはいけませんね。学校側に迷惑をかけるわけにもいきませんので」


 しかも、答えざるを得ない内容なので「あ、ああ」と頷いてしまう。


 修学旅行のテンションで素直なバフがかかった俺へのからかい返し封じ。


「では、晃くんが着替えたらさっそくと空港に向かいましょう」

「はい……」


 恐るべき策士だぜ。大平有希。




 ♢




 修学旅行の朝は早い。


 空港に朝の7時集合。


 いや、無理やん。しおりを見た時はそう思ったね。


 電車での始発が間に合わない生徒がほとんどなので、保護者の協力の下、送迎を呼び掛けている。しかし、保護者にも都合があるので、最終手段としては学校側が送迎する形を取っている。


 学校側に頼る人が多くなると予想されたが、保護者の方々が協力的で、学校側が送迎する人数は2人だけらしい。


 その2人ってのは、俺と有希。


 俺達の最寄り駅から空港までは始発じゃ集合時間に到底間に合わない。


 なので、1人暮らしをしているのを把握している学校側の好意で、最初から送ってくれることになっていた。


 平等にするため、学校側が他の生徒も送迎すると言っていたのだが、予想外にも俺達以外の希望者がいなかったらしい。


 空港までは教頭先生が自分の車で送ってくれることになっており、俺と有希は学校で朝も早くから教頭先生の高級セダンに乗り込む。


 エンジン音がほとんど聞こえず、揺れのないセダンは、座席が革仕様で乗り心地が良い。


 教頭先生って稼いでるのな。


「ありがとうございます。教頭先生」


 後部座席、運転手側に座る有希が改めて教頭先生にお礼を言っていた。ちなみに俺は有希の隣に座った。教頭の隣なんて精神力えぐくないと座れない。


 白髪をオールバックにした紳士風の教頭先生は、運転しながら、「いえいえ」と返事を返していた。


「大平さんにはいつもお世話になっていますからね。この程度のこと、大したことではありませんよ」

「私の方こそ、当たり前のことをしているだけですので」


 そりゃ教頭と生徒会長なんだし、面識があって、学校のことについても喋ったりするわな。


 こちとら、教頭となんて縁もゆかりもない。


 そんな人の車は、乗り心地は最高だが、居心地はちょっとだけ悪かった。


 これは黙っているのが正解と判断し、薄暗い都市高速の景色を眺める。


 ビルしか見えないので楽しくもないけど。


「守神くん」

「は、はい」


 ふと、有希との会話に区切りがついた教頭先生が俺を呼ぶ。


「この間の練習試合。物凄いボールでしたね」


 それは、もしかしなくても、サッカー部とのことだろうか。


「み、見てたんですね」

「はい。校舎から見ても、威力のあるストレート──いえ、ジャイロボールでしたか?」

「え? ええっと……」


 俺の名前を知っていることにすら驚いているのに、俺の得意の球の名前を知っていることに動揺が隠せない。


「守神くんの日本代表戦を見ている気分でしたよ。胸が熱くなりました」

「日本代表……」


 随分と前のことを話題に出してきたな。


「もしかして、見てました?」

「ええ。見ましたよ。私、野球が好きですからねぇ」


 そう言って教頭先生は嬉しそうに話す。


「高校野球が特に好きなのですが、友人に、『シニアにとんでもない奴がいる』と教えてもらってね。『中学の日本代表戦を見てくれ』って言われたもので、下の息子と動画を拝見させていただきました。そこには三振の山を築く守神くんの姿がありましたね」


 思い出すように言うと、嬉しそうに言ってくれる。


「息子はすっかり守神くんのファンになって、『俺もあんなピッチャーになる』といって、守神くんの所属していたシニアに入ったのですよ」

「そう、だったんですね」


 なんて返して良いかわからずに、そんな適当な言葉を漏らすと、教頭先生は悟ったような声で俺に言って来る。


「息子は、守神くんが野球をやめた今でも大ファンです。憧れの存在です。キミには人を動かすスター性があるのです。それは野球だけではありません。他の道でもきっとキミは他の人をなにかに導くことのできる存在。私は、日本代表戦を見て、この前のサッカー部との試合を見て、改めてそう思いました。怪我をしてしまい辛い時期での高校生活だったでしょうが、なんでも良い、素敵な道を見つけ、多くの人に夢を与えられる存在になることを強く願っています」


 そう言うと、「すみません」と笑いながら謝られてしまう。


「野球の話しはしない方が良いと思っていたのですが、つい……。それに、あまり守神くんと話す機会が今までなかったので、楽しい日に、こんな説教くさいことを言ってしまいましたね」

「いえ……」


 俺は首を横に振り、少し涙目で教頭先生に言ってのける。


「教頭先生の言葉で、大学でもう1回やりなおそうとしていた野球に更に真剣に向かい合う決意ができました。ありがとうございます」

「大学で……」


 教頭先生は、涙目になって頷いてくれた。


「活躍を心より期待しております」

「ありがとうございます」


「教頭先生?」


 教頭先生の熱い言葉の後に、有希がなんとも冷たく先生を呼んだ。


「熱くなるのは良いのですが、空港。間違ってますよ?」

「「ええ!?」」

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