第58話 瑠璃色の空の生徒会室

 制服に着替えてから家を出る。


 マンションの廊下から見える三日月は、どこか微笑んでいるかのように見え、星々と共に地上を照らしてくれている。


 珍しくもない暗闇の空。三日月。星。違和感なのは、6時前という時間帯。


 冬の早朝の外は、まだ夜と言っても過言ではないくらいの暗さだ。日の出にはもう少し時間を有するみたいである。


 暗闇の中、ただいまではなく、行ってきますをする違和感はなんだか嫌いではなく、どこか気持ちが高揚している。小学生の頃に、夏祭りで夜から家を出るあの感じを思い出す。


 いや、高揚しているのは、共にいる女性のせいかもしれないな。


 視線を三日月から後ろの有希へと切り替える。


 俺の部屋なのに、彼女がしっかりと施錠してくれる。おまけにドアを、ガチャリと1度引いて、ちゃんと閉まっているかの確認をしてくれる慎重具合は性格が出ている。


「行きましょう」

「ああ」







 通い慣れた通学路も、今日に限っては本当に別世界であった。最近は7時代に家を出ることになって、それだけでも違った光景になったが、6時前は別世界であった。


 車はほとんど通っておらず、人の姿もない。ここを歩いているのは俺と有希だけであった。


 月明かりだけでは彼女の顔がはっきりと見えない。いつも見ているその綺麗な顔がはっきり見えないからこそ、なんだか無性にドキドキしてしまう。


 たまに、国道を走る車のライトが俺と有希を照らし、一瞬だけ彼女の顔がはっきりと見えるが、すぐに見えなくなる。一瞬見える彼女の顔はやっぱり綺麗で、なんとなく安心できる。


「何気に初めての登校だな」


 会話がなかったので、なんとなしに話しかけると、「そうですね」と答えてくれる。


 そのまま会話のキャッチボールをしてくれた。


「この時間帯なら他の生徒に見られる心配もありませんしね」

「最近有希、噂されてるもんな。こんなところ見られたらまた噂されちまうな」

「そうですね。良い迷惑ですよ。みんな好き勝手言って」


 そういう割にどこか嬉しそうな表情が伺える。


「しかし、結構ガッツリ晃くんと一緒のところを見られた気がしますが、どうして晃くんだとバレていないのでしょうか?」

「まぁ、俺は有名人じゃないし。それに見られたのが他の学年の人達だけだったのもあるんじゃないか。あの時、注目度は有希の方が高かったからな。隣にいる男よりも、生徒会長に目がいったんだろう」

「ふむ……。そうですか」


 軽く考え込む、「まぁでも」と明るく言ってのける。


「それはそれで利用できそうです」

「利用?」


 なんとも今の空模様と同じ、黒い発言をしている気がして問う。


「私には正体不明の彼氏が存在する。加えて近衛くんと白川さんが噂をするのをやめるように促してくれている。うまくいけば噂はなくなり、私には正体不明の彼氏が存在して、私に構ってくる人が減るという現象が起こるでしょう」

「あー。ね」


 大平有希は人気の生徒会長だ。それはそれはモテモテになることだろうし、変な虫も寄ってくるだろう。それが、この件で減少してくれるのであれば噂されるのも結果オーライってことか。


「腹黒だねぇ」

「なんとでも言ってください。そうなることで構ってくる変な人がいなくなればせいせいします」

「そうなると、俺は変な人ではないってこと?」


 それとも特別な存在?


「安心してください。晃くんは変な人ではないです。ただの変態です」

「それ、ほぼ一緒の意味じゃないの?」







 初めての一緒の登校は、いつもと変わらない雑談をしながらの登校となった。


 内容もほとんどない空っぽの会話だけど、今はそれが楽しくっておかしくって、ワクワクしてドキドキした。


 好きな人との登校ってこんなにも楽しいものなんだと実感できた。これなら毎日一緒に登校したいのだけど、今はまだできないだろう。


 先ほど、噂話を笑い話に変えていたが、噂されるのは、良い意味でも、悪い意味でも、気持ち的にしんどい。忙しい身の有希にこれ以上噂されるのも負荷がかかってしまう。


 ここは彼女のことを思って、一緒に登校したい気持ちを我慢しなければならないだろう。


「この時間でも正門って開いているんだな」


 自分の気持ちを隠すように、どうでも良い話題を放り投げると、彼女はちゃんと受け取って返してくれる。


「そうですね。6時には開いていますよ」

「早いなぁ」

「ふふ。今の私達が言うと、嫌味に聞こえてしまいますね」

「確かに」


 そんな会話をしながら、昇降口で上履きに履き替えて階段を歩いて行く。


 早朝の学校。暗がりの校舎内。廊下に響く俺と有希の足音。校内に2人っきりのシュチュエーションは、この上なく極上に感じる。


「あの、晃くん。良かったら生徒会室で時間を潰しませんか?」

「え? 良いのか?」


 素直に頷きたいが、「でも」とまごまごした口調で聞いてしまう。


「生徒会があるんだろ?」

「確かに。生徒会があるのですが、今日は私が自主的に仕事をしようと思っただけですので、誰も来ませんよ」

「そうなの?」

「はい。ですから、周りのことは気にしなくても大丈夫です」


 だったら答えは決まっている。


「それじゃ、お邪魔しようかな」


 この時間に1人教室で過ごすなら、美人生徒会長と朝を過ごした方が良いに決まってる。







 来慣れてきた生徒会室の室内は特に変わり映えはない。


 生徒会長の席があって、他の役員の席があって、客用のソファーがあったりする。


 生徒会室に入ると、大きな窓から見える空模様が変わって見えた。


「晃くん。見てください。夜明け前の瑠璃色の空ですよ」

「おお」


 空の黒が青っぽい色へと変化していた。三日月も星もその瑠璃色の空に飲み込まれてしまったかのように見えなくなってしまったが、目の前の空はとても美しく、地球という惑星に生まれ落ちたのを実感できるような壮大な空模様である。


「綺麗ですね」

「ああ……。ふぁぁぁあぁぁ」


 綺麗で神秘的な光景を目の当たりにしているのに、寝不足がたたって大きな欠伸が出てしまった。


「もう……。せっかくの景色なのに、風情もありませんね」

「あはは。ごめん」


 素直に謝ると、有希はソファーに腰掛けてこちらを見る。


「少し眠りますか?」


 トントンと優しく自分の膝を叩いて誘ってくる。


「膝枕、してもらっていいの?」

「このままではご主人様が授業中に眠ってしまいそうですからね。授業をちゃんと受けてもらうのも専属メイドとしての役割ですので」


 何を言われても、膝枕をしてもらえるという事実に変わりはないみたいなので、俺は素直に彼女の隣に腰を下ろした。


「えと……。お邪魔します……」

「はい。どうぞ」


 許可を得たので、俺は以前同様に頭を有希の膝に預ける。


 前と同じ、気持ちの良い膝枕。俺の頭にフィットして、秒で眠りに陥りそうになる。


「生徒会の仕事、大丈夫?」


 まだ意識のあるうちに気になることを聞く。そもそも、今日朝早いのは生徒会の仕事をするためなのに、膝枕で俺が寝てしまったら邪魔になるだろう。


「大丈夫ですよ」


 有希は優しく答えながら俺の頭を撫でてくれる。


「ご主人様はメイドのことなど気にせず、膝枕を堪能してください」

「……うん……」


 有希の可愛い声が、眠たい俺の脳に癒しを与え、睡眠を促進してくる。


「ふふ。ご主人様の髪。固くて、ゴワゴワ」

「……悪かった、な」

「いえ。嫌いじゃないですよ。この髪」

「……そう、か……」


 こちらの眠たそうな声が彼女にも映ったのか、「ふぁぁ」と小さな欠伸をしていた。


「あ、あはは……」


 欠伸をしているのがバレて、小さく照れ笑ってみせる有希は、俺の髪を撫でながら教えてくれる。


「実は、私も昨夜は眠れなかったんです」

「……な、んで?」

「色々ありまして」

「色々か……」

「はい。色々です」


 俺の真似でもしているのだろうか。同じ解答であった。

 しかしながら、俺とは違い、彼女はちゃんと内容を教えてくれる。


「昨日、店長にちょっぴり怒られてしまいました」

「……え? なんで?」

「『お店で1人のご主人様を贔屓にするのはダメですよ。やるなら部屋でやりなさい』と言われてしまいまして……。そりゃ、あんなおまじないをしたら怒られてしまいますよね。昨日の私は暴走気味でした」

「……それって……?」

「それで、思い返すと、色々と、恥ずかしくなって、私、何しちゃってんだろって、思ってたら眠れなくて……ですね……」


 有希の手が止まり、声がトロンと溶けそうになっていた。


「だから、考えたのですが……。あのおまじないは、晃くんと、2人っきり、の時だけ、やることに……しましゅ……」

「そりゃ、名案……だ……」


 もう、お互いにほとんど頭の回ってない会話をして、俺はそのまま有希の膝に沈んでいくように眠りについたのであった。

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