第56話 ただのご褒美

 家に帰り、風呂に入って、歯を磨いて、ベッドに仰向けになってスマホを見る。時間を見て見ると、22:43だった。


 晩御飯を中途半端な時間に食べたのにも関わらず、あまりお腹が空いていない。いつもなら絶対腹を空かせてコンビニに走っている所だが、今日はその限りではなかった。


「ピヨピヨ明太パスタ……。どんな味だっけ……?」


 正直、パスタの味を覚えていない。量もおぼろげである。


 多分、普段の俺なら足りない量のパスタだと思われるのだが、おまじないが効いているのか、少ない量でお腹がいっぱいであった。


「いや、お腹がいっぱいといよりは、胸いっぱいというか……」


 思い返してみると、それはそれは萌える展開だったと思う。


 好きなメイドと手を恋人繋ぎしておまじないを唱えるなんて、さっきの時間はなんとも幸せな時間であった。幸せな時間だったのにも関わらず、おまじないの後の記憶が曖昧だ。なぜなら、その後もゆきちのことしか考えられなくなったから。


 だってそうだろ。好きな人が、顔を近づけてくれて、手を繋いでくれるんだぞ。これほどまで幸福な時間は早々ないだろう。


 今も、さっきの有希のことをグルグルと考えてしまっており、スマホを触っているというよりは、ボーっとホーム画面を見ているだけだった。


「あーあ……。有希に会いたいなぁ」


 ボソッと呟いた声に、恥ずかしくなって悶絶してしまう。


 俺は一体、無意識になにを言っているのだろうか。こんなもん、本人の前で言った日にはドン引きされてしまうぞ。


 いや、でも、会いたいのは本当なわけで。ええっとだな……。


 誰に言い訳するでもなく、俺はスマホを適当に放って、布団を抱き枕代わりにして、ベッドで右往左往する。


 1人、ベッドで悶絶していると、スマホが軽く震えた。震え方から誰かからのメッセージだ。どうせ広告メールか、正吾あたりだろう。


 正吾なら、今は余裕で無視をかまして、後で返信しようと思っているが違った。ここ最近、俺の勘はよく外れる。


「有希……」


 LOINを送ってきたのは有希であった。


 今、まさに彼女を思い、悶絶しているところに有希からのLOINは腹踊りをベランダでできるくらいに嬉しい出来事であった。まぁ、そんなことはしないがね。


 LOINを開いて、彼女からのメッセージを見る。


『今から行きます』

「へ……?」


 間抜けな声と共に玄関から、カチャっと鍵が開く音がした。


 ガチャンと扉が開閉したかと思うと、スタスタと足音が聞こえて来て、部屋への扉が開かれる。


「晃くん」


 呼びながら入ってくる有希は制服姿であった。


 対してこちらは寝間着代わりのジャージー。


 俺の姿を見て、有希は申し訳なさそうにした。


「あ……。突然すみません。もうおやすみになられておりましたか?」

「いやいや。まだだよ」


 22時代はまだまだゴールデンタイム。高校生が寝るには早い時間だ。


 ベッドから体を起こして、ベッドを椅子代わりに座って彼女を見る。


「どうかしたのか?」


 これが恋人なら、「丁度会いたいって思ってた」なんて素直に言えるけど、まだ恋仲になってもいない男子からそんなことを言われても気持ち悪いだろうし、なによりも困るだろう。そこまでの勇気を持ち合わせていない自分に少し後悔をしながらも、仕事終わりの彼女の次のセリフを待つ。


「い、いえ……。別に、大した用事ではないのですが……」


 彼女には珍しく、言いにくそうな雰囲気で、もじもじとしている。


 かと思ったら、意を決したような表情でこちらに問いかけてくる。


「こ、晃くんは、そ、その……。大人の女性が、タイプ、なんですか?」

「へ?」


 2度目の間抜けな声は、大平有希へと向かって放たれてしまった。


 しかし、突然好きな人が押しかけて来たかと思ったら、大人の女性が好きかと尋ねられれば、こんな声も出てしまう。


「で、ですから、そ、その……大人の包容力があるような、年上の女性が、タイプなのですか?」


 こちらが聞き取れていないと勘違いして、今度は違う言い回しで俺が大人の女性がタイプかと聞かれてしまう。


 そのまま指を差して、「お前が好き」なんて言えたら相当の勇者だろう。しかし、今は勇者を演じる空気ではないし、この空気で、相手が有希ならば冗談と処理されて評価が下がってしまうおそれがある。


 ここは素直に答えるとしよう。


「い、いや、大人の女性とか、年上が好みとか、はないよ?」

「本当ですか?」


 答えたのに疑われてしまう。


 彼女は、わざとらしく俺の顔を覗き込み、まるで事情聴取をする刑事のように尋問のような質問を続けた。


「店長と喋っていた時の晃くん。デレデレしてました」

「で、デレデレしてないわ」


 嘘である。


 年上が好みじゃないとか、大人の女性は好きではない、なんて人もいると思うが、実際、大人のお姉さんと接した場合、大人のお姉さんというジョブだけで男性の8割は惚れるだろう。ソースは俺。


「店長が、ドリンクを運んだ後の雑談もニヤニヤしていましたし、店長が晃くんの頬を触った時もニヤニヤしてました」

「してないっての」


 めるんさんの女性フェロモンにあてられて、男性フェロモンは疼いていたが……。いや、疼いたからこそニヤついてしまったのか。恐るべし、めるんさんだな。


「してましたよ。店長ばっかり見て」

「いや、あれは着替えを見せないためだろ?」

「晃くんなら、私の着替えくらいいくらでも見て良いです!」

「え!? 良いの!?」


 ときめきというよりは、初めてエロスに触れた小学生みたいな興奮状態が俺を襲う。


 自分の発言をよくよく思い返した有希は、その場で顔を赤くしており、顔にやかんを置くと沸騰するのではないかというくらい、真紅に染まっていた。


「み、見ても良いけど、その時は記憶を消してもらいます」

「めちゃくちゃだな。おい」

「とにかく!」


 ビシッと指を差してくる。


「こ、ここ、晃くんが大人の女性がタイプではないというのなら、テストです!」

「テスト?」


 一体、なにが行われるのだろうか。テストとはなんだ?


 若干の困惑状態の中、有希は遠慮がちに俺の隣に座る。


 軽くだけマットレスが上下に揺れた。


 その上下運動を感じている暇もなく、有希は両手を俺の頬に置いた。彼女の冷えた手の感触が頬から伝ってくる。

 そして、自分の顔を向くように力を入れる。


「今は私だけを見て」


 トクンと強く心臓が跳ねた。


 めるんさんがやったのと、同じ行動、同じセリフ。


 それを好きな人にやられて、もう彼女しか見えない。


「……」

「……」


 目と目がばっちりと合う沈黙の時間。


 綺麗な瞳。まつ毛長い。整った筋の通った鼻。やわらかそうな唇。今にもキスする2秒前といった距離。


 至近距離なのに美少女が過ぎて、やっぱりこいつは妖精なのではないかと本気で思ってしまう。


「あ、あの……晃くん。そんなに見つめられると恥ずかしい、です」

「この状況を作り出した奴がなにを言ってるんだよ」

「や……。そうなんですけど、そうじゃないというか……。というか、晃くんは、どうして、平気そうな顔をしているんですか?」

「平気そうな顔に見えるのか?」

「わ、わかんないです。なんだか、よくわからないです」

「俺も……」


 ただ、わかるのは、俺は好きな人と至近距離で見つめ合っているという事実だけだ。


「えと、ええっと……」


 仕掛けてきた有希が、顔を真っ赤にしてパニックになり、そのまま手を離すと立ち上がる。


「て、テストは合格です。はい」

「今ので何を得たんだ?」

「得たのです。なにかを得たのです。はい。ええ」


 具体的なことは言わずに、有希はそのままスタスタと部屋を出て行ってしまった。律儀に部屋の扉を閉めたかと思うと、すぐに扉が開いて、顔だけを、ひょっこりと出す。


「あ、明日も生徒会で朝が早いですが、明日は朝来ます。それはそれは早朝に来ますので、覚悟してください!」

「ええ!?」

「あなたに拒否権はありませんので! でゅわ!」


 最後、若干だけ噛んでから今度こそ部屋を出て行った。


 玄関の鍵が閉まる音がこちらまで聞こえるのを耳で確認すると、そのままベッドに倒れ込む。


「なんだったんだ……。今の……」


 ただのご褒美じゃねーかよ……。

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