第52話 メイド服を届けて欲しいらしい

 ポケットに入れていたスマホが震えているのに気がついたのは、ちょうど玄関のドアを開けた時だった。


 放課後になり、正吾とちょっと駄弁ってから家に帰って来た今日は、有希が来れない日なので、夕飯をどうしようか考えているところでの着信。


 早く出ろよ、と急かすように震えているスマホを手に取り、画面を見てみる。


「有希……?」


 着信の相手は有希であった。


 片思い中の女子から電話がかかってくるなんて、全国1万人の片思い男子を敵に回すようなイベント。心躍るようなことが今まさに起こっているのだが、この時は、どちらかというと困惑の方が強かった。


 今日の放課後はメイド喫茶でバイトのはずだし、もしかしたら間違い電話ではなかろうか。


 そんな疑問を抱きつつ、通話ボタンをタップした。


「もしもし」

『もしもし。有希です。晃くんですよね?』

「あ、う、うん」


 お互い連絡先を登録しるはずなのに、性格なのか、有希はわざわざ名前を名乗り、こちらにも確認をしてくる。


 そりゃ初めての電話だし、多少は心配になるか。


『突然申し訳ありません。今、お時間大丈夫でしょうか?』

「大丈夫、です」


 1年生の頃、道徳の時間に見せられた、社会人電話マナー講座をそのまま抜き取ったかのような口調に、こちらもなんとなしに丁寧な言葉使いを意識してしまう。


『単刀直入と言うと、私の部屋にあるメイド服を持って来て欲しいのです』

「俺はおかんか」


 単刀直入が、弁当を忘れたから学校に持って来てのノリだったので、ついついそんな返しをしてしまう。


『おかん……。ぷぷ。晃くんは、どちらかというと、おとんでは?』

「どっちでも良いけど……。てか、なんでメイド服がいるんだよ」


 変なところで軽くツボった有希は放っておいて、事情を説明してもらう。


『あ、はい。実は……。バイト先の制服が全て汚れてしまいまして……。店の予備も丁度クリーニングに出しており、このままではホールに出られないんです。今日は私、キッチンも担当しておりますので、取りに帰るのもできずでして……』

「なるほど」


 要は、店を離れられないから制服を持って来いっていう意味か。


 別に制服くらい持って行くし、一応、有希の部屋の鍵も預かっているので入れるには入れるが。


「良いのか? 有希の部屋に勝手に入って」

『もちろんです。こちらがお願いしている身ですので』

「そんなに信用して良いのかね……」


 鍵を預かったのも、こちらの鍵を渡す代わりなのと、緊急時用にとのことだったと思うが。


 まぁ、今の状況も、緊急時といえば緊急時か。


『前にも言いましたけど、私はあなたを信用しております。ですので、下着も、最終的に返してくれたらなんの問題もありませんよ?』


 え、それって、下着持って帰って良いの?


『あ、あの……。冗談ですよ?』

「え?」

『え?』

「あ、ああ。うん。そりゃな」

『もしかして、本当に下着を?』

「ん、んなわけないだろうがっ」

『ふぅん……』


 有希がジト目なのが電話越しでわかった。


「とにかく、制服持って行くから。店の住所送っといて」

『ありがとうございます。助かります』


 そう言って電話を切った。


 スマホをポケットに入れて、玄関の下駄箱の上に置いてあるキーフックより、有希の部屋の鍵を手に取る。


 そして、先程開けたばかりの玄関をもう1度開けて廊下に出る。


 いつもの足ならそのままエレベーターなのだが、今回は逆走をする。


 ものすごく違和感のある行動。たかだが数歩の距離なのに、なんだか知らない廊下を歩いている気分になる。


 そんな違和感もすぐに消え失せる。


 有希の部屋を開けた瞬間に、とんでもなく良い匂いがした。気がした。


 男子を惑わすような、女性フェロモンの匂い。この部屋の玄関を嗅いだだけで、恐ろしいほどの美女が住んでいるか想像できる。というか、とんでもない美少女が住んでいると認知しているから、余計に良い匂いが濃く感じる。


 以前、この部屋に入った時は意識していなかったが……。いや、俺が有希を好きだと意識し出したから良い匂いがすると思ってしまうのだろう。


 良い匂い過ぎて足が動かない。


「くっ……ぉぉ!」


 良い匂いの見えない力をなんとか跳ね除け、足を動かして、美少女の巣窟へと潜り込む。


 間取りは俺と同じ。以前入った時となんら変わらない部屋模様。女の子の部屋にしては殺風景な部屋な気がするが、その実、そこは楽園のような匂いがしている。


 あれ? 好きな人の部屋の匂いって、こんなに良い匂いするの?


 クラクラと、ほろ酔い気分とはこんな感じなのかと未成年ながらに想像しながら、ほろ酔いのくせに千鳥足でなんとかクローゼットを開ける。


「ぐぉぉ!」


 開けた瞬間。良い匂いの風が俺を包み込む。それは例えるなら、泡盛を頭からかけられたかのようなアルコール摂取量。こんなもん、有希臭依存症になってしまう。


 阿呆なことを考えながら、目的のメイド服を手に取る。


 いつも有希が着ているミニスカメイド服。


 見れば見るほど、可愛くもセクシーな衣装だな。これで俺の世話をしてくれてるって思うと、とんでもなく、とんでもない気持ちになる。もう、ビッグバンで宇宙が誕生したかのような気持ちがなぜか生まれた。なので、宇宙誕生おめでとうと祝っておこう。


 目的のブツを手に入れて、このままでは良い意味で俺はダメになってしまいそうになるので、早く撤退をしたいのだが。


 視線を落としたのがダメだった。


 その先に見えるプラスチックの引き出し、そこには有希のメロンと桃を包む布のセットがある。


『下着も、最終的に返してくれたらなんの問題もありませんよ?』


 有希の言葉が蘇ると、脳内に天使と悪魔が出てくるのがわかった。


『おいおい。有希はそう言ったんだし、持って帰っておかずにしようぜ。んでよぉ? 俺様の匂いを付けて返却したら、それはそれで萌えねぇか?』


 超興奮する。


『なにをバカなこと言ってるの悪魔。だめだよ、そんなことしちゃ。紳士の風上にも置けない』


 天使が言い出した。


『ちゃんと洗濯して返せば証拠は残らない。それだけで僕は気持ちが良いし、有希も気持ちが良い。知らぬが仏。結果紳士ならそれで良し』

『うわぁ……。えぇ……』


 俺の中の天使は天使ではなかった。悪魔が引いていた。


 俺は、天使のこすい考えに萎えて、そっとクローゼットを閉め、有希のバイト先へと出向いた。

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