第40話 私はあなたの専属メイドですので

 屋上のフェンスの金網を自然と掴んで有希へ自分の過去を語る。


「──小学生の頃から野球始めてさ、俺はずっとエースピッチャーだったんだよ」


「はい」


「誰もが認めるエース。それは中学に上がっても変わらなくてさ、ずっと周りからチヤホヤされてた。芳樹と正吾は特に俺を尊敬の眼差しで見てくれてた」


「はい」


「もちろん、それで天狗になったつもりはない。その逆で、みんなの期待に応えられるように毎日必死に練習してた」


 語ると、昔の練習している自分を思い出してしまい、ついつい屋上のフェンスの金網を掴む手に力が入った。


「その光景をみんな知ってたからさ、本音ではどうかはわからないけど、周りのみんなも認めてくれたと思う」


「はい」


「必死の練習が実って、俺と芳樹はアンダー15の日本代表に選ばれた」


「はい」


「正吾は残念ながら選ばれなかったけど、俺達を心から祝福してくれて、世界へ送り出してくれた」


「はい」


「でもアメリカに負けてしまった」


 ポツリと言って、続けて話す。


「アメリカに負けて悔しくて、悔しくて、悔しくて吐きそうだったけどさ、世界と戦えた経験は俺と芳樹には十分すぎる経験になったし、今、芳樹がいる高校から即スカウトが来た。この悔しくも、世界で戦った経験を活かして、高校野球の記録を全部塗り替えてやろうと思えるくらい自信があった。いや、確信があったんだ。俺なら高校野球の歴史を変えられる。高校野球の歴史を変えて、華々しくプロの世界でデビューする。そして、プロ野球界でも歴史を変えてやる」


 でも、と俺は自分の右肩をおさえる。


「神様は残酷だよな。中学の最後の試合で右肩やっちまってさ。オーバーユース症候群、使い過ぎが原因で手術が必要。最悪右肩は使えないかもしれないって言われてさ。みんなの期待に応えようと必死に練習してた結果がこれかよって……」


 こちらの事情に、彼女は相槌をうつのも忘れて俺をなんとも言えない表情で見守ってくれる。


「手術は成功したんだ。肩も治るって言われた。野球もできるって言われた。でも、リハビリと合わせて1年以上が必要って言われてさ」


 思い出すと、乾いた笑いが不自然に出てしまう。


「故障者は名門校にいらない。遠回しに言われたよ。俺もこんな肩で無理に入っても名門校に泥を塗るだけだろうから自主的に断ることにした」


「はい……」


「あっけないもんだよ。世界とまで戦ったのに、その経験もたった1つの故障で全部パァになってさ」


「はい」


「そっからまぁ野球しても仕方ないと思って。1年以上って、俺達学生には長過ぎる期間だ。その数字が俺には永遠にも思えた。だから野球をやめた。やめた時、俺の人生ってなんなんだろうと思って。ずっと野球しかしてなったから友達の作り方はおろか、なにをして生活をして良いかもわからないレベルでさ。死んだ方がマシなんじゃ、って思って」


 コクコクと彼女は小さく頷いてくれる。


「その時、ずっと支えてくれたのは両親と正吾だ。正吾はずっと俺の側にいて笑わせてくれた。正吾は俺が野球辞めるなら辞めるって言って、本当に野球辞めてずっと一緒にいてくれたんだ。『自分は晃や芳樹ほど才能ないから応援する側に回るって決めてた』とか嘘吐いてさ。嘘下手なくせしてバレバレの嘘つきやがってと思ったけど、それが俺にはめちゃくちゃありがたかったし、正吾のために生きようと思った」


「はい」


「両親も、野球しかしてこなかったこの町にいると色々と辛いかもしれないから、高校生になったらちょっと離れたところで1人暮らしをしてみなさいって言ってくれてさ。元々、晃は高校生になったら寮に入ると思ってたから気にしないでって言ってくれて」


「そう、だったんですね」


「俺は両親と正吾のおかげで、普通の男子高校生にはなれた」


 本当に支えてくれた両親と正吾には感謝してもしきれない。言葉では言い表せれない感謝しかない。


「芳樹もさ……。かなり気を使ってくれてたんだ。でも、あいつには才能があるから。世界で戦った経験があるから、だからそのまま野球の強い高校へ進めって俺と正吾は伝えた」


「はい」


「俺と正吾のことはかなり気がかりだったと思う。あいつはめちゃくちゃ優しい男だからさ。なんなら自己犠牲も惜しまない良い奴なんだよ。良い奴なんだ……」


「はい」


「今日、久しぶりに会った時も変わらず良い奴でさ。昔と変わらない良い奴で……」


 ガシャンとフェンスに乱暴にもたれかかった。そして月を見上げた。


「あいつは変わらなくても世間の評価が変わった。あいつは甲子園のスターになった。もう手の届かない月みたいな存在になった」


 なのに、なのに……。


「ずっと良い奴なんだよ。演じてる訳じゃなくて心の底から良い奴で……。いっそ芳樹が悪い奴ならさ」


 泣きそうになりながらなんとか言ってのける。


「芳樹が活躍してるのを嫉妬して声に出してさ、『本当なら俺の方が活躍してた』って、『俺の方がチヤホヤされてた』って、俺の方が、俺の方が、って言えるんだけどな。でも、あいつ、良い奴だからそんなこと思いたくないのに、俺の性格……悪いから……。心のどっかで……。あいつの活躍に嫉妬して、そんなこと思っちゃって……。思いたくないのに……。純粋に、今まで通り……で、いたい、のに……」


 そこで我慢できずに涙が出てしまう。


「正吾にも言えなくて……。正吾は、俺のためにずっと側にいてくれるけど、芳樹とも親友だし……。だから言えなくて……。誰にも言えなくて……。もう、頭ん中、わけわかんなくなってきて……」


 ギュッと柔らかいなにかが俺を包んだ。


 一瞬わからなかったが、それは有希が俺を優しく抱きしめてくれていることだとわかった。


「誰にも言えない嫉妬。誰にも相談できない嫉妬。悔しかったですね。辛かったですね。相手は今も変わらず接してくれる。心から親友だと思ってくれているからこそ辛いですよね。晃くんは今まで耐えました。耐え続けました」


 でも。


 小さくいうと、有希は俺の顔を見つめて、聖母のような優しく悟った顔をしてくれた。


「もう我慢せず私に甘えて良いんです。だって私はあなたの専属メイドですから」

「有希……」


 彼女の優しい言葉で俺の涙のダムが崩壊したように、一気に瞳から涙が溢れ出した。それを受け止めるように有希は月明かりの下で泣き止むまで俺を抱いてくれていた。


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