第39話 月には届かない

 中学までずっと一緒に過ごしていた3人での初めての文化祭。


 あの頃みたいにはしゃいで回る出店。


 正吾がまたバカみたいに食べるのを俺がツッコミを入れて、芳樹が見守るように笑う。


 食べすぎでトイレに駆け込んで芳樹と2人の時も、昔話に花を咲かせ、長いトイレから帰って来た正吾も、途中参加なのになんの話しをしていたかすぐにわかって、3人で大笑い。周りの目なんて気にせず、腹を抱えて、ケタケタと笑う。


 ゲーム系の出店でもやっぱり正吾がボケてくるもんだから、俺がツッコミを入れて、やっぱり芳樹は笑って見守る。時折、厳しい毒も吐くけど、基本はそんな感じ。


 中学時代に戻ったかのような時間。


 そんな陽だまりのような時間、だと思っていたけど……。


「あの、甲子園出てた人、ですよね?」


 グラウンドでサッカー部の催しがあるということで足を運んだ時、帽子を被った小学生くらいの子がこちらに駆け寄ってくる。


 芳樹は少年の身長まで屈んで、いつもの爽やかな笑顔を見せた。


「もしかして、僕のこと見てくれた?」

「うん! 7番サードのいっぱいヒット打ってた人!」

「おお。嬉しい。知ってくれてたんだ」

「あのね。あのね。僕も甲子園目指して野球してるんだ」

「そっか。良いぞぉ。甲子園は。めちゃくちゃ良かった」

「良いなぁ。僕も行きたいなぁ」


 芳樹は帽子越しに少年の頭を撫でた。


「今からいっぱい練習すれば行けるさ。僕でさえ行けたんだから」

「ほんと!?」

「ああ!」


 そんな高校球児と野球少年の会話を少し離れたところから観察する。


「本当にすげーな芳樹の奴。アマチュアなのに沢山の人に声をかけられて」

「だな」


 正吾の感心する声に、俺は簡単に答えて2人を見つめる。


「でも、まさか芳樹が名門校で甲子園に出るとは思わなかったな」

「だな」


 芳樹は俺達2人と比べて身長も低ければ、ガリガリで、気弱な性格だった。それが中学2年辺りから一気に成長し、今や超高校級の肉体を手に入れている。


 昔の自分を思い返して野球少年に、『僕でさえ行けたんだ』と言ったのだろう。あれは謙遜ではなく、本当に弱い自分が練習で鍛え抜かれて強くなったと本気で野球少年に伝えているんだ。


 ポンと、唐突に正吾が俺の左肩に手を置く。


「もう、切り替えはできているんだろ?」


 正吾には珍しく、なんとも兄貴肌的な感じで言ってくるもんだから、少しだけ吹き出してしまう。


「ああ。正吾もだろ?」

「俺は入学前から切り替えてるさ。でもよ、俺はお前が本当に心配で……。肩が潰れた時は本当に死ぬんじゃないかって思ったよ」

「あの頃は……もしかしたらそうなったかもしれないな」

「でも、この時期に芳樹と会うってことは、もう切り替えれたってことだろ?」

「ああ。流石に1年の頃はな……。芳樹だってどう接して良いかわからなかっただろうし。でも、流石に2年経てば気持ちも切り替えれるさ。父さんも母さんも気を使ってくれたしな」

「良かった。なら、これからも俺達が芳樹の第一号、二号ファンとして支えていこうぜ。今の俺達にはそれしかねぇよ」

「──ああ……」







 1日中文化祭を3人で過ごした。途中、クラスメイトから連絡が来たが、明日1日店番するから許して欲しいというと、快く了承してくれた。クラスメイト達も優しい。正吾も優しい。そして、芳樹も変わらずに優しい。


 門限があるからと結構早い段階で帰って行った芳樹は、泣きそうになりながら帰って行った。楽しかったのだろう。楽しんでくれたのだろう。その思いが彼の瞳から溢れ出ていた。


 だけど、俺は泣くほどまでの気持ちにはどうしてもなれなかった。


 仲の良かった親友と久しぶりに再会を果たし、祭りを心ゆくまで楽しんで、またいつ会えるかわからない別れ。芳樹も正吾も涙目だったけど、俺は全然涙のなの字すらないくらいに枯れてしまっていた。もしかしたら人間の心を持っていないんじゃないかと思えるほどだ。


 芳樹と別れ、陽は段々と沈んで行った。日の入りが早くなっている11月の太陽は、夏だとまだまだ明るい時間だろうに、もう空は暗くなってきている。


 薄暗くなってきて、廊下の蛍光灯の明るさが目立ってきている廊下をボーっと1人で歩く。


 さっきまで3人ではしゃいで歩いていた廊下。今は何処の誰かもわからない人達がはしゃいで歩いている。それとすれ違うと先程の俺達を見ているようだった。


「いや、違うか……」


 あの3人は心の底から楽しんでいる。そう見える。だけど俺は? 俺は3人で文化祭を回っている時、本当に楽しかったのか? 疑問が生じる。


 頭の中で、変なことをグルグルと考え込んでいると、どこからか俺の頬を冷たい風がなぞった。


 風を感じた方を見てみると、屋上へ続く階段の方から風が来ていたみたいだ。


 その階段を上っても、出店なんかやってないのに、なんだか妙に気になって階段を上がる。コンコンコンと俺の上履きの音が響く。他は騒がしく盛り上がっているのに、ここだけなんだか別世界みたいに静寂だ。


 コンコンコンとリズム良く上がって行くと、踊り場に出る。その先の屋上へのドアが開いていた。校内は負圧になっているからか、屋上からの風が階段を伝って俺のところまで来たってところか。


 屋上は基本的に立ち入り禁止。立ち入ろうにも鍵がかかっているので入ることはできない。そんな屋上への扉が開いており、好奇心から俺は躊躇なく屋上へ足を踏み入れた。


「うはぁ。すごい風」


 太陽は沈み、月が近い。


 手を伸ばせば届きそうなくらいに近かった。


「でも、届かない」


 月に手を伸ばしても届かない。そりゃそうだ。誰だってわかる。


 届きそうなのに届かない月はまるで俺と芳樹みたいな関係だと思ってしまう。


 簡単ではないが、連絡を取って会うことは可能だ。でも、俺と芳樹とじゃ全然違ってしまった。片や甲子園のスター。片や普通の男子高校生。


「もう芳樹には手を伸ばしても届かない遠い月みたいな存在になっちまったな」

「屋上は立ち入り禁止ですよ」


 感傷に浸っていると、もうすっかりと聞き慣れた可愛い声が聞こえてくる。


 声だけで誰かわかったが、屋上の扉があった塔屋の方を見てみると、月明りに照らされた銀髪がキラキラと光っている妖精のような美少女が、風に靡く髪をかきわけてこちらにやって来た。


「見回りの生徒会長に見つかっちまったな」


 腕の腕章に生徒会と記されたのは見回りの証。彼女は今までずっと見回りをしていたのだろうか。


「どうやって入ったのです?」

「開いてたんだよ」

「開いてた……?」


 はぁ……とため息をこぼす。


「屋上から文化祭用の垂れ幕を下ろした後に施錠を忘れたといったところですか。これは生徒会の失態ですね」


 どうやら屋上の施錠は生徒会の仕事だったみたいだ。なので、彼女はこれ以上俺を詰めようとはしてこない様子であった。


「それにしたって、晃くん。こんなところで1人でなにをしているのです?」

「うーん……。まぁアンニュイな気分に浸っていたかったのかな」

「アンニュイな気分って……。今日は久しい友人と楽しんだのでしょう」

「ああ。楽しかったよ。それはそれは楽しい時間だった」

「だったら、なぜそんな辛そうな顔をしているのですか?」


 彼女に言われて、つい手を顔に持って行く。


「俺、そんな顔してる?」

「してます」


 断言されてしまう。


「野球道具を捨てて欲しいと言った時と同じ。そして、文化祭前日、ベランダで喋った時も同じ辛そうな顔をしていました」

「ベランダ、でも……?」


 そうか、だからか。だから有希は、『そのお友達とは仲良しですか?』と聞いてくれたんだな。辛い顔して会う友達なんて、友達とは言えないもんな。


「なにか辛いことがあったのですか?」


 優しく聞いてくれる有希は、聖母のような顔をして言ってくれる。


「今は生徒会長の大平有希ではなく、あなたの専属メイドの有希として話しを聞きます。どうぞ、好きなだけあなたの胸の内を曝け出してください」


 そんな優しい言葉を言われたら。


「あなたのことを教えてください」


 俺は、もう、彼女に語る以外の選択を選ぶことができないじゃないか。

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