第35話 文化祭前日はベランダで

 ピロン。


 風呂上り。バスタオルで乱雑に髪の毛を拭きながら自室に戻って来るとそんな音が聞こえてきた。どうやら、スマホのマナーモードをいつの間にかオフにしていたみたいだ。ポケットの中で出し入れするから、どこかのタイミングでマナーモードが解除になったのだろう。


 スマホを手に取り、マナーモードにしながらベッドに腰かける。


 音から察するにLOINだった。この時間に来るとしたら正吾くらいなものだ。


 スマホの画面を確認すると、予想は外れたというべきか、当たったというべきか。


 正吾がグループを作って招待をしてくれており、メッセージは芳樹からであった。


『明日だね。何時に行けば良いかな?』


 芳樹のメッセージを見て返事をしようとしたところで、先に正吾がメッセージを書き込んだ。


『晃。何時がベストだ?』


 正吾のことだ。俺達内部の人間はいつも通り登校すれば良いが、外部から来る人は何時から入れるか説明を聞いていなかっただろう。


 俺は先生の説明を思い出しながらスマホを……。スマホを……。


「何時だっけ……?」


 確かに、猫芝先生が、外部の人は○時からだから、呼ぶ人は教えてあげてくださいと言っていた。これは間違いない。でも、その○時の○部分がどうしても思い出せない。


「正吾のこと言えたもんじゃないな」


 自分に呆れながら、なんとか猫芝先生の言葉を思い出そうとする。立ち上がり、部屋の中をうろうろとしながら自分の脳の記憶を呼び起こそうとするが、オーバーヒートしてしまい、考えるのをやめた。


 しかし、何時かというのを教えてやらないと芳樹が困るな、と思い、一旦頭を冷やしにベランダに出た。


 11月の夜はすっかり冷たい風が吹いている。オーバーヒートした頭もすぐに冷却運転に切り替わった。逆に冷えすぎたのではなかろうが。しかし、頭を冷やしても猫芝先生の言葉は蘇ってこなかった。


 ふと、ベランダの薄い壁に書いてある、『非常時はここを破ってください』という字が目に入った。隣は大平有希の部屋。あいつなら外部の人間が何時から入れるのか知っているだろう。今は俺的に非常事態だから、ここを破って有希に何時か聞く?


 流石にそこまでバカじゃない。というか、普通に玄関から出て、彼女の家をお宅訪問すれば良い話だ。ここを破ったら笑い話じゃ済まないだろうよ。


「おおい。有希ちゅぅあぁぁん。いたら返事してくれぇ」


 人間というのはなんとも怠惰なもので、歩いて秒で着くにも関わらず、ワンチャン、ベランダから呼べば出てくれるかもしれないという可能性にかけてしまう。


 そんな都合良くいくはずもないから、変な声で、変な呼び方をしたわけだが……。


「夜に変な声で変な呼び方しないでくさい!」

「うぉ!」


 薄い壁から軽く頭を出して、こちらを可愛く睨みつけてくる銀髪美少女が現れたものだから、びっくりしてしまう。


「な、なにしてんだよ」

「洗濯物回収ですけど」


 あ、まぁ、普通な理由だね。


「というか、なにしてんだよはこっちのセリフですけど。なんですか? 今の変な声で変な呼び方して。恥ずかしいじゃないですか」

「それは本当にごめん」


 謝りながら、こちらも彼女と同じ格好を取る。


「なにか御用ですか?」

「あ、いや、明日の文化祭なんだけど……」

「文化祭?」


 もしかして、と彼女はジト目で俺を見てくる。


「あなたも私を誘いたい、とか?」


 なんとも微妙な声を出して来るので、苦笑いが出てしまう。それというのも、今日の昼間のこと。大平有希の下へ大量の男子が現れていたからだ。それら全員が、「一緒に文化祭を回ってください」という申し出だった。大平有希は容赦なく、「ごめんなさい」と全員を切り捨てていたな。生徒会が忙しいと予想できるだろうに。


「あれは大変だったな」


 笑って言ってやると、少し怒ったような表情をする。


「他人事だと思って。笑いごとではありませんよ。断る方も精神削られるのですから」

「そうだよなぁ。断るのもしんどいよなぁ。それに有希なんて文化祭当日は生徒会で忙しいってわかってるのに誘うんだもんな」

「そ、そうですよ。生徒会は見回りとかで忙しいんです」


 言いながら、軽く髪の毛をいじりながら小さく呟く。


「で、でも、ちょっとくらいなら? 時間あるんですけどね……」

「誰かと回るのか?」


 聞くと、ちょっと拗ねた顔をして間をあけて言ってくる。


「別に、予定はありませんけどね」

「そっか。有希に時間があるなら、日頃の感謝も込めて奢りたかったけど」

「え……」


 自然と出た言葉に有希はちょっと嬉しそうな顔をしていた。


「中学の友達が来るからな。久しぶりに会うからそっち優先しないと」

「あー。そういえば言ってましたね」

「そうなんだよ。だから、日頃の感謝はまた別の機会ってことで」

「久しい友人を優先すべきですね。うん。はい」


 どこか自分で納得しようとしている有希は、改めてこちらに質問を投げてくる。


「話しが脱線してしまいましたね。明日の文化祭がどうしたのでしょうか?」

「あ、そうそう。外部の人って何時から入れるっけ? ってことを聞きたかったんだ」

「なるほど。お友達が来るから把握しないといけませんね。確か、10時からだったはずです」

「おお。流石は生徒会長様」


 予定をばっしり頭の中にインプットしておられる。


「御用はそれだけですか?」

「ああ。ありがとう」


 早速と芳樹に教えてあげないと、と思い、「んじゃ邪魔して悪かった」と言って部屋に戻ろうとすると。


「待ってください」

「ん?」


 唐突に呼び止められて、疑問の念が生じる。


 俺の顔をずっと見つめる有希は、なにか違和感を抱くような顔をしていた。


「そのお友達とは仲良しですか?」

「そりゃ、な」

「そうですか……だったらなんで……」


 ぶつぶつと呟くが、蚊が鳴くほどに小さな声だったので、彼女の声は11月の夜風に消えてこちらまでは届いてこなかった。


「あ、すみません。変な質問して。早くお友達にも教えてあげてくださいね」

「ああ。助かったよ。ありがとう」


 再度お礼を言って部屋の中に戻る。


 芳樹のメッセージに答えると、すぐに、『わかった。ありがとう』と返って来る。


 その返事にこちらからの返信はいらないと思い、スマホをベッドに放って、俺も捨てられるようにベッドに寝転がった。


「有希は……なにが言いたかったのだろう」


 最後の彼女は俺を見て、なにか違和感を抱いている様子だったが、なにを言いたかったのか、そこが少しシコリの残る案件であった。

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