第18話
祭りの喧騒が遠のき、夜の森に緊迫した空気が垂れ込める。
突如として現れたマリスに、亜美花と魔女たちは顔を強張らせた。
「マリス! もとの姿っていったいどういうことなの!? 不幸の蜜は私たちのために集めているんでしょ!?」
魔女が困惑した様子で、マリスに向かって叫ぶように問いかける。しかし、マリスはまるで冷静な態度で口を開いた。
「やだなぁ、そんなこと一度も言ってないよ。ぼくは不幸の蜜を集める手助けをすると言っただけさ」
「なっ……!」
マリスは醜悪な顔でせせら笑う。魔女は言葉にならない様子だ。顔が青ざめて、わなわなと体を震わせている。
「てめぇ、この野郎!」
「騙しやがったな!」
魔女のかたわらで、おばけが怒り声を上げる。しかし、マリスは余裕綽々な態度で彼らを見据えた。
「きみたちが勝手に勘違いしていただけだろう? ぼくは嘘なんて言っていないよ。まあ、本当のことも言っていないけどね」
マリスの言葉を聞いて、おばけたちは悔しそうに拳をにぎり込む。
会話から察するに、マリスは仲間である魔女たちにすら正体を隠していたらしい。
ただの使い魔だと思っていた亜美花は、途端に目の前の正体不明の猫が恐ろしく感じた。亜美花の額の横を、つーっと冷や汗が伝っていく。
「マリス。あなたは何者なの?」
亜美花は固い唾を飲み込んで問う。
マリスは待ってましたと言わんばかりに、片方の口端を上げた。
「よく聞いてくれたね。ぼくの正体は悪魔さ!」
「あ、悪魔っ!?」
「あぁ、それもとびっきり哀れなね。聞くも涙、語るも涙のお話だよ。もう十年は前のことさ。ぼくはある日、ちょっとしたいたずらをしたんだ。そうしたら天使様に怒られてしまってね。この不自由な体に押し込まれてしまったんだよ。この姿では魔法も全然使えないし、窮屈で最悪なんだ。だから、不幸の蜜を集めて元の体に戻ろうと思ったってわけ」
軽妙に語るマリスの姿に、その場の誰もが呆気に取られていた。
すると、どこからともなく低い声が聞こえた。
「ははっ、さすがマリス! 言うことが違うね!」
マリスの後ろから現れたのは、先ほど亜美花たちが見た黒い靄だ。黒い靄はしゅるしゅると動くと、ゆっくりと一点に集まり、最後は黒い烏の形をとった。
「ろうそくを倒して、幼い子ども二人を火事に巻き込むのはイタズラだってか!」
「――――――えっ、火事……?」
烏の言葉に、魔女は驚愕した様子で目を見開いた。
「おい、余計なこと言うなよ」
マリスは鬱陶しそうに烏を睨みつける。
「ま、まさか……。火事って二人が死んだ原因の……?」
魔女は放心状態で問う。マリスは面倒くさそうに長い溜息を吐いた。
「ったく、これだけは話すつもりなかったのになぁ」
返事のない肯定を聞き、魔女は憤怒の形相になる。
おばけたちは信じられないといった表情で固まっている。
「許さない! 人の命を何だと思ってるの!」
「おっと、誤解しないでくれ。あれはただの事故だったんだよ」
マリスは困ったように片方の口端を上げると、釈明するように右の前足を出した。
その軽い態度を見て、魔女はさらに声を荒げる。
「事故だったとしても、許されるはずがないでしょう! あんた、いったいどういうつもりで私たちのそばにいたのよ! 二人を殺しておいて、そのうえ自分の目的のために騙すなんて……っ!」
「だけど、ぼくの誘いに乗ったのは君たちの意志だ。仮に僕が悪人であろうと、君たちが犯した罪は消えないよ」
マリスの言葉に、魔女はハッとしたように動きを止める。マリスの言葉は、どこまでも正論だった。
「さて、真実を知ってしまった君たちはお役御免だ。君にあげた能力は返してもらおう」
「えっ!? きゃあ!」
マリスが手を上げると、魔女の体が白く光りはじめた。その光は、徐々にマリスの手のひらに吸収されていく。
すべての光が吸収されると、そこには長い黒髪を三つ編みにした少女が立っていた。
「あの人って……」
「つぐみちゃん!」
名前を呼ばれた黒髪の少女―――つぐみは、びくりと体を震わせる。
「それじゃあ、これは頂いて行くよ」
「あっ、待って!」
マリスは首輪につけた小瓶を前足で揺らした。中身は九割ほど溜まっている。
あと一度でもお菓子泥棒が成功すれば、溜まりきってしまうだろう。
つぐみが慌てて追いかけようとするも、マリスと烏は素早い動きで森の闇に溶けていった。
森に恐ろしいほどの静寂が舞い戻る。
「あの……」
亜美花が口を開くと、つぐみは身を翻して森を去って行った。
「ちょっと、つぐみ!」
「どこに行くんだよ!」
混乱した様子で彼女を追いかけるおばけたちを、亜美花たちは茫然と見送った。
「まさか、渋川さんが魔女だったなんて……」
ハッピーが、魔女はひだまり中学の人間じゃないかとは言っていた。
それでも、亜美花は信じられないという気持ちでいっぱいだった。いや、信じたくないといったほうが正しいのかもしれない。
いったい何が彼女をかきたてたのだろうか。
亜美花が棒立ちになっていると、光希がおずおずと口を開いた。
「ごめん、亜美花ちゃん! 僕、実はつぐみちゃんが魔女なんじゃないかって、うっすら気づいてたんだ。でも、もしかしたら考えすぎかもしれないって思って……」
「光希くん……」
亜美花は申し訳なさそうにうなだれる彼を見て、心が苦しくなった。
彼は同級生にいじめられている、つぐみのことを気にしていた。
先日、彼の家にシュークリームを届けに行ったことを思い出す。
あのとき、彼はつぐみに声をかけることが出来たとうれしそうに話してくれた。
人を信じることが出来ないと、彼女は言っていたらしい。
今のところ仲良くはなれていないが、いつか友だちになって彼女の力になりたいと、光希は語っていた。最後のほうに、何か話したそうな顔をしていたのは魔女のことだったのだろう。光希は責任のようなものを感じてしまっているのかもしれない。
「仕方ないですわよ、光希!」
「あぁ、とにかく俺たちが出来ることを考えよう!」
落ち込んだ様子の光希に、ハッピーと芯平が声をかける。
光希は泣きそうな顔だったが、悲しい気持ちを堪えるように下唇を噛みしめ、力強くうなずいた。
翌日。始業式を終えた亜美花は、千代とともに一年B組の教室に向かった。つぐみの所属するクラスである。
「それにしても、未だに信じられない。本当にこんな身近に犯人がいたなんて」
千代は驚きを隠せない様子で言った。
彼女と爽には昨日の夜に電話で事情を伝えてある。
―――とにかく一度、つぐみと会って話を聞こう。
そう思って、亜美花は千代を引き連れてB組にやってきた。教室内は、たくさんの生徒がおしゃべりに興じており、ざわざわとしている。しかし、見回してもつぐみの姿はない。
「ねえ、渋川さんってどこにいるか知ってる?」
近くにいた女子生徒に声をかけると、彼女は何の用だろうと言いたげに首を傾げた。
「あの子なら今日は来てないよ。風邪だってさ」
亜美花は嫌な予感がした。そして、それは的中することになる。
翌日も、その翌日もB組を訪れたが、つぐみは欠席だった。
「これじゃ話を聞けないよー!」
昼休み。裏庭で千代と爽と落ち合った亜美花は、頭を抱えて唸った。
「先生に家の場所を聞けばいいじゃありませんの」
「今はそういうの厳しいんだよ」
ハッピーの言葉に、千代は困った顔で答える。
祭りの日以降、お菓子泥棒は発生していない。そのため、つぐみはおろかおばけたちの居場所もわからない状態だ。
「はーあ、どうすっかなぁ!」
爽が溜息をついて頭をガシガシと掻いた、その時。
「あ、あの!」
木の陰から、聞き慣れた声がした。
三人が振り返ると、そこにはおばけたちがいた。
「お願いだ! 力を貸してくれ!」
懇願するような二匹の顔に、亜美花たちは顔を見合わせた。
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