第17話

「ごめん、亜美花! 私、夏祭りに行けなくなっちゃった!」

「えっ、千代ちゃんも!?」

 夏休み最終日の祭り当日。

 日が暮れ初め、これから祭り会場に向かおうというときになって、亜美花は千代からの電話を受けた。

 何でも両親が急用で出かけることになり、妹と一緒に留守番を頼まれたらしい。

「―――わかった、残念だけど仕方ないよね」

「本当にごめんね! 残りのメンバーで楽しんできて!」

 千代が申し訳なさそうに言う。亜美花は気落ちした声で返事をすると、受話器を置いた。

 耳の上に付けた、ピンクの花の髪飾りが揺れる。もちろん亜美花の手作りだ。

 色違いの黄色を千代に渡しており、今日おそろいでつけられるのを楽しみにしていた。

 頑張って慣れない浴衣を着て髪型もこだわっただけに、なおさら悲しい。

「千代ちゃん、どうしたって?」

 リビングから顔を出した、エプロン姿の母に声をかけられる。

「お祭り行けなくなっちゃったって」

「あら、爽くんもいけないって言ってたじゃないの」

 母が頬に手を当てて、困ったような表情を浮かべる。

 爽に関しては、昨日の時点で行けないと電話があった。宿題が終わらないとのことだ。

 それぞれの事情があるから仕方ないのだが、問題は―――

「じゃあ、芯平くんと二人っきりってこと?」

 母の言葉に、亜美花はどきっとなる。

 厳密に言えばハッピーもいるから、二人っきりではない。

 それでも、何だかそわそわとしてしまうのは事実だ。

 というのも、亜美花は気になっていることがあった。

 それは芯平の言動から感じる既視感だ。

 褒めると帽子を目深に被る仕草は、亜美花が公園で会った少年と同じだった。

 そんな偶然があるはずもない。そう思いつつも、もしかしたらという願望にも似た疑念がわだかまっているのだ。

「うふふっ、楽しみね! 青春っていいわぁ……!」

 神妙な面持ちの亜美花に対し、母がニマニマと頬を緩める。これは絶対に勘違いをしている顔だ。

「お、お母さんが考えてるようなものじゃないからね!」

 こちらは真面目に悩んでいるというのに。

 何だか面白がられているような気がして癪だ。これ以上からかわれる前に、さっさと出かけてしまおう。

 亜美花は二階の自室から巾着袋を取って来ると、下駄をつっかけて玄関を飛び出した。

「いってきます!」

「いってらっしゃーい!」

 母に見送られて、亜美花は神社に向かった。

 家を出て数メートル進んだところで、亜美花の陰に隠れていたハッピーが顔を出す。

「亜美花、どうしたんですの? そんなに口を尖らせて」

「えっ、何でもないよ! それより、ハッピーはお祭り会場に行ったら何したい?」

 亜美花がごまかすように話題を振ると、ハッピーは目の色を変えて語り出した。

「わたくしは屋台のご飯を食べてみたいですわ! たこ焼き、フランクフルト、焼きそばにイカ焼き……。あぁ、考えるだけでお腹が減ってしまいますわね」

 口端からわずかによだれを垂らすハッピーを見て、亜美花はくすくすと笑う。

 妖精は基本的に、人々の幸せな気持ちをエネルギーとして生きているので食事は必要ない。彼らからしたら完全に嗜好品でしかないのだが、妖精界にはないものばかりなので、ハッピーは興味津々らしい。

 そんなことを話していると、あっという間に会場の近くに到着した。

 待ち合わせ場所は、会場の端にある背の高い時計の前だ。

「わっ、混んでるなぁ……」

 時計のある場所に近づいた亜美花は、周囲の様子を見て少したじろいだ。

 時計の周りを囲う花壇には、縁に腰かけて待ち合わせをしている人の姿が多く見受けられる。みんな考えることは同じらしい。

 その中で、花壇を背にしてしゃんと立ったまま遠くを見つめる少年がいた。

「芯平くん、おまたせ!」

 亜美花が声をかけると、芯平は何気ない様子で振り返った。

 彼はいつもと変わらない私服姿だ。

 亜美花の姿を見た瞬間、芯平はぴたりと動きを止めた。目をぱちくりさせて、亜美花のことをじっと見つめている。

「……あれ、どうかした?」

 もしかして、自分の格好がどこか変だろうかと考える。

 ふわふわとした低いお団子頭に髪飾り、白地に淡いピンクの花柄の浴衣。

 出かける前に大きい鏡の前で、何度も確認してきたから大丈夫なはずだ。

「あっ、いや。何でもない。俺も今来たところだから大丈夫だよ」

 亜美花が心配に思っていると、芯平は慌てた様子で首を横に振った。

「えっと、千代さんと爽は?」

「それが、二人とも急に来れなくなってしまったんですのよ」

「そうだったんだ……」

 ハッピーの言葉を聞いた芯平は、どこか落ち着かない様子だ。

「まあ、今日は三人で楽しみましょ! レッツゴーですわ!」

 ハッピーは待ちきれないのか、亜美花の肩の上で腕をパタパタと動かした。

「はいはい、じゃあ行こっか」

 芯平がうなずき、並んで夏祭り会場に足を踏み入れる。普段商店街となっている通りは、両側とも余すことなく屋台で埋め尽くされていた。

 ハッピーのお目当てである食事メニューを始め、クレープにりんご飴、チョコバナナ、ベビーカステラなど、甘いものも充実している。それらを縫うようにくじ引きや射的、金魚すくいなどもあり、笑顔の人々で大賑わいだ。

「まあ、町がキラキラしていて素敵ですわ……! 全部見たことのないものばかり! あっ、あれは何かしら!?」

 きょろきょろと辺りを見回していたハッピーは、突然亜美花の肩からフラフラと飛び立っていってしまった。

「えっ、ちょっとハッピー!」

 一瞬にしてハッピーの姿を見失い、亜美花は茫然となる。

 こちらの声も聞こえないだなんて、とんだ浮かれっぷりだ。

「ど、どうしよう……」

 亜美花が困惑していると、隣にいる芯平が何かを考えるように唸った。

「しばらくしたら帰ってくるんじゃないかな。ハッピーは空を飛べるんだし、そこまで慌てなくても大丈夫だと思うよ」

「あ、そっか。それもそうだね」 

 芯平に話しかけられて、亜美花はハッとなった。どのみち、この人混みでは追いかけようがないだろう。

 自分を納得させた亜美花は、芯平と祭りを回ってハッピーの帰りを待つことにした。

「芯平くん、何か見たいものはある?」

「見たいものじゃないけど、お腹が空いてるからご飯が食べたいかな」

 芯平がそう答えたタイミングで、亜美花の腹の虫が鳴った。

 亜美花の顔が真っ赤に染まっていく。彼女は火照った頬を手で仰ぎながら、照れ笑いを浮かべた。

「ちょうどよかった! 私もハッピーが話してるのを聞いて、たこ焼きが食べたくなっちゃって……」

「じゃあ、買いに行こうか」

 顔を綻ばせた芯平と一緒に、亜美花は祭り会場を回り始めた。

 二人でたこ焼きを分け合って食べたり、射的や輪投げに挑戦したり。

 周りにはたくさんの人がいるというのに、亜美花はまるで芯平と二人だけの世界にいるような気持ちになった。トクントクンと胸が高鳴っていく。彼が笑顔を見せるたび、胸が締め付けられるように感じた。

 こんな時間が、ずっと続けばいいのに。

 そんなことを思いながら歩いていると、亜美花はふとめまいを感じて足を止めた。

 突然立ち止まった亜美花を見て、芯平が首を傾げる。

「どうかした?」

「あ、ちょっとだけクラっときて……」

 人混みにでも酔ったのだろうか。

 道端に避けて休みたいところだが、上手く人の隙間を通って行くことは難しそうだ。

 どうしようかと思っていると、突然芯平が真剣な顔で亜美花の手首を掴んだ。

「こっち!」

 芯平は周りの人に通して下さいと呼びかけながら、亜美花を引っぱり道の端を目指した。

 亜美花はおぼろげな思考の中で、その頼もしい後ろ姿と温かい手に、何度目かの既視感を覚えた。

 人混みを抜けて、屋台の裏側に横たわる歩道に出る。表の通りと違い、こちらは閑散としていた。夜間のため、ほとんどの店がシャッターを閉めているからだろう。

 芯平は辺りをきょろきょろと見回すと、近くに見えた店のポーチの階段に亜美花をそっと座らせた。

「ちょっと休憩しよう。飲み物でも買ってこようか?」

「ううん、大丈夫。ゆっくりすれば治ると思うから……」

 亜美花が礼を言うも、芯平はまだ心配そうに様子をうかがっている。

 その相手を慮る温かい瞳にも、どこか懐かしさがあった。

「あのさ、芯平くんってもしかして……」

 そこまで言いかけて、亜美花はハッとなり言葉を止めた。

 彼女の目線の少し先を、見慣れた黒い影が横切っていく。

 赤い首輪に、小さなガラスの小瓶を下げた黒猫。魔女の仲間であるマリスだ。

 彼が路地裏に消えていくのを目撃した亜美花は、嫌な予感がして思わず立ち上がった。

「……亜美花さん?」

「芯平くん、今あっちにマリスの姿が見えたの。あれは絶対に何か企んでるわ」

 亜美花が小声で伝えると、芯平は目を見開いた。

「追いかけてみよう。でも、無理はしないでね」

 亜美花が芯平の言葉にうなずく。二人はマリスの消えた路地裏に、そっと足を踏み入れた。

 熱気がこもる薄暗い道を、なるべく音を立てないように、息を殺して気配を悟られないようにして進んでいく。

 すると、人が入れないような細い隙間にマリスの後ろ姿があった。角に身を潜めて覗くと、彼の前には黒い靄のようなものが浮かんでいる。

「おい、計画は順調か?」

「あぁ、もう少しで元の体に戻れるよ」

 くぐもった低い声に対して、マリスは機嫌よさそうに答える。

 彼の返事を聞いて、亜美花の頭の中に疑問が駆け巡った。

 魔女たちは、何でも願いを叶えることができる不幸の蜜を集めている。

 その願いがわからなかったが、もしや今マリスが話していることがそうなのだろうか。

 ―――元の体に戻る。

 マリスの言葉に嘘がなければ、いまの彼の姿は仮初のものということになる。

 だとすれば、マリスはいったい何者なのだろう。

 亜美花が息をひそめて考えていたその時、祭り会場のほうから空気を切り裂くような鋭い悲鳴が響き渡った。

 二人は顔を見合わせて、祭り会場に向かって走り出す。

 駆けつけると、会場では魔女とおばけが屋台のデザートを盗んでいた。

 おばけの腕にはクレープやチョコバナナ、りんご飴などが大量に抱えられている。

 大人たちは困惑した様子で空に浮かぶデザートや魔女を見上げ、デザートを奪われた子どもたちは声を上げて泣いていた。

「へへっ、いい反応だぜ!」

「まるで大合唱だな!」

 無邪気によろこぶおばけたちに対して、魔女は冷ややかに会場を見下ろしている。

「こら、お菓子を返しなさい!」

 屋台の上空にいるおばけたちに向かって亜美花が叫ぶ。

「くそ、またお前らか!」

「こいつらは渡さないぜ!」

 亜美花たちが登場すると、彼らは顔をしかめて、神社のほうに向かって逃げ出していった。

 二人は人通りの少ない歩道を走って追いかける。

 せっかく着付けた浴衣の裾がさばけていたが、そんなの気にしていられない。

 亜美花がどうやって足止めしようと考えていると、進行方向の右手から、途端にオレンジ色の光線が飛び出した。それは魔女のほうきをかすめ、見事に操縦を狂わせた。魔女は神社裏手の森に墜落していく。

「きゃあぁっ!」 

「よし、当たった!」

「ナイスですわ!」

 右手から現れたのは光希とハッピーだ。光希はすでに変身して、ロッドを手にしている。

「ハッピー! 光希くんといたの!?」

「先ほど偶然会ったのですわ!」

 驚きながらも、二人と合流して魔女たちのもとに向かう。

 月明りが照らす薄暗い森の中では、墜落した魔女におばけたちが付き添っていた。

「大丈夫!?」

「怪我してないか!?」

「……平気」

 どうやら魔女はすり傷が出来ただけのようだ。

 亜美花たちが現れると、魔女は表情を硬くして、ほうきを杖代わりにして立ち上がった。

「ふーん、今日は三人だけなのね。舐められたものだわ」

「けちょんけちょんにされたくなかったら、今のうちに逃げたほうがいいぞ!」

「そうだそうだ!」

 冷淡な魔女の言葉に続いて、おばけたちが虚勢のような野次を飛ばす。

「私たちは、みんなの笑顔のために戦っているの。そんなことを言われても引かないわ!」

「はっ、ご立派なことで!」

 亜美花の言葉を、ユウが鼻で笑う。

 カチンときた亜美花は、先ほどのことを口にした。

「さっき聞いたの。あなたたちが不幸の蜜を集めているのは、マリスの体をもとに戻すためなんだって。あなたたちは仲間のためかもしれないけど、他の人を巻き込むのはいけないよ」

 亜美花が言うと、魔女たちは目を見開いた。

「マリスの体をもとに戻す……? そんな話どこで聞いたの?」

「えっ……!?」

 魔女の思いがけない反応に、亜美花が眉根を寄せる。

 何かがおかしい。そう思ったときだった。

「あーあ、バレちゃったか」

 対峙している二組の右側。木々の隙間から、マリスがしゃなりと現れる。

 闇の中から抜け出して来た彼の声色は、無垢な子どものようで、楽しさすらにじんでいた。

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