第15話

 八月中頃を過ぎたある日の昼下がり。

 光希は母親におつかいを頼まれて商店街に向かっていた。

 そわそわと辺りを見渡しながら、何度も溜息をついて歩道を進む。

 つぐみと会った日から一週間弱が過ぎた。

 あれから二回ほどうさぎの世話当番が回って来たが、彼女は裏庭に姿を見せていない。

 それどころか、町でも見かけることがなかった。

 せめて無事な姿だけでも見られたらと思っていた光希は、落ち込むばかりだ。

 ―――もう会えないのかな。

 彼が半ば諦めかけていたその時、視線の端に長い黒髪が映った。

 歩道の端から、花屋の店先を儚げな面差しで眺めている三つ編みの少女がいた。間違いなくつぐみだった。

「つ、つぐみちゃん!」

 光希は必死で駆け寄った。彼が近づくと、つぐみはハッとなり、やや顔を強張らせた。

「……何か用?」

 彼女の固い声に、光希は心臓がドキリとする。

 怒っているような感じはしないが、どこか拒絶されている雰囲気がある。

「あの、あれから見かけなくなったから心配になって……」

 光希の言葉の後、少しの沈黙が流れる。つぐみは相変わらず乏しい表情のまま、ゆっくりと口を開いた。

「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だから」

 彼女は言葉とは裏腹に、どこか痛切な表情を浮かべていた。

 助けてほしい。言葉はなくとも、そう訴えているような気がした。それは光希の願望かもしれないけれど。

「……それじゃあ」

「あっ、待って!」

 去ろうとするつぐみに手を伸ばしたとき、つぐみは前からやってきた人影にぶつかって尻もちをついてしまった。

「痛ててて……!」

 つぐみとぶつかった女性も転んでしまい、顔をしかめて腰をさすっている。

「大丈夫……!? って、あれ? 明里ちゃん?」

 つぐみの無事を確認しようとした光希は、ぶつかった相手を見て驚いた。

 彼女は光希のいとこである明里だ。

「あれっ、光希くんじゃん! 偶然~!」

 明里は光希のことを認めると、パッと顔が明るくなる。

 どこかへ出かけるところだったのだろうか。明里は長い栗毛をポニーテールにして、服装も少し華やかな感じだった。

「あの、すみませんでした」

 つぐみが謝ると、ぶつかられた明里はカラっとした笑顔を見せた。

「あぁ、いいのいいの。私も前見てなかったから! そのかわりと言ってはなんだけどさぁ」

「……えっ」

 ぐいっと詰め寄って来る明里に、つぐみは狼狽した様子で後ずさる。

「買い物に付き合ってくれない?」


 光希たちが連れてこられたのは、駅近くにある大きなショッピングモールだった。

「今日はお店のクーポンが届いてたから、新しい服を見に来たんだけどね! 私、一人で見るより誰かと一緒に選ぶのが好きでさぁ! 全然友だちが捕まらなかったから嬉しい~!」

「そ、そうなんだ……」

 光希は苦笑いしながら答えた。

 いとこの明里は優しくて面倒見がよく、名前の通り明るい人物だ。

 しかし、光希からすると元気すぎると思う。落ち込むことがあるのだろうかというくらいエネルギッシュだ。

 小さな頃から何度も遊んでもらったが、彼女と一緒に遊園地を回ると最後は疲れ果ててしまい、必ず親におぶられて帰っていたくらいである。

 彼女のかしましさに圧倒されていないだろうか。

 光希は心配になって、ちらりと隣のつぐみを見た。彼女はモールの中をぼーっと見ているだけで、特に不快そうな表情はしていない。

「あっ、ここだよ! 私が来たかったお店!」

 光希がホッと安心した時、明里はモールの一角にある、若い女性向けのブティックを指さした。どちらかと言えば、ガーリーでカジュアルな雰囲気の店だ。

「きゃあーっ! これ可愛い!~」

 明里は店に入るや否や、商品を手に取って目を輝かせた。

 光希は落ち着きなく、きょろきょろと店内を見回す。女性向けの店に入るのは少し居心地が悪いが、明里たちの付き添いなのでまだいいほうだろう。

「ね、つぐみちゃん! ちょっとこっちに来て!」

 明里は興奮した様子でつぐみを手招きすると、彼女の前に持っていた服を当てた。

「あっ、これいい! つぐみちゃんに似合う!」

「あ、ありがとうございます……」 

 つぐみは少し困惑したように答える。どうも明里は彼女の楚々とした雰囲気が好きなようだ。先ほどから可愛いを連呼して、一人できゃいきゃいと騒いでいる。

 その様子に、光希は呆れを通り越してさすがだなと感心する。

 明里はおしゃれに目がなく、去年から服飾系の大学に通っている。自分がおしゃれをするだけでなく、人を着飾らせることも趣味の一つとなっていた。

「これもいいかも! あーっ、やっぱり似合うわ! 最高!」

 自分の服を見るかたわら、明里はめまぐるしい速さでつぐみに服を当てている。

 つぐみはぶつかってしまった罪悪感があるのか、されるがままになっていた

「もーっ、光希にこんな可愛い友だちがいたなんて!」

「もう、つぐみちゃんを困らせないでね」

 軽い調子で大丈夫と言われ、光希は心配になる。

 顔に出ていないだけで、もうすでに困っていたらどうしよう。

 明里の勢いに負けて、光希はそばで様子を見守ることしかできない。

 光希がハラハラしていると、明里は店内の服を眺めながらつぐみに聞いた。

「ねえねえ、つぐみちゃんはどんな服が好き?」

 彼女の問いに、つぐみは少し黙って考える。

「えっと、なるべく肌を見せないような服が好きです」

「大人っぽい系ね! じゃあこれとかどう?」

 明里は白いレースのカーディガンと、淡い紫色のキャミソールワンピースを手に取った。

 つぐみの体の前に当てて、似合うかどうかを見ているようだ。

「あの、可愛いと思います」

「おっ、じゃあさ! これ着て私たちとお茶しに行かない?」

「えっ、いや、あのお金がなくて……」

 思いがけない申し出に、つぐみは戸惑った様子だ。

「もう、私が払うに決まってるじゃーん! さっきぶつかっちゃったお詫びと、買い物に付き合ってくれたお礼よ! ねっ、嫌じゃなければ受け取ってくれない?」

 明里は潤んだ瞳でつぐみをじっと見つめる。その圧に負けたのか、つぐみは観念したように口を開いた。

「えっと、迷惑じゃなければ……」

「もちろんだよ! 受け取ってくれてありがとう! あっ、ついでに髪型も変えていーい? この服なら、ゆるい三つ編みの方が似合いそうだなって思ってさ」

 そんな調子で小一時間着せ替え人形にされたつぐみは、服を買ったあと、明里に化粧室へ連れていかれた。

「じゃーん! どう、さらに可愛くなったでしょ!」 

 モール内のベンチで待っていると、明里がつぐみを連れて戻って来た。

 目の前に現れたつぐみの姿に、光希は動きを止める。

 マーメイドラインのサテン生地のワンピースが女性らしさを際立たせ、薄手のレースのカーディガンが可憐さを演出していた。ゆるくひとつに結い直された三つ編みも、彼女のとっつきづらそうな雰囲気を和らげている。彼女の周りに、花が飛んでいるようにすら見えた。

 もとから綺麗で大人っぽい雰囲気だったが、それに磨きがかかった感じだ。

 光希の鼓動が苦しいほどにドキドキと速まっていく。

 いったい自分の中で何が起こっているのだろう。

「ちょっと光希くーん! 見惚れるのはわかるけど、感想くらいちょうだいよう」

 明里に頭をつつかれて、光希はようやく我に返った。

「すっごく可愛い! あっ、さっきも可愛かったけど! 今はもっと可愛いよ!」

「…………ありがとう」

 光希が立ち上がって食い気味に言うと、つぐみは少し俯きながら、か細い声でつぶやいた。

 彼女の耳がほんのりと赤くなっていることに気づき、光希の胸はきゅんと鳴った。

 その後、明里に連れられて、光希たちはショッピングモールから少し先にあるカフェに立ち寄った。

 古い洋館を思わせるようなこだわった内装をしているが、堅苦しい雰囲気はない。誰でも入ることが出来るカジュアルな店だった。店の壁面はガラス張りになっていて、駅前通りがよく見える。

「この前、アフタヌーンティーが飲みたいなって思ってさ。このお店にそういうコースがあるって聞いたから来てみたかったんだよねぇ」

 明里がニコニコと話していると、店員が注文したメニューを運んできた。

 白いポッドに入っている紅茶はダージリンで、ティーフードは三段のケーキスタンドに乗っていた。上からマカロン、プチタルト、サンドイッチとなっている。

「わっ、おしゃれだなぁ~! テンション上がるわ!」

 明里はうれしそうに、スマホでパシャパシャと写真を撮った。

「待たせてごめんね! さっそく食べよう!」

 そういって明里が手を合わせたとき、テーブルに置いていた彼女のスマホが音を鳴らした。

「ったくもう、いったい誰よ! ……げぇっ、バイト先からだ!」

 明里は光希たちに、先に食べていていいよと言い残し、お手洗いのほうへ消えて行った。

 二人きりになり、光希は気まずく思いながら口を開いた。

「あの、ごめんね。明里ちゃん、強引で……」

「大丈夫、気にしてないよ」

 つぐみは言葉の通りの顔をしていた。声にも険はない。

「よかった! あ、じゃあ食べようか!」

 光希はホッとして、カップに手を伸ばした。彼がケーキスタンドからプチタルトを選んで食べると、つぐみもおずおずと紅茶を飲み始めた。

 程よくざわついている店内の中で、二人の間には重い沈黙が横たわっている。

 聞きたいことはあるのに、何から話して良いか分からない。

 彼女がいつもよりきれいなせいか、余計に緊張してしまう。

 光希がどうしようかと考えていると、つぐみは唐突に切り出した。

「ひとつ聞きたいんだけど、あなたはどうして私に構うの?」

「えっ」

 思いがけない質問に光希が呆然とするも、つぐみは構わずに続ける。

「前にも話したように、私はみんなに煙たがられているの。一緒にいたって何の得もないわ」

「えっと、上手く言えないけど。僕が一緒にいたいだけなんだ」

 光希が答えると、つぐみはどこか懇願するような瞳で彼を見つめた。

 その大人びた格好とは裏腹に、彼女の表情は迷子になった幼い子どものように見える。

「……私は」

 そう口にしたところで、つぐみは光希の後ろを見つめながら、はたと動きを止めた。指先に力が入り、手にしていたマカロンがわずかにつぶれる。その顔色は少し青ざめていた。

「……つぐみちゃん? どうしたの?」

 光希が心配になって問うと、つぐみはわずかに体を震わせて、薄い唇を噛んだ。

「やっぱり私は、あなたとは友だちになれない。いえ、なっちゃいけないの」

 つぐみはそう言うと、突然席を立ってバタバタと店の外に駆け出した。

「えっ、つぐみちゃん!?」

 テーブルに一人になった光希は、席を離れる訳にもいかず、ガラスの窓ごしに彼女の後ろ姿を目で追った。

 その先にある電柱の陰からは、しなやかな黒猫のしっぽが覗いていた。

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