第14話
十年前。ひだまり町の片隅に、にぎやかな一軒家があった。
「あっ、こら! ちょっと待ちなさい!」
天気のいい日曜日の昼下がり。
壁にらくがきをしている我が子たちを見つけて、母親がキッと目を吊り上げる。
「やーだよ!」
「あっかんべーっ!」
少年たちは持っていたクレヨンを放り投げると、楽しそうな笑い声を上げて、バタバタとリビングから逃げ出していった。
二人の名前は優と麗。
鏡合わせの見た目をした、双子の兄弟だ。
彼らは公務員をしている博学で温厚な父と、ピアノ教師でしっかり者の母を持ち、それなりに裕福な家庭に生まれた。
しかし、上品であれという母の願いも虚しく、近所でも有名ないたずら好きに育っていた。
ウェーブがかった少し長めの髪に、それぞれ左右の目の下にある泣きぼくろ。ぱっちりとした二重は凛々しく、容姿だけなら良い所のお坊ちゃんだと言われていた。
「まったくもう、あの子たちったら!」
階段を駆け上がる双子をリビングの入り口から見て、母が悔しそうに腕を振る。すると、トイレに行っていた父がリビングの惨状を見て笑った。
「はははっ、やられたなぁ! この前大きい紙を買って来たって言うのに、小さな画伯たちには足りなかったみたいだね」
「もう、他人事じゃありませんからね!」
行儀に厳しい母が双子を叱り、おおらかな父が宥める。
騒がしいながらも温かい日常は、いつでも笑い声であふれていた。
そんなある日のこと。
幼稚園から戻り、優と麗が家で遊んでいると、母が近くの店へ買い物に出かけた。先ほどスーパーに寄ったが、買い忘れがあったらしい。
「すぐに戻って来るから、いい子にしててね」
その言いつけに二人は軽い返事をして見送った。母が玄関を出た瞬間、顔を見合わせてにんまりと笑う。
「ひっひっひっ、何して遊ぶー?」
「何しよっかぁ!」
企むような笑い声をこぼしながら、二人でリビングへと舞い戻る。
すると、麗は壁にかけているカレンダーを見てハッとした。
「ねえ、今日ママの誕生日だよ!」
「あぁっ! 忘れてた!」
二人はどうしようと慌てた声を上げる。
以前、父親から母の誕生日が近いことを聞いた二人は、自分たちの力でお祝いをしたいと話し合っていたのだ。しかし、いたずらに夢中になっている間に忘れてしまっていた。
「もう、パパに頼んでいろいろやる予定だったのに……! こうなったら、とにかくお家にあるものだけで何とかしよう!」
「うん! そしたら……そうだ、まずはケーキを作ろう!」
二人はキッチンに駆け込むと、冷蔵庫や棚の中をあさった。
あれでもないこれでもないと言って物を避けながら、良いものがないかを探す。
そしてしばらくした後、優は冷蔵庫から食パンとチョコレートのスプレッドを、麗は椅子に上り背伸びをして戸棚からロウソクとライターを引っぱり出した。
「苺も欲しかったけど、まあいっか!」
「これでもケーキっぽくなるよ!」
二人は用意した丸皿の上に、端をちぎって丸くしたパンを数枚重ね、チョコレートをたっぷり塗る。そこにロウソクを差し、震える手で火を点けた。
出来上がった不格好なケーキもどきを前に、二人はうーんと首を傾げる。
「何か足りないよねぇ」
「そうだ、飾りじゃない? 幼稚園のお誕生日のときって、壁に折り紙のやつが貼ってあるじゃん!」
「それだっ!」
二人はケーキをリビングに置き去りにしたまま、階段を駆けあがった。
自室にあるおもちゃ箱や引き出しをあさり、折り紙やハサミ、のりといった道具をかき集める。
その途中、麗がふいに手を止めた。眉をひそめて、くんくんと小さな鼻を動かす。
「ねえ、ユウ。なんか変なにおいがしない……?」
「レイもそう思う……?」
必要なものを揃えた二人は、恐る恐る部屋の扉を開けて、ぴたりと動きを止めた。
階下からは灰色の煙がもうもうと立ち上り、パチパチと火の爆ぜる音が聞こえていたのだ。
「えっ、これって火事!?」
「どっ、どうしよう……!」
急いで階段を下りようとした二人だったが、時すでに遅し。火の手は階段の中腹まで迫っていた。その勢いは止まることなく、あっという間に彼らのいる二階へ到達していった。
「うわあぁぁぁぁっ、熱いよぉ! 痛いよぉ!」
「パパ、ママ! 助けて―――――っ!」
遠くから消防車のサイレンが聞こえる。
幼い彼らは二階の窓から出ることなどできず、火に飲まれて苦しみの中で息絶えた。
それから五年後。
焼失した双子の家の跡地には二階建ての小さなアパートが建っていた。賃料が安く、素朴だが新しくて綺麗な内装をしている。
それにも関わらず人の入れ替わりが激しいのは、部屋で毎日のように起きるポルターガイストが原因だろう。
「まったく、最近の奴は根性がねぇなぁ」
「今までで一番早かったんじゃない?」
疲れ果てた顔で退去する元住人を、アパートの屋根の上から見送っているのは優と麗だ。
幽霊となった二人は行く先がわからず、この土地にとどまり入居者を脅かして遊んでいた。
「どいつもこいつも、すぐにいなくなるから退屈だぜ!」
「なあなあ、大家さんが言ってたけど、また空き室に人が来るらしいよ。家族連れなんだって。今度はいつまで持つかなぁ?」
優は口を尖らせ、麗は退屈そうにつぶやく。
二人が待ち望んでいた新しい住人は、数日後にやってきた。
アパート前の駐車場に停められた車から、きつい顔の男女と小柄な少女が降りて来る。男女はトランクからキャリーケースを取り出すと、後部座席の扉を開け、もたもたとシートベルトを外している少女を睨みつけた。
「ほら、つぐみ! ぼさっとしてんじゃないわよ!」
「ったく、誰に似たらあんなグズになるんだ!」
「……ごめんなさい」
つぐみと呼ばれた少女は暗い表情で言うと、慌てた様子で男女のもとに駆け寄った。
「何か嫌なやつだなぁ」
「あれ本当に親子? 気分が悪くなるぜ」
その様子を屋根の陰から覗いていた二人は、あからさまに顔をしかめた。
それほど世間を知らない二人でも、彼らが異質であることはわかる。家族とはもっと温かいものだ。
日頃怒ってばかりだったけれど、悲しいことがあればいつまでも抱きしめてくれた母。
壁のらくがきを頭ごなしに叱らず、二人の才能を伸ばそうとしてくれていた温厚な父。
今思えば、両親は自分たちに無償の愛を注いでくれていたのだなとわかる。
「あの部屋でいたずらすんのは、ちょっと気が引けるな……」
「まあ、女の子を怖がらせたくないしな……」
しかし、少女の様子は気になってしまう。
そこで二人は、親子の部屋をこっそり観察することにした。
「それじゃ、つぐみ。いい子にしてんのよ!」
「余計なもん触るんじゃねぇぞ!」
「……うん、いってらっしゃい」
派手な格好で出かける両親を、つぐみは寂しそうに見送る。
彼女の両親は暇さえあればつぐみを置いて出かけ、家にいても彼女に対して理不尽に怒っていた。最低限の衣食住は与えていたし、手を上げることはなかったが、つぐみの泣きそうな表情から、どれだけ傷ついているかは容易に想像できた。
そんな、ある昼下がりのこと。
「かわいそうだな……」
「あぁ、あの子は何も悪いことしてないのに……」
両親が出かけ、つぐみが一人きりになったとき。天井の隅で様子を見ていた二人は、痛切な面持ちでつぶやいた。
ふいに、つぐみが二人のいる方向に振り返る。
「……心配してくれるの?」
つぐみの言葉に、二人は目を丸くした。思わず二人で顔を見合わせてから、ゆっくりとつぐみのほうを向く。
「まさか、俺たちのことが見えるのか……?」
優の問いに、つぐみが静かにうなずいた。
「そっか、小さい子どもは幽霊が見えるって言うもんな」
麗がいつか聞いた話を思い出して言う。すると、つぐみは首を振った。
「ううん、そうじゃないよ。私、霊感があるの」
はっきり言ったつぐみに驚き、優と麗は彼女の話を聞くことにした。
霊感があると自覚したのは、小学校に上がったばかりの頃だと言う。
保育園に通っている間は、幽霊が見えると言っても、幼いからだといって周囲も気にすることはなかった。
しかし、小学校に上がったある日のこと。
クラスメイトの肩に鳥が止まっていると、つぐみが指摘したことがあった。
しかし、周囲は首を傾げた。そのクラスメイトの肩には鳥など止まっていなかったのだ。
ただ、指摘された当人は顔色を変えた。聞けば、前日に飼っていたペットの鳥が亡くなっていたのだと言う。それは、学校で誰にも話していないことだった。
その日を皮切りに、似たような出来事が続いた。
そして、周囲はつぐみを遠ざけ始めた。
彼女の霊感は、幼さゆえの一時的なものではないかもしれない。
家庭訪問のとき、担任の教師は両親にその話をしたらしい。
それからというもの、両親は彼女を邪険に扱うようになった。
彼女は幽霊が見えるせいで、他人はおろか親からも冷遇される日々を送ってきたのだ。
まとわりついてくる幽霊は、決して可愛らしいものだけではない。非業の死を遂げたゾンビのような見た目の者、悪霊と化したつぐみを連れ去ろうとする者。
彼女は日常生活の中で常にその恐怖と戦わなければならず、泣き叫んでも守ってくれる人はいない。
だから、彼女にとって幽霊は大嫌いな存在だった。しかし、自分を心配してくれた双子だけは別だった。
それは、優と麗にとっても同じだ。
つぐみは親にどれほど酷いことを言われても耐え、家事を手伝い、真面目に学校に通い、泣き言ひとつ言わなかった。
子どもをほったらかしにしてパチンコに行くような親なのに、それでもつぐみは最後まで愛情を求めていた。
あれはいつのことだったか。両親がパチンコから戻って来ると、つぐみにお菓子を差し出したことがあった。それは、小さい袋に入ったぶどう味のグミだった。
「ほら、やるよ」
父親は煙草をくわえながら、つぐみにグミを投げるように渡した。
後でわかったことだが、それはパチンコの景品で、二人が好きなお菓子でなかったからつぐみにあげただけだった。
彼女はひな祭りやクリスマスはおろか、誕生日を家で祝ってもらったこともない。だから、そんなものでもつぐみは大喜びしていたのだ。
そんな健気で哀れな彼女を放っておけるはずもない。
三人は話しているうちに、あっという間に仲良くなっていた。
そして、つぐみたちが越してきてから二年後。
つぐみが小学三年生になったころ、両親が突然蒸発し、彼女は親戚の家を転々とすることになった。
その間も、双子はつぐみについていき、彼女を支え続けた。
学校もコロコロと変わったのだが、子どもたちはいったいどこから聞いて来るのだろうか。つぐみに霊感があると言うことだけは、どんな場所に行っても噂が広まっていた。
その頃、双子はつぐみをいじめる人間への意趣返しとして、相手のお菓子を盗んでいた。
楽しみにしていたお菓子が突然なくなる。
それは、つぐみと同年代の子どもたちにはてきめんに効いた。
慌てたり悲しんだりする顔を陰から見て、少しでもつぐみの気分が楽になればいいと思ったのだ。
そしてつぐみが中学に上がる頃。彼女は遠い親戚に面倒を見てもらうことになった。しかし、その家の娘が大の怖がりだと言うことで、同居は断られた。生活費をもらい一人暮らしをすることになり、今のアパートに住み始めたのだ。
「まあ、一人暮らしのほうが気楽でいいよな」
「ぶつくさ言ってくる奴もいねえし」
「そうだね。私は、優と麗がいればいいよ」
初めは不安だったが、アパートでの生活は上手く行っていた。皮肉なものだが、幼い頃に家事を手伝っていたのが功を奏したらしい。
しかし、学校では彼女に悪口を言うクラスメイトが現れた。
コンビニに寄ったクラスメイトの後を追いかけ、双子たちがビニール袋からこっそりとお菓子を抜き取る。
二人はしたり顔でお菓子を抱え、曲がり角から様子を見ていたつぐみのもとに戻った。
「いえーい、お菓子ゲット!」
「やったぜ! ほら、つぐみ!」
「ありがとう」
三人が成功の余韻に浸っていた、その時だった。
「おもしろいことをしているね」
三人の背後から、少年のような声がした。
「だ、誰!?」
振り返ると、そこには一匹の黒猫がいた。
「こんにちは。僕はマリス。通りすがりの黒猫さ」
「しゃ、喋った!」
「なななな、何の用だ!」
すかした様子の黒猫に、双子は声を張り上げる。
「そうおびえないで。少し話がしたいだけさ。どうやら、君たちは人からお菓子を盗むことで、心の穴を埋めているように見える。きっと、今まで辛い人生を送って来たんだろうね。そんな君たちに、良いことを教えてあげよう。不幸の蜜というものを知っているかい?」
「不幸の蜜?」
つぐみが聞き返すと、マリスは笑顔でうなずいた。
「その名前の通り、人の悲しみから抽出される蜜のことだよ。それを魔法の小瓶いっぱいに集めると、何でもひとつ夢を叶えてもらえるんだ」
にわかには信じがたい。
固唾を飲んで話を聞く三人を前に、マリスは話を続ける。
「かわいそうな君たちのことを、見て見ぬふりをすることは出来なくてね。君たちはそのままお菓子を盗み続ければいい。そうすれば、不幸の蜜が生まれる。ぼくも集める手助けをするよ。どうだい、やってみないか?」
マリスの言葉を聞いて、優と麗が神妙な面持ちになる。
「何でも叶う、か……」
「それがあったら、つぐみも嫌な思いをしなくて済むかな」
つぐみは薄い唇を噛むと、覚悟を決めた表情で口を開いた。
「……いいわ、あなたの話を信じる」
「そうこなくっちゃ!」
真っ赤な夕日を背に、マリスが微笑む。
こうしてマリスの提案に乗ったつぐみは、彼が持っていた影魔法の力を受け継ぎ、魔女を始めることになったのだった。
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